サーミの血 -2- Sameblod
サーミの血
-2-
Sameblod
(C)2016 NORDISK FILM PRODUCTION
本作では脚本も書いたアマンダ・シェーネル監督。
彼女の祖父母は自分達がサーミ人であることを隠し、
サーミ語を話すこともありませんでした。
監督は年配のサーミ人たちの多くが
ルーツを捨て、スウェーデン人になった姿を
目の当たりにして育ってきたそうです。
本作に登場するのは
故郷を捨てた姉、そして、故郷にとどまった妹。
物語は妹の葬儀に向かう姉の姿から始まります。
ストーリー
クリスティーナは孫娘と共に息子の運転する車で
妹の葬儀の行われる故郷へ向かっている。
少女の頃に捨てた故郷、本当の名前、
そして、死ぬまで会わなかった妹と
数十年ぶりに出会う旅だった。
家族や親戚を残し、ひとりホテルに戻った彼女は
少女の頃を思い出す―――
1930年代、ラップランドで暮らすサーミ人は
差別的な扱いを受けていた。
エレ・マリャとその妹ニェンナは親元を離れ、
サーミ語を話すことを禁じられた寄宿学校に通っていた。
エレ・マリャは成績優秀で進学を望んでいる。
だが、スウェーデン人の女教師は
「あなたたちの脳は文明に適応できない」
と断言するのだった。
ある日、エレ・マリャは
スウェーデン人のふりをして紛れ込んだ夏祭りで
都会の少年ニクラスに出会う。
その時、彼女が咄嗟に名乗った名前は
「クリスティーナ」。
学ぶこと、自分の未来を自分で決めること、
人間として当然の権利も与えられない生活から
逃げ出したいと思っていたエレ・マリャは
ニクラスを頼って街へ出た。
憧れていた学校に入学し、
スウェーデン人「クリスティーナ」としての
生活を始めたエレ・マリャ。
だが、授業料の支払いを求められ、
現実を思い知らされるのだった。
行き詰った彼女は親元に戻り、
自分のトナカイを売って学費を払ってほしいと頼むが
断られてしまう。
翌日、エレ・マリャは全てを断ち切るように
自分のトナカイを殺す……
サーミには国の政策や多数民族社会からの偏見や差別に
苦しめられた歴史があります。
スウェーデンは、定住しないサーミに対する
排除政策を取っていました。
サーミは他の人種より劣った人種的特徴を持っているとされ、
骨格や歯などを測定されたりもしました。
映画の中でもエレ・マリャが顔の骨格を調べられたり、
裸にされ、体格を測定されたりするシーンもありました。
窓の外からスウェーデン人の少年が覗いているのに。
分離や差別は学校教育にも広がり、
1913年の学校法によってサーミ人の子どものため
「移牧学校」が作られます。
これはトナカイ飼育業の児童を公立の学校から排除するためでした。
エレ・マリャや妹ニェンナがいたのもこの学校です。
彼女たちが学校へ向かう途中、
近隣の青年たちがかける罵りの言葉。
それを無視し、相手にならないように
まっすぐ前を向いて歩くエレ・マリャ。
その後、この境遇から逃げ出すために取る彼女の必死の行動――
ここまでするしかなかったのかと
胸がしめつけられます。
少数先住民族の受けるいわれのない差別。
世界中で今も起こっていることです。
終
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サーミの血
監督・脚本/アマンダ・シェーネル、製作/ラース・G・リンドストロム、撮影/ソフィーア・オルソン、ぺトルゥス・シェーヴィーク
出演
レーネ=セシリア・スパルロク/エレ・マリャ、ミーア=エリーカ・スパルロク/ニェンナ、マイ=ドリス・リンピ/老いたエレ・マリャ(クリスティーナ)、ユリウス・フレイシャンデル/ニクラス、オッレ・サッリ/オッレ、ハンナ・アルストロム/教師
9月16日(土)より新宿武蔵野館、アップリンク渋谷ほか全国順次公開
2016年、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、108分、南サーミ語、スウェーデン語、後援/スウェーデン大使館、ノルウェー王国大使館、配給/アップリンク、http://www.uplink.co.jp/sami/
定住しない人たちなんですね。
自分のルーツを捨てたい、捨てなければ自由になれないと思うなんて、切ないことです。でも、似たようなことを感じている人は世界中にたくさんいるでしょうね。
切なそうだけれど、見てみたいです。
1930年代って魔の時代ですね。
でも、2010年代になっても起こっていることなのではありましょうが。
昔、スウェーデンで見た穏やかな人々もまた心の底に差別意識を秘めているのか、と悲しくなりました。人である限り、誰でも持っているものなのでしょうか。
どのように受けとめられているのでしょう。
サーミ人への差別は今も
あるのでしょうか。
TV番組では。サーミ人の
美しい自然の中で逞しく生きる姿を
描いていました。
スウェーデン社会の中で「差別」されている
と言う感じはしなかったけれど、
現実は 今も もっと厳しい生活を
強いられているのでしょうか。
以前、中国四川省で”少数民族たちの融和”みたいなコンセプトで綺麗な民族衣装を着て踊っている観光ショーを見たことがあります。先日、地震があった九さい溝も先住民族の住んでいた地域だったと聞きます。
見世物のようになるか、自分の民族を捨て去るか、30年代の差別はもうないにしても、彼らにとっては自らのアイデンティティを問いかけつつ生きることになるのでしょうか。
是非、映画館でご覧になってくださいませ。胸に迫る映画でした。