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殿様の試写室

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人間爆弾「桜花」-特攻を命じた兵士の遺言- -1- Palore de Kamikaze


人間爆弾「桜花」
-特攻を命じた兵士の遺言- 
-1-
Palore de Kamikaze

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(C)Comme des Cinémas


第二次世界大戦末期
大日本帝国海軍によって1944年に開発され、
45年に実戦に投入された特攻兵器「桜花」。
特攻のためだけの兵器として開発、実用化、量産された航空特攻兵器。
世界でただ一つのものでした。

「桜花」は航空特攻兵器という名を持ちながら
自力で飛ぶためのエンジンはありません。
その代わり、機首に最大1.2トンの爆弾が搭載され、
母機に吊るされて敵艦の近くまで運ばれます。
そして、一人で乗機しているパイロットが
敵艦に確実に衝突できるように機を誘導するのです。

もちろん脱出装置などありません。
人が爆弾を操縦(?)するから人間爆弾なのです。

しかし、多くの場合
「桜花」を運ぶ母機は目的地に着く前に撃墜され、
戦果を上げることもなく終戦を迎えました。

連合国側はこれをBAKA BOMB(単にBAKAとも)と呼んでいたそうです・・・

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本作は日本で最初の特攻隊「神風桜花特別攻撃隊神雷部隊」
いわゆる人間爆弾「桜花」の第一志願兵でありながら認められず、
出撃者を指名する役割を与えられた林富士夫が
監督・澤田正道のインタビューに淡々と答え、
あるいは、押し黙り、
遠い目をする様子を
74分にわたって映し出した異色のドキュメンタリーです。

登場人物は林富士夫氏ただひとり。
アーカイブ映像などはなく
林氏のインタビューのみで構成されています。

澤田正道監督は語ります。
「私が望んだのは彼との対話でした。
その意味で沈黙によって1つの時間を共有し思考することが
この映画を作る行為そのものだと思いました」

澤田正道
1985年渡仏。
1993年映画製作会社Comme des Cinémasをパリに設立。
河瀨直美監督作品『あん』『2つ目の窓』、黒沢清監督作品『岸辺の旅』
今村昌平監督作品『カンゾー先生』などをプロデュースし、
多くの日本映画をカンヌ国際映画祭に送り出した名プロデューサー。
本作が初監督作品となり、
第67回ロカルノ国際映画祭の新人監督賞スペシャル・メンションに輝いた。
30年以上フランスに住む。

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フランス在住の監督が日本人として
林富士夫という深い悲しみを背負って戦後を生きてきた老人と向き合った作品です。

戦争を知らない150歳としては
とまどうことも多い映画ですが、
本作がフランスで公開されたその日
林氏は93歳で永眠しました。
彼のまさに遺言として
本作に厳粛に向かい合いたいと思います。



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人間爆弾「桜花」-特攻を命じた兵士の遺言-
監督/澤田正道、取材/澤田正道、ベルトラン・ボネロ、プロデューサー/澤田正道、アンヌ・ぺルノー、撮影/ジョゼ・デエー、挿入歌/ロベルト・シューマン「二人の擲弾兵」
出演
林富士夫
8月27日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
2014年、フランス、74分

by Mtonosama | 2016-08-17 05:15 | 映画 | Comments(9)
Commented by なえ at 2016-08-17 20:52 x
特攻として出陣させられるのも指名するのも辛いですね。
狂気としか思えない軍の方針にどう考えて行動されたのか聞きたいです。

母は弟が海軍(確か)にいて「日本は負ける」と聞かされていたと。玉音放送はビーガービーガー雑音ばかりでさっぱり分からなかったそうです。アメリカが攻め入って来たら、子供を殺して自分も死のうと思っていたと言ってました。鬼畜米英教育がしっかり浸透してたんですね。もっとその当時のことを聞いておけばよかったと思います。

八重葎茂れる宿の寂しさに・・・
何とか法師さんの歌ですね。でもあの日は友達が助っ人に来てくれ、夏真っ盛りで(スプレーしたのに)蚊に刺されまくりどした~。
そうなんです、色々あってお答えが遅れましたが、一方に小池百合子のような妖怪、他方にヘドロ漬けのタコ坊主という、右を見れば崖道、左を見れば絶壁状態(@_@)

びなちゃんさん
隣り合ってる土地に大きな建物が建つ時ってそういう危険性が
あるんですね。えぐられた時に集中豪雨なんか来てたらえらいことになるところでしたね。タコはどこかに移る気配はありません(-_-メ)引っ越してくるなりデカイ門を作って(前住職は門も作らず皆気軽に寄ってください、て姿勢だった)俺の敷地に勝手に入るな!て態度。ほんとケ○の穴が小さく、そして虚勢を張る。
Commented by びなちゃん at 2016-08-18 00:35 x
先日の新聞の戦争体験者の読者投稿欄。
特攻隊の兵士で載る前に失●したり失●した者もいたそうです。それを整備兵をしていた投稿者が機体に載せる、手助け?をしていたと。そんな役?をしていた人がいたことも知りませんでした。勿論、投稿者が体験談として公にしなければ当然消え失せていた事実でしょうね。
自ら載っていったのかと思っていました。覚悟の上で。
もし自分に息子がいたら。ああ、彼らの年を改めて思います。

なえさん、暑い夏。でも弁護士さんが進めているので、なんだか白々とした争いなんですね。みるくんの遺した毛、泣けます。手に入れられて良かった。
Commented by びなちゃん at 2016-08-18 00:39 x
↑上のコメント、使ってはいけない言葉が入っていると拒否されて●二つにしましたよ。それぞれ、神と禁が入ります。このコメントは拒否されないよね😅
Commented by Mtonosama at 2016-08-18 07:00
♪なえさん

ヘドロタコ坊主・・・
前住職さんが門を作らず「みなさんおいでなさい」だったのに、
なんですか?それ。
「畜類なお恩を報ず、人類いかでか恩を知らざらん」と、修証義というお経にあるよ。
坊主のくせに知らないの?

