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人間爆弾「桜花」-特攻を命じた兵士の遺言- -2- Palore de Kamikaze


人間爆弾「桜花」
-特攻を命じた兵士の遺言- 
-2-
Palore de Kamikaze

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(C)Comme des Cinémas


特攻というとパイロットが自ら飛行機を操縦し、
海上の敵艦に向かって飛んでいき、
飛行機もろとも衝突するものだと思っていました。

それが、この「桜花」は
搭載するのは爆弾だけで、エンジンがないというのです。
搭乗する兵士は「桜花」のパーツに過ぎない訳です。

本作に登場する林富士夫氏(撮影当時92歳)は「桜花」の第一志願兵でした。
「桜花」が実戦に投入される1945年3月
林氏は海軍学校を首席で卒業した海軍大尉。
第一志願兵でありながら22歳の若き海軍大尉は上官から命令され、
隊員の中から出撃隊員を選び出し、人間爆弾とする役目を担わされました。

林富士夫
1922年 栃木県宇都宮市生まれ
1935年 下野中学校に入学し、在学中に受洗
1939年 海軍兵学校(71期)入学
1941年12月 太平洋戦争勃発
1942年11月 海軍兵学校を首席で卒業、霞ケ浦航空隊に着任
1944年5月 筑波航空隊に着任
同年10月 神雷部隊(筑波)に転勤
1945年1月 神雷部隊、鹿屋に移転
同年8月15日 終戦

戦後
今市付近で開墾
笠間中野酒造に就職
佐賀で瓦屋、饅頭屋など
宇都宮に戻り、再び開墾
1951年4月 旧軍人出身者の公職追放解除、映画会社“民映”入社
1953年 結婚
1954年 長女誕生
同年11月 航空自衛隊に入隊
1958年2月 長男誕生
第五航空団防衛部長、飛行点検隊長、救難団副指令、
西部航空方面隊防衛部長、輸送航空団入間航空隊司令などを歴任
1975年2月 航空自衛隊を退職、住友海上火災保険に入社
1985年12月 住友海上火災を退社

筑波航空隊OB及び遺族の組織“つくば会”設立

2015年 永眠(享年93歳)

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父親が軍人だったため、
当時は東京帝国大学よりも難関だといわれた海軍兵学校に入学しましたが、
本当はバイオリニストか声楽家になりたかったという林氏。
本作でも静かに歌うシーンがありましたが、
そのしっかりとした歌声に驚きました。
戦争さえなければまったく違う人生を送っていたのでしょう。

林氏は監督の質問に対し、真摯に耳を傾け、きちんと答えます。
訊かれたことには答えを返しますが、
自分から話そうとはしません。
映画の中に出てきた唯一の当時の写真。
軍隊時代の集合写真を見せられても
自分の顔さえわからないということでした。

淡々と
「生きるといっても死ぬために生き延びているだけだから・・・」
と語る林氏。
彼が唯一激しい口調で語ったのは
「一言くらい「すまん」ということが人間天皇の務めではないか」

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この言葉以外、彼は声を荒げることはなかったし、
自分から戦争について「桜花」について
積極的に語ろうとはしていないように見えました。
几帳面な性格を表すように模型飛行機で戦闘の様子を説明します。
そして、ぽつりと
「お前さんを殺すぞ(出撃隊員を選び出した)と言った後は、
草むらに身をひそめて泣きました」
と話すのでした。

せっかくこのような生き証人を撮影する機会を得ながら
なぜもっと証言を引き出すことはできないのだろうか、
と正直落胆もしました。

でも、訊く側にとっても答える側にとっても
これが限界だったのかもしれません。

彼の戦後の人生を見てください。
公職追放され、荒れ地を開墾し、饅頭屋をやり、
結婚し、娘が生まれ、航空自衛隊に入隊し、生活が多少安定し、
息子が生まれ、子供たちを育て上げるまでは必死だったのでしょう。

本作で見られるのは既に肉体的な限界を迎えつつあった92歳の老人。
インタビューのために監督に与えられた時間は8日間。

林氏から存在そのものを吸い出すようなカメラ。
執拗なまでに林氏を追ったその映像の中に
愚かな戦争とBAKA BOMBによって押し流されていった人生を読み取っていくことが
遺言であるこの映画の観方なのかもしれません。



 

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人間爆弾「桜花」-特攻を命じた兵士の遺言-
監督/澤田正道、取材/澤田正道、ベルトラン・ボネロ、プロデューサー/澤田正道、アンヌ・ぺルノー、撮影/ジョゼ・デエー、挿入歌/ロベルト・シューマン「二人の擲弾兵」
出演
林富士夫
8月27日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
2014年、フランス、74分

by Mtonosama | 2016-08-20 04:55 | 映画 | Comments(14)
Commented by ヨモギ at 2016-08-21 00:08 x
「一言くらい「すまん」ということが人間天皇の務めではないか」。。。。。

