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殿様の試写室

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カテゴリ:映画( 950 )

七夜待(ななよまち)
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(c)2008『七夜待』製作委員会

     河瀬直美という監督名に惹かれて「七夜待」を観にいきました。
     昨年「殯(もがり)の森」でカンヌ映画祭グランプリを受賞したあの監督です。
     授賞式の様子をテレビで見ましたが、
     ドレスも素敵で外国人たちの中でも臆することなく堂々としていて
     進化する日本女性を感じました。

          「七夜待」。なんとなく艶めいたタイトルのこの映画
          主役は長谷川京子、舞台はタイです。
          カンヌで新人監督賞を受賞した「萌の朱雀」(‘96)でも
          「沙羅双樹」(‘03)でも
          その舞台は河瀬監督の故郷である奈良だったのですが。

          それがなぜタイ?そして、なぜ、あの超美系の長谷川京子?
          腑に落ちないながらも
          スクリーンに広がるタイのむせかえるようなジャングルと
          肌にまとわりつく感じの湿気に圧倒されて見入ってしまいました。

      

      彩子30歳はひとりタイに来た。雑踏にもまれながら観光案内所を探し
      その職員が話すわかりにくい英語を必死に聞き取ろうとする。
      駅前に止まっているタクシーに乗り、宿泊予定のホテル名を運転手に告げた後
      疲労から寝入ってしまう。
      目を覚ました時、車は山道を走っていた。
      とっさに身の危険を感じ、荷物も持たず、彩子は車から逃げ出す。
       辿りついたのはジャングルにぽつんと建った一軒の民家。
      テラスも屋内も緑陰に蔽われたその家では
      アマリとトイのタイ人母子とフランス人が彩子を出迎えるが、言葉はまるで通じない。 
      ただ、アマリが施してくれるマッサージが
      ささくれ立った彩子の心と身体を優しくほぐしていくのだった…

           って、タイ古式マッサージの映画ですか。

      ジャングルと泥色の河の流れという亜熱帯特有の景色の中に
      時折挿まれる見慣れた日本の風景=奈良。
      ジャングルと奈良の寺が交錯し、彩子がタイにやってきた理由が暗示されますが
      はっきりとはわかりません。

           タイ語、フランス語。映画の中で彩子が遭遇する言葉の壁。
           これは俳優だけではなく、
           撮影現場でスタッフたちも体験したカオス状態だったということです。
           長谷川京子もフランス人俳優もタクシードライバーを演じたタイ人俳優も皆、
           監督から知らされるのはその日の行動だけ。
           セリフもなく、互いの関係も、物語の展開も知らされない中で
           演じなればならなかったといいますから、
           これはまさに筋書きのない人生といったものです。
           自分が俳優ではないことを心から感謝してしまいました。

     言葉も通じず、先行きのわからない人生を生きる人間たちの緊張を
     ゆるくほどいてくれるのがタイ古式マッサージということなのでしょうか?

     だとしたら、古式マッサージ。観るだけでなく、体験した方が良さそうです。

監督/河瀬直美、脚本/狗飼恭子 河瀬直美、撮影監督/キャロリーヌ・シャンプティエ

キャスト
長谷川京子/彩子、グレゴワール・コラン/グレッグ
キッティポット・マンカン/タクシー運転手、轟ネーッサイ/アマリ、轟ヨウヘイ/トイ

11月1日、シネマライズ、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
www.nanayomachi.com
by mtonosama | 2008-10-13 06:11 | 映画 | Comments(8)
リダクテッド 真実の価値
Redacted
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© 2007 HDNet Films LLC

リダクト=redact。英和辞典には〈…を編集する〉とあります。
リダクテッド=redactedですから、〈編集された〉ですか。

情報、ここではイラク戦争における情報ということですが、
それはニュースとして私たちに知らされる時点で編集されているのは当然です。

この映画を観て感じるのは、どちらかといえば、〈検閲〉のニュアンス。
軍による検閲、メディアによる自己規制…
ブライアン・デ・パルマ監督が発信してくるのは
〈都合の悪いことは知らせないんだよ、やつらは〉
でしょうか。

   とはいえ、パソコンの中にはリダクトされていない生の情報が満載されています。

監督はある事件を知りました。
イラクに駐留している米国陸軍部隊の兵士が14歳の少女を輪姦し、
彼女を含む家族4人を殺害、その家に放火したという事件です。

      1989年の監督作品「カジュアリティーズ」でもベトナム戦争で起きた
      同じような問題を扱っています。
      ここで監督は戦争の愚かさを告発したはずだったのですが…

      人間は本当に学習するということができないわけで、告発されようが、
      たたかれようが、何度でも同じことを繰り返すのですね。

      ブライアン・デ・パルマ監督も「またかよ」と無力感に襲われたのではないでしょうか?

   彼は真相を知るため、兵士たちのブログやウェブサイト、ホームビデオ映像、
   ”You Tube”の投稿映像などを見ました。
   すると、その恐ろしい事件のすべてが画像としてディスプレイ上にあったというのです。

           突然ですが、ベトナム戦争は開かれた戦争でした。
           米軍はメディアに対し、自由に報道させていました。
           多くのジャーナリストがベトナムで取材。
           殉職した記者やカメラマンも大勢います。
           だから、世界中の人間がベトナムで行われていることを知り、
           反戦運動が拡がっていきました。

   それにこりたからでしょうか。
   アフガニスタンでもイラクでも米軍の報道規制は厳しくなっています。
   でも、戦争ですから、イラクでもベトナムと同じように市民や子どもたちが死んでいます。
   送り手がそれを報道せず、受け手がそれを見ないということは
   何も起きていない、ということになってしまいます。
   イラクで起きていること―――
   ブライアン・デ・パルマ監督は再びそれを伝えようとしています。

      この映画は19歳のエンジェル上等兵(俳優)が撮影する
      プライベート・ビデオを中心にストーリーが展開します。
      映画を構成するのは、除隊後は大学の映画学部への入学を希望する
      エンジェルが撮影するビデオ映像とフランスのテレビ局のニュース、
      (本物の)米兵たちが戦場で撮ったビデオ、You Tube、兵士の妻たちのブログなど。
      ドキュメンタリーかと思わせるのですが、実はフィクションです。