とんでもない坊主が現れたものですね。
でも、裁判うんぬんを別にすれば平安時代みたいな風情を感じます。
やっぱり京都だなあ。と京都に憧れる150歳。すいません。

私も戦争当時のことをもっと聞いておけばよかったと思います。
弁士だった祖父が話してくれたのは焼夷弾というのはコールタールみたいにべたーっとしたもので
背中に落ちたときは大変だったとか、
父は中国の大地を貨車で移動させられながら、放尿したらみるみる凍ったとか、
軍靴が小さかったら足の方を合わせろと上官にいわれたとか。
そういう話は聞かされましたが・・・
父の足は無理やり靴に合わせたため、巻き爪がひどく鷲みたいな足をしていました。
もういないけど。
Commented by Mtonosama at 2016-08-18 07:05
♪びなちゃんさん

私もその記事読みました。
そうだよなあと思った。自分だったら絶対にできないもんなあ。

凛々しく敬礼して特攻機に乗り込んだ青年もむろんいたでしょう。
でも、死ぬとわかってて飛行機に乗り込みたくないに決まってます。
まだ高校生、大学生の年頃の男の子だよ。
そんな死に方させるために子供を産んだんじゃないやい。
Commented by ヨモギ at 2016-08-18 20:32 x
終戦から70年以上が過ぎて
いろいろな事柄が、コロモを剥がれて、真実の姿をあらわしてきたのですね。
美化されていたことの本当の姿、語る人もつらかったことでしょう。 大切な記録ですね。
私も東京大空襲の話を、亡き母から聞いたことがありました。
母は祖父母と郊外に住んでいたので、火災は免れたそうですが
焼夷弾が不発のまま押入れを直撃して、腰が抜けるほど驚いたそうです。
郊外なのに空襲にあったのは、電車の倉庫があったのと、
近くに大規模な変電所があり、両者が爆撃にあったそうです。
アメリカ軍は地上のこまかい事柄を、把握して爆撃してきたのですね。 こういう国には負けるわけですよね。

遅ればせながら、先週、『ロングトレイル!』を見てまいりました♪
当該のところに感想を記させていただきました^^。
Commented by Mtonosama at 2016-08-19 08:29
♪ヨモギさん

期せずして、戦争を知らない子供たちの戦争体験報告の場になりました。
私は名古屋出身ですが、名古屋といえば100m道路が有名です。
こんな広い道ができたということはそれだけ空襲がひどかったということですね。
また名古屋には平和公園という大きな墓地があります。
これは戦争中(?)市内の各寺院の墓地を全部この公園にまとめたからだそうです。

でも、戦争が終わって何年か経った頃、幼い私は工事現場の穴の脇に
茶色く変色した頭蓋骨を集められているのを見たことがあります。
まだ、平和公園に安置されなかった骨が出てきたんですね。

戦争を知らない150歳ですが、それなりの体験はあるものです。
それにしても押し入れに落ちたという焼夷弾、不発で何よりでしたね。

戦争は嫌です。
Commented by すっとこ at 2016-08-19 23:25 x
ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおお!

BAKAと呼ばれても仕方のない桜花作戦。
【散る桜 残る桜も散る桜】からの【桜花】
命名でしょうか。

自分は長州にある【人間魚雷 回天】博物館
へ見学に行きました。基地跡地にあり。

人1人がやっと、という狭い空間に押し込め
られ 外からリベット打たれて訓練中から何人
も犠牲者が出たというのに中止しなかった
無謀さは【桜花】も【回天】も一緒ですね。

失⚫️や失⚫️の方を 担ぐように乗り込ませた、
とは知りませんでした。皆さん笑って敬礼し
て出発なさっていたのかと。
そりゃあそうですよね!死にに行くのだもの。

本当にギリギリ人のタイミングで後世に残す
べき映画を撮ってくれた監督に感謝ですね。

〈横ですが
びなちゃんさん、崖っぷちの怖い思いを!
なえさん、タコ坊主に天誅下りますように!

この映画 ぜひ見なくては、のポチッと‼︎
Commented by Mtonosama at 2016-08-20 05:04
♪すっとこさん

回天も残酷な兵器ですね。
何年か前に回天に乗り込む兵士を描いた映画を観ました。
主演は市川海老蔵でした。
彼が役に合う合わないは別にして、私がびっくりしたのは
映画宣伝担当の若い女子が「人間魚雷のことをこの映画で初めて知りました」
といったこと。
150歳と20代では当然ながら違うとはいえ、伝え続けていかないと怖いことになるな、
と思いました。

今日もポチッをありがとうございました。