トラブゾン狂想曲 -小さな村の大きなゴミ騒動 - -1- Der Müll im Garten Eden
-小さな村の大きなゴミ騒動 - -1-
Der Müll im Garten Eden
ファティ・アキン監督作品です。
ドイツ映画です。
ドイツといえばゴミ処理先進国なので、
原題”Der Müll im Garten Eden”(「エデンの園のゴミ」)というタイトルも納得できます。
しかし、監督の名前はどこから見てもゲルマン風ではありませんね。
そうなんです。彼の父親は1965年に出稼ぎ移民としてドイツにやってきたトルコ人。
小学校教師をしていた母もその3年後、結婚のためドイツに。
彼はハンブルグ生まれのトルコ移民二世です。
1973年生まれのファティ、最初は俳優を志していましたが、
在ドイツのトルコ系移民など、同じような役ばかりさせられることにうんざり。
ハンブルグ造形芸術大学へ進学し、95年に監督デビューしました。
偽装結婚から生まれる愛を描いた「愛より強く」で、2004年ベルリン国際映画祭金熊賞を
はじめ2004年ヨーロッパ映画祭最優秀作品賞などを受賞。一躍有名に。
「そして、私たちは愛に帰る」では2007年カンヌ国際映画祭最優秀脚本賞と全キリスト協会賞を受賞。http://mtonosama.exblog.jp/9988444/
生地であるハンブルグを舞台にした「ソウル・キッチン」(‘09)は
2009年ベネチア交際映画祭審査員特別賞を受賞。http://mtonosama.exblog.jp/12183212/
なんとファティ・アキン監督、30代の内にベルリン、カンヌ、ベネチアの三大映画祭受賞という栄光に輝いたのであります。
それは本作「トラブゾン狂想曲」が、
カンヌ国際映画祭最優秀脚本賞をとった「そして、私たちは愛に帰る」と深い関係があるから。
本作は「そして、私たちは愛に帰る」のラストシーンの舞台になったトルコ・トラブゾン地方で
起きたゴミ処理場建設事件を記録した作品だからなんです。
2005年に、監督は祖父母の故郷、トルコ北東部・黒海沿岸にあるトラブゾン地方の村
チャンブルヌを訪れました。
その美しさに感動した監督が耳にしたのは驚くべき事実。
それはこの地にゴミ処理場が建設されるということ!
この美しさを画面に留めなければという使命を感じた彼は、
「そして、私たちは愛に帰る」のラストシーンをチャンブルヌ村で撮影したのでした。
同時に、ファティ・アキン監督はゴミ処理場建設の事実を記録しようということで、
既に記録を始めていた地元写真家の協力も得て撮影を敢行。
それが本作「トラブゾン狂想曲」であります。
エデンの園にゴミ処理場が建設されるだけでも大変なのに、
そのゴミ処理場ときたら銅鉱山の跡地を利用した非常にザツなつくり。
大量のゴミを投入する穴の底に敷くのは薄っぺらなゴムシート。
ちょっと雨が降ればすぐにも溢れだしそうな小さな汚水処理槽。
(実際に溢れだして大変な事態になるんですけど)。
当局のいい加減な計画や時々、視察に訪れる役人たちに立ち向かうおじさんやおばさんたちの姿を、
5年間にわたって撮り続けました。
さあ、どんな記録映画ができあがったのでしょうか。
続きは次回まで乞うご期待でございます。
続
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☆8月15日に更新しました。お盆ですね。いつも応援ありがとうございます☆
トラブゾン狂想曲 -小さな村の大きなゴミ騒動 -
監督/ファティ・アキン、撮影/ブンヤミン・セレクバサン、エルヴェ・デュー、音楽/アレクサンダー・ハッケ、編集/アンドリュー・バード
8月17日[シアター]イメージフォーラム他順次ロードショー
2012年、ドイツ、98分、配給/ビターズ・エンド、http://www.bitters.co.jp/kyousoukyoku/
我が市もゴミ問題は深刻で、
来年からゴミ収集が有料になるそうです。
有料にしないと なかなか一人一人が
ゴミ減量に取り組まないみたい。
でも、ゴミが出たら 処理しなくちゃあね。
トラブゾンでの その後は如何に?
どの国もゴミ問題は
文字通り“臭いものに蓋”みたいなこと
なのでしょうね!
育った長州の小さな村では村人は海中放棄して
いたと思います。海の自浄作用を当てにしていた
のでしょうね。でも誰がの家で大量に捨てたゴミが
潮の加減かそっくり波打ち際に打ちあがっているのは
子供心に哀しかったです。
トラブゾンでは薄いゴムシートだけで
埋めちゃえば見えないよ、公式だったのですか?
村人がどう立ちあがったか
次回に期待のポチッ。
ねぇ、ゴミが出たら処理しなくちゃねぇ。
人間が活動し、何かを生産する以上、ゴミは必ず出ます。
それを再稼働、再稼働ってなんなんでしょう。
って、どうしても思いはこちらへいってしまいます。
Aの材料があり、Bという商品や電力を生産すればA'という
ゴミが生まれるのは自明の理です。
その流れを無視したところに経済活動はありえませんよね。
映画の冒頭、黒海の海岸に多くのゴミが捨てられていました。
これは長州方式だったのでしょうか・・・・・
瀬戸内の海も、黒海も、それほど許容力はないでしょうに。
ゴミ問題は本当に悩ましいです。
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