書くことの重さ~作家 佐藤泰志 -2-
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41歳で自死した作家、佐藤泰志の人生を
高校時代の友人や、
芥川賞受賞の電話を佐藤の家で共に待った新聞記者たちの証言を通じ、
また、芥川賞選考会場である築地・新喜楽の様子や
はじけていた高校時代の佐藤や友人たちを再現フィルムで描き出したドキュメンタリーです。
佐藤泰志(1949~90)
函館出身。函館西高校在学中に、同人誌「黙示」「立待」「北方文芸」に執筆。
‘66「青春の記憶」で第4回有島青少年文芸賞最優秀賞受賞。17歳。
‘67「市街戦の中のジャズメン」で第5回有島青少年文芸賞最優秀賞受賞。18歳。
卒業後、アルバイトをしながら、同人誌「贋エスキモー」を続ける。
‘75「颱風」で第39回文学界新人賞候補、26歳。
‘77「移動動物園」で第9回新潮新人賞候補28歳の後、
‘79「草の響き」(文藝7月号)で文芸誌デビュー。30歳。
‘80「もうひとつの朝」で31歳の時、第16回作家賞を受賞。31歳。
‘81「きみの鳥はうたえる」(文藝9月号)で第86回芥川賞候補。32歳。
‘82「空の青み」(新潮9月号)で第88回芥川賞候補。33歳。
‘83「水晶の腕」(新潮6月号)で第89回芥川賞候補。
「黄金の服」(文学界9月号)で第90回芥川賞候補。34歳。
‘85「オーバーフェンス」(文学界5月号)で第93回芥川賞候補。36歳。
‘89「そこのみにて光輝く」(河出書房新社)で第2回三島由紀夫賞候補。
その後「海炭市叙景」を「すばる」に断続的に掲載。
36篇を構想したが、18篇で終了(‘90「すばる」4月号)。
‘90年10月10日、自死。亨年41歳。
‘07個人出版社クレイン作品集刊行
‘10『海炭市叙景』映画化
「海炭市叙景」「移動動物園」「そこのみにて光輝く」文庫出版
両親は青函連絡船を往復し、青森の「黒石米」を運び、函館で売り捌く担ぎ屋。
幼少時から文章を書くのが好きで中学2年の時、文集に「芥川賞作家になる」と将来の夢を書いていた佐藤。
年表を見ていると、悲しくなってきます。
5回も芥川賞候補にあがりながら落選を繰り返し、
36篇を構想しながらも、その半分で掲載が終了した「海炭市叙景」。
佐藤泰志が存命なら「同情なんていらないよ」と怒られるかもしれませんが、
自分がそんな状況に置かれたらと思うとつい・・・
ま、まずは作家・佐藤泰志の人生を観客席から眺めてみましょう。
ストーリー
1982年
「きみの鳥はうたえる」が芥川賞候補になった。
その前年、佐藤は母の体調がすぐれないため、妻と2人の子と共に、函館へ戻り、
職業安定所で紹介された「職業訓練校建築科」に通っている。
芥川賞候補作家・佐藤泰志を取材した地元・函館の
毎日・読売・北海道新聞、共同、NHKの記者が証言。
芥川賞選考会当日、実家で結果を待つ佐藤。
選考会場である築地の料亭では選考委員たちが候補となった8作品について熱い議論を交わす。
結果は該当作なし。だが、佐藤は作家として生きる道が開けたと感じ、再び東京へ。
1966年
佐藤は函館西高校の2年生だった。
この秋「青春の記憶」で第4回有島青少年文芸優秀賞を受賞。
佐藤は高校3年間、文芸部に所属し、執筆と投稿活動を続ける。
友人も多く、彼らと受賞を祝う会を開き、飲めもしない酒を汲み交わし、
その帰り途、地元のごろつきとトラブって、警察に呼ばれたり、
パチンコをしていて無期停学になったり、家出したり――
無頼というには幼いが、ヤンチャな日々を送る佐藤だった。
その一方、佐藤は小説を書き続ける。折しも時代は政治の季節。
函館西高校でもベトナム反戦、防衛大学校入試説明会阻止闘争などが展開されていた。
その中で書いた「市街戦の中のジャズメン」(後に「市街戦のジャズメン」と改題)が
第5回有島青少年文芸優秀賞を受賞。
そして、2年後、佐藤は青函連絡船に乗って上京……
41年の長いとはいえない人生において必死に書いた作品に今スポットライトが当たっています。
彼が表現しようとした時代精神、函館の心象風景――
わたしも読んでみたくなりました。
終
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☆9月27日に更新しました。いつも応援ありがとうございます☆
書くことの重さ~作家 佐藤泰志
プロデュース・監督/稲塚秀孝、撮影/遠藤清史、協力/無名塾
出演
佐藤泰志/本人、加藤登紀子/佐藤泰志の母、村上新悟/佐藤泰志、仲代達矢/語り
10月5日(土)より新宿K’s cinemaにてモーニングショー
2013年、日本、91分、http://www.u-picc.com/kaku-omosa/
でも、でも「死」を選んではいけません。
ひとたび 「賞」をもらえば 今までの作品も売れるのだから。 いえいえ、「「賞」などもらえなくても、
書き続けて欲しかった。
何をやっても、報われないこともある。
でもでも、生きて続けて欲しかった。
彼に語りかけるには、
彼の作品を読んでみるのが 一番でしょうか。
高校時代は華々しく受賞しているんですけど、
東京に出てきてからはつらい日々なんですね。
作家だけでは食べていけないので、職業訓練校に通ったりも
したようです。
一生懸命生きた人なのだと思いますが、
金属疲労のようにポキッと折れてしまったのかもしれません。
生きるということはなかなかに大変ではあります。
彼にしかわからないことがあったのでしょう。
いろんなことをいい加減にできない人だったので
しょうか。
家族はいたのでしょうか。
こういう“売れない作家を支えるおなご”の役割も
演じてみたかったような気もするのです。
ぽちっ。
人間、折れてしまうときってあるんですよね。
妻も子も母もいたのにね。
ところで、この画像にある加藤登紀子、
なんとなくすっとこさんに似てるんですけど・・・
今、佐藤泰志の小説を読んでます。
良いです。
ポチッをありがとうございました。