   2006年4月。イラク・サマラの米軍駐留地。兵舎の中で兵士がカメラを回している。 
   戦場の様子を撮影したビデオ・ダイアリーを制作し、映画学部に入学するために、
   兵役に志願したエンジェル・サラサールだ。彼が覗きこむファインダーの先には
   4人の兵士。妻を故郷に残して入隊した27歳のマッコイ伍長。弁護士の彼は
   隊で一番の良識派である。いつも本を手放さない文学青年のゲイブ。
   南部出身のフレーク。ハリケーン・カトリーナの被害者。故郷では仕事もなく、
   刑務所に行くくらいしか選択がないため、入隊した。
   フレークの腰巾着ラッシュは右翼的な戦争プロパガンダをまくしたてるしか能のない大男。
    彼等が任務するのは検問所だ。自爆テロや狙撃の的になりやすい危険だが、
   退屈な場所。そこに制止をふりきって一台の車が猛スピードの車が飛び込んできた。
   フレークがひきがねをひく。急停止する車。
   だが、乗っていたのは産院へと向かう妊婦とその兄だった。
   銃弾を受けた妊婦は搬送先の病院で死亡。
   兵舎でエンジェルの取材に答えて「任務を遂行しただけ」とフレークはうそぶく…

       赤外線カメラを通した暗い屋内の映像やホームビデオを見るような
       どこか視点の定まらない画像。
       その生々しい画面が映画であることを忘れさせます。

ひとりの監督がたまたま知った事件を映画化したのが「リダクテッド 真実の価値」 ですが、
パソコンの中にはいったいどれほどのリダクトされていない真実が埋もれているかと考えると、
真っ暗な情報の海を頼りない筏に乗って漂流しているような
絶望的な気分になってしまいます。

       でも、解決の第一歩は知ること、見ること。
       不都合な真実だって、ちゃんと目を見開いて直視しないといけないんですよね。
       映画を観るのもなかなかつらいものです。

   脚本・監督/ブライアン・デ・パルマ、撮影監督/ジョナサン・クリフ

   キャスト
   パトリック・キャロル/フレーク、ロブ・デヴァニー/マッコイ、イジー・ディアス/エンジェル、
   ケル・オニール/ゲイブ、ダニエル・スチュアート・シャーマン/ラッシュ
   10月25日、シアターN渋谷他全国ロードショー
   www.redacted-movie.com
by mtonosama | 2008-10-06 07:08 | 映画 | Comments(4)

ブーリン家の姉妹The Other Boleyn Girl
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(C)2008 Columbia Pictures Industries,Inc. and Universal City Studios Productions LLLP and GH Three LLC.All Rights Reserved.


アン・ブーリン。
この名前を覚えておいででしょうか?
ヘンリー8世は?
彼についてはその女性遍歴だけで、もうすっかり有名ですよね。

500年後の人間から、好色な王様としか記憶されていないというのも
悲しい話ですが。

ヘンリー8世は、次々と妃を変えたイングランドの王様。
最初のお妃と離婚してアン・ブーリンと結婚するため、ローマ法王と絶縁し、
英国々教会の長となった王様です。
どこかに置いてきてしまった世界史の記憶と教科書を
引きずりだしてこなくてはなりません。

ある妃は離縁し、ある妃は殺し、次々と妃を変え、その数6人。
なんとまあ、お元気な王様でありましょう。
しかし、この映画の主人公はヘンリー8世ではありません。
アン・ブーリンとその妹メアリー・ブーリンが主人公です。

「ブーリン家の姉妹」は英国でロングセラーを続けるフィリッパ・グレゴリー著の同名小説
をもとに「クイーン」「ラスト・キング・オブ・スコットランド」のピーター・モーガンが脚本を書
き、劇場用長編映画としては本作がデビュー作となるジャスティン・チャドウィックが監督
をつとめた映画です。

アン・ブーリンのように歴史の表舞台に登場することがなかったため、
今まで影に隠れていたブーリン家の’もうひとりの娘’メアリーにも
スポットライトを当てたのが本作 ”The Other Boleyn Girl”なのです。

         16世紀の英国王室に繰り広げられた愛と憎しみの歴史絵巻

       ヘンリー8世との間に王女(エリザベス1世)をもうけながら
       処刑台のつゆと消えた姉のアン。
       姉より先に王の寵愛を受け、王の子である男子ヘンリーを出産するも認知されず
       田舎での静かな日々を送り、天寿を全うした妹メアリー。

       かたや知略と策謀で侍女から王妃の地位までのぼりつめ、
       かたや美貌と優しい心根で王の愛をかちえた姉妹。
       童話に出てくるようなステレオタイプな姉妹像ではありますが、
       どっこい、事態はさほど単純ではありません。

           姉妹といえども女は女。
           おとなしい顔をしながらやることはやるメアリーであります。
           当初、ヘンリー8世の愛人になるはずであったのは姉のアン。
           しかし、運命の神様はいたずら好き。
           王を怒らせてしまったアンの代わりに新婚早々のメアリーが
           王の床に侍ることに…

           ヘンリー8世のつぼを得た口説きもまた心憎い。
           青ひげ公・ヘンリー8世もここでは若くてハンサムな王様として
           登場していますが、
           結婚を6回も繰り返すお盛んぶりは既に萌しています。
           新婚のメアリーに

「そなたもブーリンの家では苦労したであろうのう。称賛されるのはいつも姉であったのであろう?」
          (「篤姫」風のセリフ回しになることをお許し下さい)

          と囁くところなど、相当な女殺し。
          姉と妹の抱える鬱屈した感情をついてくるところなど、
          ただの好きものではありません。
          その言葉を聞いた途端、メアリーは「そうなのよ」とばかりに
          王に身を任せるのでありました。

          ところが、名うての好色王ヘンリー8世は王の子を出産した後
          体調のすぐれないメアリーを疎み、
          洗練され,機智に富んだアンに執心するようになります。

     ここから、アンの並々ならぬ知力が花開きます。
     王の愛人ではなく、妃であることを望み、
     離婚を認めないローマ教皇と国王を断絶させ、
     最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンを離縁させてしまうのであります。

     その才知の限りをつくし、「女の道は一本道にござります」(あ、また篤姫が)
     とばかりに逞しく生きるアンをナタリー・ポートマンが、
     美しく心優しいメアリーをスカーレット・ヨハンセンが演じます。

     気丈でありながら、自らの策に溺れ、崩れていくアンを
     N・ポートマンが見事に演じきり、
     S・ヨハンセンもまた優しい表情の裏に自分の人生を守り抜く芯の強さを持った
     メアリーを好演しています。

