奇跡のひと ~マリーとマルグリット~-1- MARIE HEURTIN
奇跡のひと ~マリーとマルグリット~
-1-
MARIE HEURTIN
(C)2014 - Escazal Films / France 3 Cinema - Rhone-Alpes Cinema
「奇跡のひと」といえば
サリバン先生の奮闘を描いた映画『奇跡の人』(『ヘレン・ケラー物語』(‘63 アーサー・ペン監督)を
思い出します。
ラストでヘレン役のパティ・デュークが勢いよく溢れ出る水を手に受けて
“ワラー!”と声を発するシーンは100年以上経った今も新鮮です。
Waterとはワラーと発音するのか、とビックリしたことも懐かしい想い出。
自分自身が子どもだったので少女ヘレンを演じたパティ・デュークは憶えていても
サリバン先生を演じたアン・バンクロフトのことが記憶にないのは残念ですが。
アメリカで言葉の存在を知るため、
もがいていたヘレン・ケラーとほぼ同じ時代のフランスにも、
もうひとりの奇跡のひとがいました。
その名はマリー・ウルタン(1885~1921)。
ヘレン・ケラー(1880~1968)が1880年生まれですから、マリーの方が5歳年下です。
二人とも視えず、聞こえず、話せずの三重苦を背負っています。
でも、マリーの場合は生まれながらの三重苦でした。
2歳の時にかかった病気が元で視力、聴力を失ったヘレンとは違い、
光の記憶も音の記憶もまったくありません。
しかし、二人とも人間的に生きることを献身的に教えてくれた師に恵まれたことは同じでした。
ヘレンはサリバン先生。
そして、マリーはマルグリット先生――
マリー・ウルタン
マリーは1885年4月13日、フランスのヴェルトゥに生まれた。
生まれつき眼も視えず、耳も聞こえず、
10歳までは動物のように食べて遊ぶだけの毎日で妹や両親のことを叩いていた。
意地悪で犬のようにわめく子どもだった(本人の言葉)。
そんな彼女は医師によって精神薄弱と診断され、精神病院へ入るよう勧められるが、
樽職人の父はラルネイ聖母学院での教育に望みを託す。
この学院で盲聾の少女の受け入れはマリーが3人目だったが、
シスター・マルグリットが献身的に教育を続けた。
ラルネイ聖母学院はラルネイ英知会という修道院によって1835年に創設。
もともとは聾唖の少女のための学院だったが、
1857年には盲目の少女たちも受け入れるようになり、
20世紀初頭には250人の寄宿生を抱える。
その後、男子も受け入れるようになり、
創立から180年を迎えた現在も盲聾の子どもたちへの教育を続けている。
ヘレン・ケラーが裕福な家に育ったことと比べると
マリー・ウルタンは貧しい樽職人の娘。
このラルネイ聖母学院の存在は本当にありがたいものだったでしょう。
そして、シスター・マルグリット。
不治の病を抱えながら、
狂犬のようだったマリーを人へと変えた愛情と努力には頭が下がります。
人が人として生きるには言葉を知ることがどれほど大切か、
そして、人が人らしく生きるためには礼儀もまた必要な心の糧であることが
二人の激しい肉弾戦のような教えと学びの中から知らされます。
『奇跡の人』(ヘレン・ケラー物語)を観た人も、そうでない人も
激しいぶつかりあいの中から学んでいくマリーとマルグリットのお話を
お楽しみください。
続きは次回までしばしお待ちくださいませ。
続
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奇跡のひと ~マリーとマルグリット~
監督/ジャン=ピエール・アメリス、脚本/ジャン=ピエール・アメリス、フィリップ・ブラスバン、撮影/アン・スリオ、美術/フランク・シュワルツ、プロデューサー/ソフィー・ドゥニ・キャロ
出演
イザベル・カレ/マルグリット、アリアーナ・リヴォワール/マリー・ウルタン、ブリジット・カティヨン/学院長、ジル・トレトン/マリーの父、ロール・デュティユル/マリーの母
6月6日(土)シネスイッチ他全国順次公開
2014年、カラー、94分、提供/ドマ、スターサンズ、ハピネット、配給/スターサンズ、ドマ、協力/ライフ・クリエーション(いのちのことば社)、推薦/カトリック中央協議会広報、年少者映画審議会スイセン、字幕/齋藤敦子
http://www.kiseki-movie.jp/
こちらにもヘレン・ケラーさんが!
そうですか。確かにアメリカだけでなく世界中に
聾唖・盲人の方はありますものね。
耳の悪いすっとこは 見た目には耳が悪いのが
わからない為に 初対面の方に迷惑かけることが
多々あるのです。特に音楽のかかっている場所、
人が大勢で話し声がガヤガヤしてる場所、水が
流れている場所などでは かなり特定の声が聞き
とれないのです。
それだけでも苦労なのに、聾唖や盲目の方の世界
とは・・・
想像が難しいです。コミュニケーションが取れずに
精神薄弱と思われてしまうのは、ある事だと思う。
すっとこも相手の質問が聞きとれずに「あ?」という
顔してしまい、「ちょっと見、馬鹿」と言われた爆笑
経験あり。あ、笑ってる場合じゃないか。
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そっかぁ。学生時代の友人にも耳の悪い人がいて、
「こっち側に座って」とあらかじめ言われます。
耳が悪いかどうかは見ただけではわからないから、
言っていただけると助かります。
どこか不自由ということは、困ります。
150歳になるとあちこち不自由な部分が出てくるんだよねぇ(-_-;)
力強いポチをありがとうございます。
「パティ・デューク・ショー」楽しみにしていました。
ヘレン・ケラーが三重苦で、どのようにして学び、
大学にまで行ったか。
冷たい水を手に受けて、「ワラー」と言ったのは、
理解できるけど、抽象的なことなど どのようにして
学んだか、どうしても理解できません。
ましてや、生まれつき音も聞こえない、目も見えない
マリーがどのようにして 学んだのでしょう.
興味津々です。
しかし思うに、女性がペアになると、強さを感じます。同性と言うのが、年齢を超えた意味を持つのでしょう。
え~、ネタばれしてしまい恐縮ですが、
本作はマリ―が「死」という抽象的な事象をどのように理解し、
またどうやって理解させようとするかも重要なみどころと
なっています。
それにしてもフランスの田舎町ってきれいだ♡
へぇ、原田マハさんが日本版ヘレン・ケラーですか?!
早速図書館へ行きます。
そうですよね。男性が教師ではこうはいかないでしょうね。
修道女も家庭教師も女性の仕事ですが、聾唖の人には男性も
いたわけで、この組合せの場合はどうだったんでしょう。
マリ―のいた修道院も後には少年も受け入れるようになったといいますが。