さきの戦争の真の仕掛け人は誰だったのか。
私には、天皇個人が起こした戦争とは思えません。
明治維新のときに天皇を利用して表に出してきて
そのまま、日本人の気持ちを上手く利用して
「天皇」の名を借りて戦争を始めた黒幕は何者なのか。

そこを考えない限り、日本人は時代の流れに乗せられてしまうのではないか。
「青年よ、心して政治を監視せよ」といった知識人がいたそうですが
マスコミの論調やメディアなどの なにかをあおるような話にも、付和雷同の気持ちにならないように気をつけようと思います。


Commented by Mtonosama at 2016-08-21 06:09
♪よもぎさん

悩ましい問題ですね。
煽るような論調に乗りやすい軽佻浮薄な150歳は
おっしゃる通り一拍おいて対応しなければと胸に叩き込みます。

BS3「英雄たちの選択」という磯田道史さんがMCをしている番組を時々観ます。
先日は三国同盟の話で陸軍先行型でことを決め、反対派だった海軍も最終的には
同調し、第二次世界大戦が始まったと言っていました。
三国同盟以前は米国は敵ではなく、
また米国の石油に全面依存していた日本がこの国を敵に回すなど
とんでもないことだったそうです。
なのに陸軍のごり押し・・・

でも、兵士たちは問答無用に「天皇陛下万歳」と叫んで死地に向かわされた。
天皇も被害者ではあるのかもしれないけれど、その名を呼んで「桜花」や「回天」に乗り込んだ兵士たちは一言「すまん」と言っていただきたかったのかもしれませんね。

大変な時代でした。
Commented at 2016-08-21 13:57 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by Mtonosama at 2016-08-21 14:56
♪アイスケーキさん

東京大空襲の時に皇居は開放されなかったんですね。
関東大震災の時は開かれたのに(『天皇の料理番』にそんなシーンがありましたよね)。

時代がそれを許さなかったとはいえ、皇居が開かれていたらどれほどの人が助かっていたでしょうね。

ああ、ホントになんという時代だったんでしょう。
Commented by ヨモギ at 2016-08-21 20:18 x
こんばんは~♪

さきほど、書き込みさせていただいたコメントをケシケシいたしましたが
あんまり言及してはマズイような事柄だったので
自粛(笑)させていただきました~^^。

今夜半から台風の影響が出てくるようですね!
植木鉢をまとめて、飛ばされないようにしなくちゃです。
雨降りが好きな愛猫は、またベランダの戸をあけて
雨見物するんだろうナ。。
ひかちゃんも朝錬には気をつけて。。というか、
出ないほうがいいと おばさんは思います(^0^)/
Commented by Mtonosama at 2016-08-22 06:45
♪ヨモギさん

自粛・・・
私も敬語を使ってしまいました。
私より年長だから敬語を使ってもいいんだよな、
とあれこれ悩みました。
そのどこかに<自粛>の2文字があったかも。

ひかちゃん、朝練行きましたよ。
さすがに早い時間に帰ってきましたが。
おバカですよね(^-^;
Commented by なえ at 2016-08-22 10:25 x
林氏がどういう意味で「一言くらい「すまん」ということが人間天皇の務めではないか」と言われたのかははっきりしませんが、私も天皇は謝罪すべきだったと思います。ヨモギさんの「天皇個人が起こした戦争とは思えません。」という意見に私もまったく同感です。ただ個人としてより、戦争遂行の体制の長として反省し謝罪はすべきだったと思います。それによって真の責任者は誰かを追求して行けたと思うのです。戦後の日本を統治しやすいように天皇制は存続され、責任はうやむやで今日まで来て、また何だかきな臭い世情になってきてしまいました。

私たちは祖父母・親・親戚から戦争体験を直接聞いた世代で間接的であっても戦争の悲惨さを知ってます。そういう聞き書き集を次の世代に伝えるのも大事なことと思えます。

私も京都の風情は好きですよん。でもハードとソフトは違うんです。人間は既得権にしがみつくと腐敗堕落していくんですね。
Commented by Mtonosama at 2016-08-22 10:53
♪なえさん

一言謝罪してくれれば、BAKA BOMBといわれようが
遺された家族や友人の気持は落ち着いたんじゃないか。
天皇は当時の人々に対してそれだけの存在だったと思います。

戦争を知らない150歳が何をいおうと説得力はないのですが。

でも、おっしゃる通り、両親や祖父母から間接的にでも戦争の話を聞いたのが
150歳の私たちです。現状のやばい雰囲気をなんとかしないと・・・

Commented by ヨモギ at 2016-08-22 14:13 x
こんにちは。

殿様、わたしがいったん書き込ませていただいて、
その後、言及するとあまりよくないのではと思ってケシケシした内容を、ここでもう一度書かせていただきますね。

「すまん」という一言があれば、戦争でつらい思いをされた方々の気持ちが少しは癒されるのではないか、ということ、
わたしも同感はいたしますが。。。
もし、その一言を言った場合、「戦争責任を認めた」ということになり
戦争実行の実質的最高責任者とみなされ、あの「東京裁判」の席に呼ばれたことでしょう。
そうなれば、軍人さんたちと同じ刑(東条英機のような)を言い渡された可能性があったのですよ。
戦勝国も、それは望んでいなかったと思います。