     バラに例えるならアンが紅薔薇、メアリーが白薔薇でしょうか。
     あ、そういえば、世界史の教科書にはバラ戦争なんてのもありましたっけ。

     歴史ものは結末が既にわかっているだけにサプライズはありませんが、
     照明の位置を少し変えれば、意外な展開を楽しむことができます。

          16世紀の英国も「跡取りは男よのう」と男尊女卑ではありますが、
          結局はアンが命をかけて産んだエリザベス1世が
          イギリスにゴールデン・エイジと呼ばれる時代をもたらしたのですから、
          男も女もないということです。今も昔も。

   監督/ジャスティン・チャドウィック、脚本/ピーター・モーガン、原作/フィリッパ・グレゴリー「ブーリン家の姉妹」(集英社文庫刊)

   キャスト
   ナタリー・ポートマン/アン・ブーリン、スカーレット・ヨハンソン/メアリー・ブーリン、
   エリック・バナ/ヘンリー8世
   10月25日、シャンテ シネ他全国TOHOシネマズ系にてロードショー
   http://www.boleyn.jp/
by mtonosama | 2008-09-29 07:21 | 映画 | Comments(6)
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(c)SV Bilderdienst
帝国オーケストラ
ディレクターズカット版
The “Reichsorchester” The Berlin Philharmonic and the Third Reich

今週もまたドキュメンタリー映画をご紹介します。
ドキュメンタリーというと、劇映画とは違って事実に即して客観的に描かれている
と考えますよね。
でも、本当はとても主観的なものかもしれない、と思う今日この頃です。

映画作家の抱く主観が、ストーリーという仲立ちを経ないで
ズバリと斬りつけてくるドキュメンタリー映画は監督と観客との真剣勝負です。

          「帝国オーケストラ」。
          ベルリン・フィル創立125周年を記念して上映されるドキュメンタリー映画です。

          ハーケンクロイツの前で演奏するオーケストラ。
          映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、末っ子のグレーテルが
          新婚旅行から帰ってきたトラップ夫妻に「おうちに蜘蛛の旗が出ているわ」
          と告げるシーンがあったのを唐突に思い出しました。

          蜘蛛の旗の前で演奏するのがモーツァルトであろうとシューマンであろうと、
          おぞましいと思ってしまうのはひとりグレーテルに限ったことではありません。

     ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は1882年に創立され、
     2007年-2008年シーズンで125周年を迎えたすばらしいオーケストラです。
     創立当初からGmbH(有限責任会社)として
     オーケストラ運営全般に責任を持つ組織形態をとっていたベルリン・フィル。
     それはまさに国家からも権威からも干渉されることを断固として拒む芸術家集団として
     のプライドの表れだったのでしょう。

          第1次世界大戦後、ドイツは天文学的な数字のインフレに襲われました。
          ベルリン・フィルの経営も逼迫。
          1920年代から成功をおさめ続けてきた首席指揮者フルトヴェングラーをしても
          この財政危機をのりこえることはできませんでした。
          1933年アドルフ・ヒトラーが政権を掌握した年、楽団は倒産の危機に直面して
          いました。

          同年10月、ナチス宣伝大臣ゲッペルスは
          ベルリン・フィルに対して財政支援を行うことを決定。
          翌34年ナチス政権は楽団の経営権を100%購入し、
          帝国オーケストラを設立しました。 
          オーケストラメンバーは公務員扱いとなり、兵役は免除され、以後11年間
          ナチス政権=第三帝国の文化使節としての任務を負うことになったのです。

     ベルリン・フィル125年の歴史の中の暗黒の11年。
     この映画は、当時のメンバー
     96歳になったヴァイオリニスト、ハンス・バスティアンと
     86歳のコントラバス奏者エーリッヒ・ハルトマンの証言をもとに撮影されました。
     そして、ドイツからの亡命に成功したユダヤ人メンバー
     シモン・ゴールドベルクらの子どもたちが父の遺品と記憶を手掛かりに語っていく
     歴史の証言ともいうべきドキュメンタリー映画です。

     高給を支払われ、政治的な集会で演奏するベルリン・フィルメンバーたち。
     映画にはヒトラーやゲッペルスの顔が映し出されます。
     海外演奏旅行では“No Harmony with Nazis”のプラカードを持ったデモ隊に
     迎えられたりもしています。
     「街へ出るのがつらかった」と証言者は語ります。
     なぜなら、彼と同年輩の男は皆戦争に行っているのに
     「おまえは何をしているのだ?」
     と無言で問いかける市民の目が痛かったからなのです。

          介助者の手を借りなければ歩けないほど高齢な証言者。
          今、彼らは過去を悔い、涙を流して語ります。

     しかし、しかしですよ。
     彼らはナチスに庇護されることによって
     演奏を続けることを選んだ特権階級でした。

          ずいぶん酷な言い方だとは思います。
          彼らもあの時代にベルリン・フィルの演奏者であったばかりに
          百歳に近くなった今も後悔し続けなければならないのですから。
          監督もパンフレットの中で言っています。

     「こういう質問が心の中を反復するかもしれません。『自分だったら、どうしただろうか』」

          ナチスを受け入れなければ、ベルリン・フィルは存続しませんでした。
          そして、優秀な演奏者は楽器の代わりに武器を持って、
          ナチスの兵士として戦わなければならなかったことでしょう。

     これもベルリン・フィルの歴史です。

          「自分だったら、どうしただろう」
          楽器か武器か。生か死か。反抗か愛国か。
          監督のつきつけてくる課題に、どうぶつかっていきましょう。

監督/エンリケ・サンチェス=ランチ
出演
フルトヴェングラー時代の演奏家とその関係者、ナチス宣伝大臣ゲッペルス、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)ほか、当時の記録映像
10月下旬 渋谷・ユーロスペース他全国順次ロードショー
配給:セテラ・インターナショナル
www.cetera.co.jp/library/Reichsorche
by mtonosama | 2008-09-22 06:45 | 映画 | Comments(4)
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(c)2005 Teddy Bear Films 
女工哀歌(じょこうエレジー)
China Blue

   一昨年、中国の新興工業団地・恵州という街に行きました。
   経済特区・深圳に近い都市です。
   そこで印象的だったのは景勝地・杭州の観光名所である西湖を模して造った人造湖
   (湖岸から湖の中ほどにある四阿に行く橋を渡るには通行料を払わねばなりません)と、
   運転席が檻になったタクシー(治安が悪いからだそうです)。
   そして、工場寮の窓という窓には満艦飾の洗濯物がぶらさがっていたことでした。

