タンタンと私 -2- Tintin et Moi
Tintin et Moi
(C)HERGE/MOULINSART2011 (c)2011 Angel Production, Moulinsart
タンタンの作者エルジェ。本名ジョルジュ・レミ、1907年ベルギー・ブリュッセル生まれです。
少年時代はボーイスカウトに夢中になり、その頃から絵を描いていましたが、
16歳から本格的に「ベルギー・ボーイスカウト」誌に作品を発表。
1928年には新聞の若者向けウィークリー増刊号「プチ20世紀」のチーフ・エディターに、
翌29年には「タンタン、ソビエトへ」が同誌に掲載。大人気になりました。
それ以後、タンタンと白いフォックステリアのスノーウィはコンゴ、アメリカ、中国、月まで
飛んでいき、24話のタンタン冒険シリーズにその活躍の足跡を残しているという訳です。
1971年、もう今から40年以上も前のこと。
あるフランス人の学生がエルジェにインタビューを申し込みました。
30年間、人目につかない場所に保管されていたこのインタビューを記録したカセットテープを
もとにこの「タンタンと私」が制作されました。
当然のことながら、本作の監督アンダース・オステルガルドさんはタンタン・シリーズの大ファンです。
ファンというのはコミックからコミック以上のものを読みとるものなんですね。
熱狂的なファンのご多分にもれず、オステルガルド監督も
「作者はいったいどんな人物なのか」
「なぜ、この漫画が生まれたか」について深い関心をいだき、
いつかエルジェの伝記映画を撮りたいと考えていました。
そして、エルジェ財団に連絡をとったのが1999年のこと。
ですが、無名のデンマーク人監督の申し出に当然のことながら財団側は難色を示します。
交渉には長い時間がかかりました。
監督が、エルジェのインタビュー・カセットがあることを知ったのは財団と話し合いを始めてからのことでした。
財団側は「ここだけの話ですが、エルジェのインタビューを記録したカセットテープがあります。
有名な書籍の素材だったのですが、校正時にエルジェがかなり手を入れたため、
エルジェがこのインタビューで語った内容とはかけ離れたものになっています」
と切り出し、オステルガルド監督に14本のカセットテープを渡しました。
カセットテープは何度クリーニングしても聴き取りにくく、状態は最悪。
しかし、ノイズの合間から漏れ出るエルジェの肉声を聞いた監督は
絶対にこの声を映画の中で使おうとを決心しました。
カセットの中で、エルジェは若い大学生相手に忙しい合間を縫ってインタビューに答えています。
そして、自分の人生について、またタンタンについても熱く語っています。
これって締め切りに追われて徹夜続きの手塚治虫さんが素人学生の取材に答えるようなものですから、
かなり稀有なインタビューですよね。
それもカトリック教徒でありながら離婚したことやら、第二次世界大戦中の体験やら、
学生相手に真剣に語っています。
ベルギーという目立たない国が戦争中いかなる状況にあったかをうかがい知る上でも
興味深いドキュメンタリーかもしれません。
アンディ・ウォーホールとの対面シーンもあったりして、なかなか面白いです。
あのとんがったウォーホールとまじめなサラリーマン風のエルジェのツーショットなど
そうそう見られるものじゃありませんものね。
エルジェがベルギーのテレビ番組でインタビューされている映像にカセットの音声をあて、
リアルな映像を実現し、「タンタン、チベットを行く」のコミック画像を登場させ、
ヴィジュアル的にも変化に富んだ構成になっています。
映画「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」をご覧になった方は必見でしょう。
取材カセットが長い間秘蔵されていたのは、エルジェ氏、きっと本音を語り過ぎたから
だと思うのですが、そのあたりも興味津津です。
終
今日もポチッとお願いします。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
にほんブログ村
☆2012年1月13日に更新しました。いつも応援ありがとうございます☆
こちらもポチッとお願いします。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
タンタンと私
監督・脚本/アンダース・オステルガルド、プロデューサー/ピーター・べック、撮影/サイモン・ブラム、編集/アンダース・ヴィラードセン
出演
エルジェ(ジョルジュ・レミ)、ヌマ・サドゥール、マイケル・ファー、ハリー・トンプソン、アンディ・ウォーホル、ファニー・ロドウェル、他
2012年2月4日(土)渋谷アップリンク、銀座テアトル・シネマ、新宿K’s cinemaほか全国順次公開
2003年、デンマーク・ベルギー・フランス・スイス・スウェーデン、フランス語・英語、カラー、75分、http://www.uplink.co.jp/tintin/
それも子供の頃にぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!