天皇がマッカーサーに会ったときの写真がありますね。
あの時、マッカーサーは天皇が「命乞い」に来たのかとはじめは思ったそうですね。
でも「自分はどうなろうと国民は助けてもらいたい」と言いにきたそうですね。
それによって、マッカーサーは日本への戦後政策をかなり変えたとか。

戦争時の軍人の横暴、軍国主義の恐ろしさ、それをよくよく知ることが大事だとわたし的には思っております。

人間としての心情を言うことができなかったのが実情ではなかったか。。。と思います。
 
Commented by Mtonosama at 2016-08-22 18:42
♪よもぎさん

おっしゃる通り、昭和天皇は真情を吐露できない立場にあったのでしょうね。

マッカーサーと撮ったあの極端に背の高さの違う写真も
本当なら天皇は着席し、脇にマッカーサーが立つという
姿勢を取るべきだったのでしょうが、
わざと背の高さの違いを強調して戦勝国と敗戦国の立場を知らしめたということを聞いたような気がします。
でありながら、アメリカは天皇制を日本統治のために利用したんですよね。

桜花や回天で死地に赴いた兵士たちはあまりに悲惨です。
残酷な過去ですね。
Commented by すっとこ at 2016-08-22 23:51 x
うーーーーーーーーーーーーーーーーーむ!

活発な議論が巻き起こっておりますのう。

天皇が謝罪すべきであったかどうか、体制の中枢
の人間としては謝罪は大変に危険な事でありま
したろう。国際的に。

しかし翻って いち個人としてなら きっと天皇は
謝罪したかったもではなかろうか。
多くの無辜の民が「天皇の赤子として」出征させ
られ 死ぬときは「天皇陛下万歳!」と突撃して
言ったと世間では信じられていたから。

天皇という名の下の責任とは?

しかし これも実際には「お母さーん」と叫びなが
ら駆け出した少年兵も居たと聞きました。

マッカーサーの咥えパイプに腰に手を当てた(
ズボンのポッケに手を突っ込んでた、だっけ?)
ポーズは これが全世界へ配信される事を十二分
に知った上での格好でしょう。うぬぬぬ。

一言では言い尽くせない思いを込めてポチッと!!
Commented by Mtonosama at 2016-08-23 05:04
♪すっとこさん

ひかちゃんに匹敵する数のコメントをいただき、
彼女も顔を洗いながら「うれしいニャ~」と喜んでおります。

なかなか悩ましい問題ですが、
林さんが92歳で私たちに遺していった遺言だと思います。
彼らにだけ荷物を負わせ、亡くなったら「はい、おしまい」ではいけないですもんね。
遺された150歳もその世代の父母を持つ存在として次世代に伝えていかなくてはならないと思います。耳を傾けてくれるかな。

今日もポチッをありがとうございました。
Commented by poirier_AAA at 2016-08-30 20:39
遅いコメントで失礼します。

この夏フランスでは「Florence Foster Jenkins」というメリル・ストリープ主演の映画が公開されたのですが(あの「偉大なるマルグリット」のハリウッド版ですね)、その予告編を見てなんか無性に切なくなってしまったのでした。彼女がカーネギーホールでコンサートを開いたのが1944年の10月なんです。同じ頃の日本は、ここまで文化活動を維持するゆとりなんか全然ありませんでしたよね。。。。

そこまで国の体力が違う相手と戦うために考え出した方法が「人間爆弾」だったわけですよね。女子供も竹槍で敵を突く練習をさせられてたわけですよね。一億総玉砕なんて標語だって、それを本気でやったら元も子もない話なのに。。。。
狂気としか思えません。

その狂気がぶりかえしそうな気配を感じる最近です。。。
Commented by Mtonosama at 2016-08-31 05:54
♪poirierAAAさん

おかえりなさい。

映画を観ているときは林さんの静謐さに疑問を感じ、
インタビュアー兼監督はなぜもっと突っ込んで話ができないのかと思いました。
でも、彼の静謐さがすべてをあらわしているんですね。
いま、画像を見ているだけで悲しさ、人生、愚かさが心にしみ込んできます。

エンジンの代わりに爆弾積んだ飛行機って・・・
どこからそんな発想が生まれるのでしょう。
人間魚雷・回天だって、出口のない武器です。

連合軍にBAKA BOMBと呼ばれても乗っていった人たちはBAKAじゃない。
つらい時代です。