       「女工哀歌(じょこうエレジー)」は四川省の農村で暮らしていた
      ジャスミン・リーという16歳の少女が家計を助けるため、
      何日もかけ、船や汽車を乗りついで、
      広東省の都会へ出稼ぎに出てくるところから始まるドキュメンタリー映画です。

     現在、中国では1億3千万人が田舎から都会に働きに出てきているといいます。
         映画の中に「女の子はおとなしいから、条件が悪くても文句をいわなくていい」
      と発言する経営者が出てきます。
     ジャスミンたちは都市生活者なら決して引き受けないような
         低賃金と悪条件で働き続けます。

     給料は日本円にして3,120円~7,800円(月給です!)
     残業手当なし
      社内食もシャンプーするためのバケツ1杯のお湯の代金も
     すべて乏しい給料の中から支払わなければなりません。
     残業続きの毎日、洗濯をしていると睡眠時間がなくなるため、
      彼女たちはお昼休みに洗濯をします(もちろん洗濯機などありません)。
     寮の窓は12人の少女たちの洗濯物でいっぱいになります
         (寮は12人の相部屋です)。

     恵州で見た満艦飾の洗濯物もこんなふうにわずかな休み時間に
         洗って干したのか、 と今更ながら寮の住人たちがいとおしくなりました。

   ジャスミンが働くことになったのは
   欧米諸国や日本へ輸出するジーンズを作る工場です。
   経営者は元警察署長のラムさん。
   大躍進を遂げる中国経済の典型的な起業家です。
   熾烈な同業者間の競争を勝ち抜くため、
   従業員の労働管理、西側諸国の工場視察団の接待や価格交渉と毎日忙しく働きながら、
   趣味の書道も欠かしません。
   達筆な書がオフィスに飾られていれば
   経営者としてのイメージアップにもつながりますから。

     でも、温和で人の良さそうなラムさんがことあるごとに口にするのは
     「従業員はすぐに怠けるから、厳しくしないと」です。
     ジャスミンや同室の14歳のリービンたちは
     安全も法の保護もない十分に厳しい状況で働いているんですけど。

   今日もラムさんは欧米企業と価格交渉です。
   先方の言い値より高い額で交渉は成立しましたが、
   ジャスミンたちはまた明日から夜も眠らず、
   休みを返上して、大量のジーンズを納期に間に合わせないとなりません…

        この映画を撮ったミカ・X・ペレドは1952年生まれのドキュメンタリー映画監督。
        グローバリゼーションこそ、現代が抱える諸悪の根源であるとして
        それをテーマにした3部作の製作を続ける映像作家ですが、
        「女工哀歌」(’05)は
        ”STORE WARS:When Wal-Mart Comes to Town”(’01)に次ぐ第2作。
        3作目は現在製作中ということです。

    「女工哀歌」には「蟹工船」やハケンにも通じる若年労働者の厳しい状況が
    映し出されていますが、
    そこには極悪非道な経営者、虐げられる労働者という従来の構図では片付けられない
    より深刻な問題が横たわっています。

        市場・企業などの国際化=グローバリゼーション
        辞書にはこうあります。

        「グローバルな観点が必要」とか以前は良い意味で使われていました。
        坂本竜馬など、今でいえばグローバルな視野の持ち主ですよね。
        でも、いつしかグローバルの持つ意味合いは変わってきました。
        多国籍企業の利害はいまや全世界にまたがっています。
        その矛盾が噴き出すのは法の保障などない未成熟な国の貧しい人々。

    「ナイロビの蜂」「ダーウィンの悪夢」(いずれも‘06公開)ではアフリカの人々が
    6月にご紹介した「いま、ここにある風景」でも中国やバングラデシュの人々が
    グローバリゼーションによる急激な経済開発の結果、生じた貧困や環境破壊の中で
    苦しんでいました。

        中国はグローバリゼーションの結果、世界の工場になり、経済大国になりました。
        そして、その工場にやってくる多国籍企業。
        彼らはコストを最低限にまで抑えるよう要求します。
        工場経営者たちも法で定められた労働条件も最低賃金も
        見ないふりをして、労働者を働かせます。
        睡魔に襲われた労働者がケガをしようが(画像はジャスミンたちが目を開けたま 
        ま、眠る方法を教わっているところです)
        病気になろうが知ったことじゃない。
        広大な中国の農村からはいくらでも働き手がやってくるのですから。

    多国籍企業が悪い、中国が悪い、工場経営者が悪い。
    だけど、私たちは?
    メガストアで「安い、安い」と喜んでジーンズや日用品を買っている私たちは?

    とはいえ、買わないわけにもいかないし。

         ディレンマと答えの見えない難問をつきつけられながらも、
         押しつぶされずにこの作品を観ていられたのは
         ジャスミンたちが明るくて、健気だから。
         外国人にカメラを向けられるという、おそらくは生まれて初めての体験に
         一生懸命に応えている昂揚感が伝わってくるから。
         そして、こんなに厳しい状況でも希望や夢を持ってたくましく生きているから。

監督・撮影・製作/ミカ・X・ペレド
編集/マニュエル・ツィンガリス、ミカ・X・ペレド 
9月27日、渋谷シアター・イメージフォーラム他にてロードショー
http://www.espace-sarou.co.jp/index/films/top.htm
by mtonosama | 2008-09-15 07:01 | 映画 | Comments(8)
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c)2006 Buena Vista International (Switzerland)
マルタのやさしい刺繍

Die Herbstzeitlosen

ニューヨークを舞台にした「セックス・アンド・ザ・シティ」が話題ですが、
「マルタのやさしい刺繍」はスイス版SATCつまり“Sex and the City”
といったら無理がありましょうか。
はい、ちょっと苦しいですね。
でも、女性4人が主人公であるというところは同じです。
恋も、自立も、夢の実現も共通しています。
違うのは主人公がすべてシルバー・エイジであること。
その内の3人が後期高齢者だということだけなのですが。

     さて、ここでドイツ語講座です。
     die Herbstzeitlose.これは単数形です。
     原題はdie Herbstzeitlosenと複数形になっています。
     長年連れ添った夫を亡くして意気消沈していた80歳のマルタが
     ランジェリーショップの起業を決意し、
     3人の女性がそれを支えるという複数の女たちの物語だからです。
     と、たいそうに言うほどのドイツ語講座ではありませんが。

