パプーシャの黒い瞳 -1- PAPUSZA
パプーシャの黒い瞳
-1-
PAPUSZA
(C)ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013
ちょっと、まじめに。
今から百数十年前のまだ二十歳にもならない頃、詩(のようなもの)を書きました。
この年頃ってそういうことをしてみたい時期なのかもしれません。
悲しいことに、溢れかえる才能など持ちあわせていないので
あの時期だけの麻疹のようなものとして終わってしまいましたが。
本作は溢れかえるほどの詩想を持ちながら
書き文字を持たない部族に生まれたばかりに
大変な苦難を背負った女性詩人を描いたポーランド映画です。
ジプシー女性として初めての詩人となったブロニスワヴァ・ヴァイス(1910~87)
愛称パプーシャの物語です。
「パプーシャ」はジプシーの言葉で「人形」という意味だそうです。
彼女の生きた時代はポーランドの現代史と重なっています。
彼女が生まれた1910年、ポーランドという国は存在しませんでした。
なぜなら、その100年以上も前にプロイセン、ロシア、オーストリアという
周辺3大国によって分割されていたからです。
彼女が8歳の時、第1次世界大戦で3大国は滅亡し、
ポーランドは123年ぶりに国家として復活。
しかし、1926年クーデターが起き、独裁体制が成立しました。
パプーシャが15歳で結婚したのはこの頃。
一族とともに東部一帯で移動生活を送っていました。
1939年にはドイツ軍がポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が勃発。
大戦中に、ユダヤ人に加えてジプシーの根絶を掲げたナチス・ドイツによって
50万人以上のジプシーが殺されました。
その頃、パプーシャたちは現在の西部ウクライナ地方の森の中を逃げ回っています。
1945年、ポーランドは独立。
ですが、戦前の東方領土はソ連に併合され、パプーシャたちジプシーを含め、
そこに住んでいた住民たちは、住み慣れた土地から追放されました。
その後、共産党独裁体制が敷かれたポーランドでは大企業の国有化、計画経済、
イデオロギー統制に加え、ジプシー定住化政策が推進されます。
強固な社会主義体制も1989年「連帯」に政権を明け渡しました。
その2年前の1987年に波乱の人生を送ったパプーシャは世を去りました。
いや、大変な時代に生を受けた女性です。
苦難の時代を生きただけでなく、
字を読んだり書いたりすることが許されない部族で生きたパプーシャ。
独学で文字を覚え、そうして表現した詩は数ヶ国語に訳され、
詩人として百科事典に載る彼女は
ポーランドの最も重要な60人の女性詩人に数えられています。
〈流浪の民〉といわれる彼ら。
ポーランドのジプシーは16世紀神聖ローマ帝国の迫害を逃れて移動してきました。
映画の中でもクンパニアと呼ばれる馬車を連ねて移動するキャラバンが
幻想的に描かれています。
ジプシーの一人の女性に焦点を当てた作品ですが、
彼女の才能を発見した詩人イェジ・フィツォフスキーとの出会いと別れも重要な要。
柔らかいモノクロームのトーンも異文化への憧憬を盛立てます。
監督は昨年12月24日に61歳で亡くなったクシシュトフ・クラウゼです。
本作が遺作となりました。
さあ、いったいどんなお話なのでしょう。
続きは次回まで乞うご期待でございます。
続
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☆3月11日に更新しました。あの日から4年。あらためて亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます☆
パプーシャの黒い瞳
監督・脚本/ヨアンナ・コス=クラウゼ、クシュトフ・クラウゼ、製作/ランブロス・ジオタス、アルゴメディアSP.ZO.O.、撮影/クシシュトフ・プタク、ヴォイチェフ・スタロン
出演
ヨヴィタ・ブドニク/パプーシャ、ズビグニェフ・ヴァレリシ/ディオニズィ、アントニ・パブリツキ/イェジ・フィツォフスキ、アルトゥル・ステランコ/チャルネツキ、パロマ・ミルガ/パプーシャ(少女期)
4月4日(土)岩波ホールほか全国順次ロードショー
2013年、ポーランド、ロマニ語&ポーランド語、字幕翻訳/松岡葉子、配給/ムヴィオラ
http://www.moviola.jp/papusza/
困ったなぁ。
なぜかって言うと
かつては”ジプシー”という言葉へロマンチックな
憧れを持っていたのですけど
ローマで同じツアーの人がジプシーのひったくり
に会い、
ロンドンで自分が2回ひったくり未遂に会い
それが「ジプシーの集団」と聞いてから 偏見を
持つようになってしまったからです。
そんな自分の偏見を上方修正してくれそうな映画
なので・・・機内上映してくれないかしら。
ポチッを押しながらも、ジプシーひったくり事件を
思い出してしまった、すっとこ拝。
父がスペインでひったくりにあって
そのジプシーの女性に抗議したところ、
「なんだって?私が盗んだって?じゃあ、調べてごらんよ!ほらほらほら」
と洋服を脱ぎ始めたそうです。
とまあ、父は嬉しそうに話してましたが、
そういう目に会う人は多いそうですね。
そんな目にあったことのないわたしはなんとなく憧れていますが。
ひったくり事件を思い出させてしまってごめんなさい。
そして今日もポチッをありがとうございます。
と言うイメージがあります。
ジプシーも「悲劇の民」と言うイメージがありますが、
芸術的な感性を持った民族なんでしょうね。
ポーランドの事、ジプシーの事、
映画を観て少しでも理解できればなぁ と思います。
次回ストーリー紹介待ってます。
ポーランドは迫害の歴史を生きた国です。
ジプシーも迫害を受けた民族です。
迫害されたり、迫害したり、
人間って難しい生きものですね。
でも、今日は誕生日なので人間の良い面を見たいと思います(^^)v
ますますお元気で、華の150歳代を謳歌して下さいませ。
さて、わたしも少しばかりすっとこさんと似ています。
ジプシー(ロマ)と聞くと、ちょっと困ったな、と思ってしまう。
集団としてのジプシーは欧州ではやっぱり「困った人たち」扱いされてしまうのです。まっとうに働こうとしない、盗みや物乞いをする人が多い、子どもを学校にいかせない、、、、悪いイメージがかなり多いです。
といって、パリで見かけるロマたちが「ジプシー(ロマ)」の全体を見せてくれているとも信じられないですね。自分たちが定住型の生活に慣れ切っているから、見えない部分もあるのじゃないかな、と思ったりします。とにかく、あれこれ言えるほど詳しいことを知っているわけではありませんから。
そんなジプシーの中に、彼女のような人がいたとはまったく知りませんでした。ジプシーのこと、ポーランドのこと、いろいろ勉強になりそうです。次回を楽しみにしております。
ありがとうございます。いくつになってもお祝いしていただけると晴れやかな気分になります。
ジプシーのことをシンチとかロマと呼ぶようになっているということを知ってはいるのですが、なぜかジプシーという言葉にロマンティックなものを感じてしまいます。「ツィゴイネル・バイゼン」だってそうですし。
梨の木さんも言ってらしたし、すっとこさんも、亡くなった父も被害にあっているのに、ジプシーと聞くとなぜか遠い目になってしまうとのです。