長州の小さな村で母から与えられたのは
講談社の”少年少女文学全集”、毎月だったか
2ヶ月に1度だったかの配本を待ち焦がれたのは
赤い革背表紙の本の感触と供に忘れられません。
漫画は・・・・”リボンの騎士”を隣の子から
借りたのを見つかり 母の逆鱗に触れました。
以後あらゆる漫画は一切禁止。
後年自分が親になり
娘が生まれたときは「この子にはたっぷり漫画
読ませてやろう!」とわけのわからない育児方針を。
タンタンがインディアナ・ジョーンズの元ネタ
だったなんて!びっくりでした。
殿様の試写室はいつも驚きがいっぱい!
次号UPも楽しみにしとりまーーーす。
私昔はグラフィクデザイナー、アンディ・ウォーホール何気に好きでした。
タンタン・・・私の友人が白馬に開いたペンションの名前がタタン・・・・なんか愛着感じます。。
そして実は私ベルギー大好きなんです。
すっとこさん、やっぱり字の本少女だったのね。
少年少女文学全集は買ってもらえなかったけれど、
小学校3年生の時に買ってもらったアレクサンダー大王の本
は大切に大切に読みました。
(しかし、なんでアレキサンダー大王だったのかなぁ)
でも、なんてったって、近所には貸本屋さんはあるし、
本屋さんも近く、
りぼんと少女クラブは毎月発売日を待ち切れず、2~3日前
から「まだですか?」と本屋さんをせっついていた可愛いとのです。
字の本少女にせよ、漫画少女にせよ、幸せな子ども時代でしたね♪
そう、そう。
エルジェさん、アンディ・ウォーホールとしっかりお話してましたよ。
Tsugumiさん、ベルギーお好きでしたか。
ベルギービールだけじゃなかったんですね^m^
あ、ベルギービール、わたしも飲みたくなってしまった。
タンタンについては、女性の登場人物が少なすぎる、女性差別なんじゃないかというような批判もあるんだそうです。作者に差別意識があったとは思わないのですが、ひょっとしたら「女性が登場すると面倒くさくなる」という無意識の回避があったのかなぁと思ったりもします。フランス語圏なのに物語に色恋なし、というのがいけなかったのかもしれませんね。
発音のことなんですけれど、iだけだとイと読むのが、iのあとに子音nがひとつ付くと鼻母音のアンになっちゃうんですよ。例えばワインならvinと書いてヴァンと読みます。で、nのあとにまた母音が来ると、またイと読むようになるんです。すみません、お節介フランス語講座でした(ペコっ)。
作者エルジェ氏の事など 何も知りませんでしたが
一人のベルギー人の生き様としてみても面白そうですね。
音楽でも 小説でも 漫画でも 映画でも
最近 自分が子供の頃 十代の頃 親しんだ作品が懐かしい。
これって 年取った証拠?
いえいえ、「殿様の試写会」で新作も楽しみにしています。
フランス語講座ありがとうございました。
むつかしいですぅ。第二外国語フランス語を選択しないで
よかった^_^;
鼻母音ですか?これが苦手です。発音もちょっと気恥ずかしい感じがして…
でも、できたらカッコいいですね。
へえ、女性差別という声があるんですか?
男の子って(大きくなった男子は別として)、女の子が苦手
ですよね。
「スタンド・バイ・ミー」も男子ばかりだし、
「怪人二十面相」も男子が多いし。
タンタンもまだ大人になりきっていなくて、女の子が苦手なのかなぁ?
作者のエルジェも少年のしっぽをひきずっていたのかもしれませんね。
また、フランス語教えてくださいね♪
そうそう、高校生の頃、両親がなつかしのメロディみたいな
番組を喜んでるのを見て、「なんで、こんなのがいいかねぇ」
なんて思っていたのに、今、自分がそうなってます。
昨日も当時近所にたくさんあった映画館のことなど懐かしく
思いだしていました。
新しい映画を見ても、古い映画を忘れることは決してないものです。
なんか律義なわたし(苦笑)