     Die Herbstzeitlose ―― 直訳すれば「秋がないこと」ですが、
     これは『夢中』『華やかな青春』という花ことばを持つユリ科の植物コルチカムのこと。
     庭園の花の多くが終わってしまった秋になって
     コルチカムは花をつけるのでドイツ語ではこのように呼ばれるのだそうです。
     球根を窓辺でもキッチンでも、その辺に転がしておけば
     優しいピンクや紫色の花を咲かせる植物で、
     手間いらずの花ですから一度はその球根を買ったことのある人も
     多いのではないでしょうか。

この映画の舞台は穴あきチーズとヨーデルでおなじみのエメンタール地方のトル―プ村。
絵のように美しいアルプスの村です。
しかし、とかく美しいものにはトゲがある。
伝統的な産業であるチーズつくりとヨーデルの村といえば、
ま、保守的な土地柄ではあります。

     9か月前に夫を亡くしたマルタはひきこもり状態。
     息子が牧師をつとめる教会にも行かなくなり、
     夫と営んできた雑貨屋の商売にも身が入りません。
     心配したリージ、フリーダ、ハン二の3人はなんとか彼女を元気づけようとしていました。
     ひょんなことからこの3人、マルタは裁縫が得意だったことを知り、
     村の合唱団の団旗の修理を依頼します。
     渋々承知したマルタは3人と連れだって、
     ベルンへと修理用の生地を買いにでかけます。

     久しぶりの都会で目にした美しいレースやランジェリー。
     そこで、マルタは忘れていた昔の夢を思い出します。
     そう、それは自分でデザインし、美しい刺繍をほどこしたランジェリーのお店を持つこと。
     思い立ったが吉日です。
     マルタは息子で牧師のヴァルターには内緒で、
     雑貨屋をランジェリーショップへと改装し始めました。

     手伝ってくれるのはアメリカ大好きの未婚の母リージただひとり。
     老人ホームで優雅で充実した日々を送る老独身貴族フリーダも、
     村の保守党員である息子に夫ともども施設に入れられようとしているハン二も
     「なんで下着屋?」と最初は理解を示しません。
     友人ですら、こうなのですから、村の男たちの反発ぶりといったら。

     さあ、マルタの夢のランジェリーショップ。
     その結末や、いかに…

          小さな字が読みにくいとか、腰が痛いとか、すぐ疲れるとか、
          これが歳をとるってことだから、仕方ないよね。
          今更新しいこと始めるなんて、だるいし。
          恋、この歳で?

          などと、歳のせいにして諦めかけている時、
          このおばあちゃんたちに会うと
          「こんなことじゃいけないな」
          という気持ちになります。

     もちろん、彼女たちだって、家族や近所とのしがらみや、
     何より自分たちが持ち続けた価値観から完全に自由というわけではありません。
     時折、見せるとまどいや悲しみの表情でそれがわかります。
     この映画は決して、スーパーおばあちゃんの映画ではありません。
     ただ、長く生きてきた分
     「なるようにしかならないさ、でも、それって必ずしも悪くないんだよ」
     ということを若い人より知っていて、
     それでも、頑張るときには頑張る普通のおばあちゃんの物語です。

夢を実現させるマルタ。
老いても子に従わない人生を選ぶハン二。
新しいパートナーをみつけるフリーダ。
挫折を秘めながらも友のためにつくすリージ。

さ、あなたはどのタイプですか?
4人のうちの誰かになりきってみましょうか。
きっと、歳をとるのは悪くないような気がしてきますから。

監督/ベティナ・オべルリ
キャスト
マルタ/シュテファ二―・グラーザー、フリーダ/アンネマリー・デューリンガー、リージ/ハイジ¬=マリア・グレスナー、ハンニ/モニカ・グプサー
10月中旬シネスイッチ銀座他全国順次公開
http://www.alcine-terran.com/maruta/

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by Mtonosama | 2008-09-08 06:29 | 映画 | Comments(5)
宮廷画家ゴヤは見た
Goya’s Ghosts

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またまたハビエル・バルデムの登場です。
7月にお知らせした「コレラの時代の愛」まで戻っていただいてその顔をご確認ください。
ね、強烈でしょ?まさに、怪優です。

「宮廷画家ゴヤは見た」。
「家政婦は見た」の別シリーズかい?と聞きなおしたくなるようなタイトルですが、
さすがミロス・フォアマン監督、がつんと映画子の心をつかんでくれました。
「アマデウス」といい、本作といい、歴史ものをこれだけ面白く見せてくれる監督は偉人です。

ゴヤといえば「着衣のマハ」「裸のマハ」を思い浮かべる人が多いと思います。
教科書に載っている割には刺激的な絵でしたし。
「砂に埋もれる犬」や「我が子を食らうサトゥルネス」「異端審問」などの
“黒い絵”といわれる作品群も印象的です。

宮廷画家の娘と結婚し、本人もその職についたゴヤ。
画家として、絶対に食いっぱぐれのない最高職を得、
王や王妃のポートレートを描く一方で、
フランス革命からナポレオン戦争に向かう激動の時代を生きた人です。
また、彼は同時代人として歴史を描きとめる証言者でもありました。
その後、聴力を失い、目も見えなくなり、
最後は住み慣れたマドリードを離れてボルドーに隠遁し、亡くなりました。

彼の人生だけでも相当おもしろい映画ができそうです。

しかし、この映画の主人公はゴヤではありません。
彼は歴史の転換期に立ち会い、スペインにも波及した戦乱の渦中にあって
画家の目で時代を目撃し、証言する人物として登場してはいますが。

そう、主人公は、最初は異端審問にかかわる神父として、
後にはナポレオン政府の重鎮として、
荒れ狂う時代をそのまま体現するかのように生きたロレンソ神父です。
そして、この強烈な個性を演じたのがハビエル・バルデムでした。

      国王カルロス4世の宮廷画家に任命されたフランシスコ・デ・ゴヤ。
        1792年彼は2点の肖像画を描いていました。
       1枚はゴヤの友人である裕福な商人トマス・ビルバトゥアの娘イネス。
      穏やかな微笑みを浮かべたその肖像はため息が出るほど美しいもの。
       そして、もう一枚が異端審問の推進者ロレンソ神父の肖像画でした。

    
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嗚呼、なんという人生のめぐりあわせでしょう。
      ロレンソはアトリエで見たイネスの肖像画に心を奪われてしまったのです。

   さて、先ほどから何度も出てまいります異端審問という言葉。
そもそもは13世紀前半、ヨーロッパの異端審問のために設立された機関です。
ガリレオ・ガリレイが「それでも地球は動いている」
と言ったといわれるあれです。
そうそう、ジャンヌ・ダルクが魔女として火刑に処せられたのも、
この異端審問の結果でした。
とにかく異端と疑われたら問答無用にひったてられ、
残酷な拷問を受け、異端宣告を受けたものは焼き殺されるという
カトリック教会の機関です。

      ある日突然、美少女イネスは審問所から出頭命令を受けます。
      兄たちと出かけた居酒屋で豚肉を食べなかったために
      「イネスはユダヤ教徒に違いない」と告発する者がいたのです。
      イネスの父トマスに頼まれたゴヤは肖像画の代金と修道院の修復費用とを
      引き換えに彼女を助けてくれるようロレンソ神父にうったえます。

      ゴヤの願いを受け、ロレンソが審問所を訪ねると、時すでに遅し。
      イネスは拷問で痛めつけられ、留置所の冷たく不潔な石床の上で
      震えていたのでした。なんと哀れなイネスでありましょう。
      ロレンソは聖職者の身であることも忘れ、
      思わず知らず彼女を抱きすくめていたのでありました。

      時は流れ、イネスはいまだ獄の中。しかし、世の中は大きく動いておりました。
      フランスには革命がおこり、
      その後、フランス皇帝となったナポレオンはヨーロッパを席巻。
      スペインにも介入してまいりました。
      自らの兄ジョゼフをスペイン国王に任命し、スペインに覇権を確立したのです。

      けれど、その結果、異端審問で捕えられていた多くの市民が
      解放されることになりました。
      その中に15年ぶりに自由な空気を吸うことができるイネスもいました。
      両親も兄弟も、そして、美しかった容姿も失ったイネスが。

      ところで、ロレンソはどうなったでしょう。

      いつまで経っても帰ってこないイネスを心配する父トマスは
      強硬手段を取っていたのです。
      ロレンソを自宅に招き、イネス返還と引き換えに
      神父としての尊厳に関わる恥ずかしい告白書を
      書かせたのでした。
      彼女を父のもとに戻すことを約束させられたロレンソでしたが、
      それはかなわぬまま、告白書は国王カルロス4世の手に
      渡ってしまいます。
      ロレンソは聖職を捨て、国外逃亡。

      イネスが獄から解放されたそのころ、
      ロレンソもまたスペインに戻っていました。
      フランス政府の大臣として得意絶頂の帰国です…

   花のかんばせも苦難の15年の後には変質し、
   人生の頂点も歴史のうねりの中ではなんとも儚いもの。
   とはいえ、そんな小さな人生の出会いやら重なり合いが
   歴史をつくっていくのだからおもしろいものです。

      ラストシーンが今も頭の中で回り続けています。

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宮廷画家ゴヤは見た

監督・脚本/ミロス・フォアマン(「カッコーの巣の上で」(‘75)、「ヘアー」(’79)、「アマデウス」(’84)など)
キャスト
ロレンソ神父/ハビエル・バルデム、イネス・ビルバトゥア、アリシア二役/ナタリー・ポートマン、フランシスコ・デ・ゴヤ/ステラン・スカルスガルド
10月全国ロードショー
goya-mita.com

by Mtonosama | 2008-09-01 11:25 | 映画 | Comments(4)
おくりびと

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        今春、父を見送りました。
        喪主として過ごした通夜、告別式、四十九日法要までの慌ただしさ。
        悲しみや疲労も加わり、かなりつらいものでした。
        まして、冠婚葬祭万事において派手かつトラディショナルな尾張名古屋での葬式。
        きつい通過儀礼でありました。そんな中で観た「おくりびと」です。

   「おくりびと」は死者の体を浄め、最後のお化粧をほどこし、柩におさめる人・納棺師を
   主人公とした映画です。
   葬式といえば伊丹十三監督のその名も「お葬式」(‘84)が思い浮かびます。
   そうそう、津川雅彦ことマキノ雅彦監督の「寝ずの番」(‘06)もありました。
   2作品ともドタバタしたお笑い系の映画でしたね。

   「おくりびと」も笑えます。

        1800万円も借金をしてチェロを購入したのに、チェリストである主人公の所属する
        オーケストラが解団してしまうのが、かわいそう過ぎて泣き笑い。

        やむなく妻とともに故郷山形へ帰った主人公がやたら条件の良い求人情報に
        ひっかかるところが切実で同情笑い。

        その求人広告のキャッチフレーズ『旅のお手伝い NKエージェント』が
        旅行代理店のそれではなく、
        『旅のお手伝い』は『安らかな旅立ちのお手伝い』の誤植、
        『NK』は『納棺』の頭文字だったというあたりは「おやじギャグかい」と苦笑い。

   チェリストから納棺師。東京人から山形人へ。
   ガラッと人生を転換した小林大悟さん(あ、主人公です)。
   彼は、6歳の時父に捨てられ(山形でジャズ喫茶を経営していた父は
   そこのウエートレスと出奔)、
   女手ひとつで育ててくれた母の死に目には海外演奏旅行中で会えず。
   いまだかつて人の死に出会ったことがありません。

        そんな小林さんがNKエージェントの社長に随って、
        さまざまな死を身近に見て、触れることになります。

        こわもての社長が
        遺体の硬くなった手や顔に触れ
        そのこわばりを優しくほぐす仕草
        死装束に着替えさせるときの
        手品とも茶道のお点前とも見紛う美しい所作

   それはすべて死者の尊厳と、見送る遺族の気持ちを思いやってのものなのですね。

        自分が死者だったら
        「どうせ死んでるんだからわかりゃしないさ」
        と遺族や弔問客の前で裸にされるのは嫌だし、
        遺族だって目のやり場に困ります。

   小林さんが死や納棺師に対して抱いていたイメージは変わっていきます。

        事故で死んだヤンキーの女子高生の清めの席で、
        事故を起こしたワルの男子高校生と衝突する遺族

        妻を亡くして、行き場のない悲しみを納棺師にぶつける夫

        納棺師が居合わせる場は、愛する人の死を認めたくない遺族の
        生々しい感情が渦巻く場でもあります。

   納棺師は死者に旅支度をさせ、化粧をほどこし、
   遺された家族に大切なひとの死を受け入れさせねばなりません。
   お葬式は本人が決定権を持たない人生最後の見せ場。
   陰の演出者として遺体を最高に美しくするという使命を持っているのが
   納棺師・おくりびとなのです。

        いつも銭湯で出会っていたおじさんが火葬場のかまの前で
        棺の主に向かって言います。
        「いってらっしゃい。またあちらで会おうな」。
        火葬場のかまは門なんだよ。
        死ぬんじゃなくて、こっちからあっちへ行くだけなんだ、と。

   次第に変わっていく小林さんの姿は妻も友人も変えていきます。
   庄内平野ののどかな風景とチェロの優しい音色が流れ…
   ラストで迎える小林さん一世一代の決断。

        笑って、泣いて、泣いて、笑って、ハンカチを持つ手が忙しいけれど、
        観終わった後は
        自分も今はおくりびと、いつかはおくられびと、
        と静かに納得させられたような気持になれる映画です。

おくりびと
監督/滝田洋二郎(「病院へ行こう」(‘90)、「僕らはみんな生きている」(’93)、「お受験】(’99)、「壬生義士伝」(‘03)」、脚本/小山薫堂、音楽/久石譲
出演
小林大悟/本木雅弘、小林美香/広末涼子、佐々木社長/山崎勉、平田正吉/笹野高史
配給/松竹、9月13日全国ロードショー
www.okuribito/jp


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by Mtonosama | 2008-08-25 07:26 | 映画 | Comments(10)
わが教え子、ヒトラー
Mein Fuerer
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  最近のドイツ映画にはナチをテーマにしたものが多い気がします。
     「ヒトラー、最期の12日間」(‘04)
     「ヒトラーの贋札」(’07)
     「白バラの祈り ゾフィー・ショル最期の日々」(‘05)。
そうそうi以前ご紹介した「敵こそ、わが友」もドイツ映画ではありませんが、同じ。
皆ここ数年の作品です。

           ヒトラーが死んで63年。
           60年も経てば、そろそろ禁忌のカーテンを開けて
           稀代の独裁者の素顔に迫ってみようかという
           勇気あるドイツ人あるいはユダヤ人の映画制作者が出てくるからでしょうか。
           加害者側も被害者側も客観的に語るには、
           ともに60年を超える歳月が必要だったのでしょう。

           とはいえ、安直なピカレスク小説ではないのですから、
           悪人としてのヒトラーは当たり前過ぎるし、
           だからといって人間としてのヒトラーを描くのも問題があるでしょう。
           ドイツ国内にはネオナチだっていますから。

           それを思うと、
           死を目前にした人間味あふれるヒトラー(「ヒトラー、最期の12日間」)を
           描いた1957年生まれのオリバー・ヒルシュビーゲル監督は、
           かなり思い切りのいいドイツ人でした。

      本作「わが教え子、ヒトラー」も思いがけない切り口からヒトラーに迫った映画です。
      私たちがヒトラーと聞いて思い浮かべるのは
      大観衆の前で唾を飛ばし、手を振り回し、足を床にうちつけ演説する姿。

      ところが、ところがです。
      ヒトラーの演説には重大な欠陥があったというのです。

           長時間演説すると声が出なくなってしまうヒトラー
           その発声上の問題を矯正し、演説を指導する教師がいた……

      それがこの作品の出発点です。
      ‘03にポール・デヴリエンという人物の著書「わが教え子(マイン・シューラー)
      アドルフ・ヒトラー」が出版されました。
      それに触発され、「わが教え子、ヒトラー」(マイン・フューラー)の脚本を書き、
      監督をしたユダヤ人がいます。
      ダニー・レヴィです。

           ポール・デヴリエンはオペラ歌手兼ボイストレーナーという
           政治とは無縁の人物ですが、
           この映画で、敗北も秒読み段階に入り、
           鬱状態にあるヒトラーに自信を回復させ、
           力強い演説を行うためのノーハウを教える教師として
           設定されたのは強制収容所のユダヤ人でした。

           戦前は世界的な名優として名を馳せ、総統になる前のヒトラーに
           発声法を教えたこともあるというグリュンバウムがその主人公。
           収容所から総統官邸へいきなり連れてこられ、
           その理由を明かされた彼は自分のおかれた立場に当惑するものの、
           収容所に残る家族を呼び寄せることを条件にヒトラーを教え始めます。

      ポール・デヴリエンがヒトラーを教えたのは1932年
      映画の中でグリュンバウムが教えるのは敗北直前の44年。
      映画は史実に基づいているとはいえ、
      わずか12年という時間設定の違いが荒唐無稽感を増幅します。
      そして、ヒトラーが妙に愛らしく人間臭く描かれます。
      グリュンバウム夫妻のベッドの真ん中にパジャマ姿のヒトラーが
      甘えて入ってきたり…

           笑いたいのに笑えない。
           私たちにとってヒトラーは悪のオーラをいまだに出しまくっていて
           「可愛い!」などと笑っちゃいられません。

           自己規制の網の目にがんじがらめにされ、
           いままでのヒトラー像が刷り込まれている人間にとっては
           立ち位置を決めるのが難しい映画。
           笑ったりすると背後から「おまえ、なに笑ってんだよ」
           とこづかれそうな気がします。

      被害者側にあるユダヤ人監督だからこそ
      撮ることのできた作品。
      時を経て笑うことができるのは被害者の側の人間だけかもしれません。

      悩めるユダヤ人グリュンバウムを演じるのはウルリッヒ・ミューエ。
      「善き人のためのソナタ」でシュタージ(旧東独国家公安局)の大尉を
      演じた俳優ですが、惜しくも昨年胃がんのため、54歳で亡くなりました。

      総統官邸に連行された時の当惑した顔
      鮮烈なラストで見せた静かな笑い
      沁みてきます。

      合掌

監督/ダニー・レヴィ
キャスト
グリュンバウム/ウルリッヒ・ミューエ、ヒトラー/ヘルゲ・シュナイダー
9月初旬 Bunkamuraル・シネマにてロードショー他全国順次公開
www.waga-oshiego.com

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by Mtonosama | 2008-08-18 07:14 | 映画 | Comments(6)
コッポラの胡蝶の夢
FRANCIS FORD COPPOLA
YOUTH WITHOUT YOUTH


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(C)2007 American Zoetrope, Inc. All Rights Reserved.


    「コッポラの胡蝶の夢」はフランシス・コッポラが10年の沈黙の後に満を持して発表した
    映画です。その原作は、ルーマニアの宗教学者であり、幻想小説家であるミルチャ・エリ
   アーデの小説「若さなき若さ」(‘76)ですが―――

              ミルチャ・エリアーデ(1907~1986)

          1907年ルーマニアの首都ブカレストに生まれる。
          ブカレスト大学で哲学を学び、22歳の時、カルカッタに留学。
          サンスクリット語と東洋哲学を修める。
          帰国後、博士号を取得し、宗教学者に。
          さまざまな大学で講義をしつつ、小説の執筆を開始。
          母国語であるルーマニア語の他にフランス語、ドイツ語、イタリア語、
          英語、ヘブライ語、ペルシア語、サンスクリット語を自由に操るが、
          小説だけはルーマニア語で書き続ける。
          第二次世界大戦中はパリに亡命。
          亡命中も小説を書き、1956年渡米。
          シカゴ大学神学部で教壇に立ち、宗教学者、小説家として活躍し、
          故国には戻らなかった。
          1986年79歳でシカゴにて永眠。

     と、まあ、そんな人物です。
     エリアーデという人そのものが小説のようではありませんか。

     しかし、あのコッポラがなぜこの少し特殊な宗教学者の小説を映画化したのでしょう?

     娘ソフィア・コッポラ(「バージン・スーサイズ」‘99、「ロスト・イン・トランスレーショ 
     ン」’03、「マリー・アントワネット」‘06)の活躍をにこやかに見守る好々爺になって、
     隠居を決め込んでいたとばかりに思っていたところへの登場ですし、
     始原の言語を研究する言語学者を主人公とする時空を超えた幻想小説です。
     コッポラとエリアーデという組合せの意外性にまずびっくりしてしまいます。


     かなり独りよがりな解釈ではありますが、
     言語の始まりは感動表現の始まりであり
     それゆえに感動を求め続ける映像作家F・コッポラが
     映画化に向けて動いたということでしょうか。

    
           1938年ルーマニアにも戦争の足音が近づいてきていました。
           ブカレスト北駅に降り立ったひとりの老人がとぼとぼと歩いています。
           老人の名はドミニク・マティ。
           その昔、婚約者ラウラと別れ、
           愛も人生も、ひとつの研究のために捧げて生きてきました。
           しかし、すでに年老い、研究すらも成果はないまま。
           絶望した老学者はひそかに生を終えるつもりで
           この地にやってきたのです。
           悄然と歩くドミニクに追い打ちをかけるかのごとく
           雨が降り始め、大音響とともに雷が彼を直撃しました。

           目を覚ましたのは病院のベッドの上。
           全身にやけどを負いながら、奇跡的に一命をとりとめたのでした。

           主治医が驚くほどの回復力を見せ、すっかり健康を取り戻したドミニク。
           その肉体も30代にしか見えないほど、若返っていました。
           落雷による急激な電気エネルギーの吸収は肉体のみならず、
           その頭脳にも驚異的な進化を与えます。
           そんなドミニクに接近する恐ろしい魔の手。
           ナチが狙いをつけてきたのでした…

   なんと荒唐無稽な、と眉をひそめるのはしばしお待ちを。

   実際にも、ルーマニアは枢軸国について第二次世界大戦に参戦し、
   ナチスの政策に従っていたという事実があり、戦後はソ連の支配下にありました。
   89年の民主化運動のたかまりの中でチャウシェスク大統領が処刑されたのも
   まだ記憶に新しいできごとです。
   ルーマニアの複雑な状況下で翻弄されたドミニクの人生は
   作者エリアーデの人生でもあったわけです。

   さらに加えて、ドミニク・マティを演じたティム・ロスと
   ドミニクの主治医役のブルーノ・ガンツの演技が
   本作に現実味と深さを与えています。

   ティム・ロスといえば少し首をかしげながら話す姿が印象的な俳優。
   「海の上のピアニスト」(‘99)でも首をかしげてピアノを弾く姿が
   頭にこびりついて離れません。
   そうそう。気の弱そうな上目づかいもこの人の持ち味。
   この映画でも30代の肉体を得て、とまどう姿がとても上品で素敵です。

      あ、ごめんなさい。ちょっと入れ込み過ぎました。

   一方、ブルーノ・ガンツもナーバスな患者・ドミニクを守る医師を好演しています。
   本作は英語での出演ですが、
   今回ばかりは彼らが原作のルーマニア語ではなく
   英語を話していても気になりません。

   といいますのも、この作品の後半になると
   サンスクリット語、バビロニア語、古代エジプト語やら古代語、
   さらにドミニクが自分で考えた人工語までもが出てきて、
   言語のオンパレードだからです。
   こうした言語をきわだたせるためにも耳慣れた英語を使うのは、
   ま、許容範囲の内です。

   そうそう、ドミニクの恋人を演じたアレクサンドラ・マリア・ララ
   (「ヒトラー ~最期の12日間」の秘書役でヒトラーを演じたブルーノ・ガンツと共演)
   は実際にサンスクリット語などを話すのですが、とてもそれらしく聞こえました。

   サンスクリット語を聞いたことがなくても、「らしい」か、「らしくない」かくらいはわかります。
   少なくともティム・ロスは「らしくない」サンスクリット語でしたから。
   なんでも、マリア・ララの母親は言語学者ということですから、
   蛙の子は蛙というところでしょうか。

          言語学者の数奇な運命に、戦争や、時空を超えた愛が絡む、
          というお話ですが、要は古今東西永遠のテーマである不老不死。
          日本にも八百比丘尼などという不老不死をテーマにした話がありますが、
          いくら若く、美しく、頭脳が明晰なままでも、
          親しかった人々が歳をとり、死んでいくのを見送りながら、
          生き続けなくてはならないのはつらいことです。

          Youth without Youth 若さなき若さ…
          悲しい言葉です。

          そして、幻想小説の醍醐味を十分に満喫できるラスト。
          コッポラ監督、まだまだ隠居ではありませんでした。

監督・脚本・製作/フランシス・フォード・コッポラ
原作/ミルチャ・エリアーデ
作家・翻訳・言語指導/ウェンディ・ドニガー

キャスト
ドミニク・マティ/ティム・ロス
ヴェロニカ/ラウラ/ルピニ/アレクサンドラ・マリア・ララ
スタンチェレスク教授/ブルーノ・ガンツ
8月30日(渋谷Q-AXシネマ改め)渋谷シアターTSUTAYA他全国順次公開
配給・宣伝:CKエンタテインメント
www://kochou-movie.jp

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by Mtonosama | 2008-08-10 15:37 | 映画 | Comments(5)