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殿様の試写室

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カテゴリ:映画( 969 )

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                        (c)ドキュメンタリー・ドリームセンター
長江に生きる 秉愛(ビンアイ)の物語
秉愛

一昨年、青蔵鉄道でチベットへ行きました。西寧からラサまで車内で一泊しての列車旅行です。
西寧を出てしばらくすると空が夕陽に染まり、広大な大地に大きくうねる河が見えてきました。
長江です。長江の源流です!
それは、巨大な龍が金色に染まった大地を這い、今にも空へ駆けあがろうとしているかのようでした。

その龍はさらに成長し、滔々と流れ続けます。
周囲には何千万の民が豊かな水の恩恵を受けつつ、
貧しくとも地を耕すものの誇りを胸に刻み、数千年も暮らしていました。
でも、それは三峡ダムができるまでのこと。

総工費300億ドルをかけた国家プロジェクトである三峡ダムは2009年、いよいよ今年、完成します。
ダム建設によって、140万人の住まいと田畑がダムの底に沈みました。
この映画の主人公秉愛(ビンアイ)も140万人の内のひとり。

三峡ダムの底に沈む話はすでにいくつもの映画になっています。
この映画もそうした作品のひとつではあるのですが、主人公は一人の普通の農婦・秉愛(ビンアイ)。
監督は彼女に七年間密着して撮影し続けました。
秉愛は中国国家プロジェクトにのみこまれてはしまいますが
農地を失うという不条理に最後まで逆らい続けます。
偉そうな村の小役人に必死にくらいつきます。
早口にまくしたて、あるいは哀願し、抵抗します。

「長江に生きる 秉愛(ビンアイ)の物語」は長江の雄大な流れを背景に
七年にわたる秉愛一家の日々を綴ったドキュメンタリー映画です。

撮影したのは馮艶(フォン・イェン)。
天津の大学で日本語を学んだ後、日本に留学、京大大学院博士課程で農業経済学を研究した女性です。
そんな人が何故映画を?
そうなんです。
実は、彼女、1993年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で小川紳介に出会ってしまったのです。

             小川紳介。ある世代の方々にはとても懐かしい名前のはず。
             三里塚闘争を記録したドキュメンタリー映像作家です。
             あ、三里塚というのはあの成田空港の成田のことですが。

        馮艶(フォン・イェン)監督が出会ったのは彼の語りを収録した
        『映画を穫る――ドキュメンタリーの至福を求めて』(山根貞男編集・筑摩書房)
        これに感銘を受け、中国語に翻訳し、台湾で出版。
        その後、写真とビデオ制作を学び、ドキュメンタリー製作を始めました。
        人の人生って、なにがきっかけで変わるか、わからないものです。

秉愛(ビンアイ)は長江のほとりで二人の子どもと病弱な夫と暮らす働き者の元気なかあさん。
生活は楽ではないけれど雄大な長江はいつも彼女の眼の前を流れています。
若い頃、秉愛にも恋人がいました。
でも、父親にいわれて今の夫と結婚。
その時の父の言葉を彼女はよく覚えています。
「ビンアイや、畑仕事に必要なのは水だよ。あいつと一緒になれば一生水に苦労することはないさ」
なのに、突然の移住命令。
秉愛の家はダムの底に沈むから出ていけ、というのです。
村の役人たちがやってきて、脅したりすかしたりして秉愛たちを追い出しにかかります。
補償金をもらって早々と都会に出て行った村人たちもいますが
秉愛は、この地の、この畑を耕し、二人の子どもを育ててきたのです。
そうそう国のいいなりにはなっていられません。
そんな姿勢を七年間貫き通してきたのですが…

        秉愛(ビンアイ)は典型的な中国農村部のおっかさん。
        14年前に馮艶(フォン・イェン)監督が初めて彼女に出会ったとき、
        「カメラなんか持ってないで畑仕事を手伝ってよ」と言われてしまったそうです。
        監督はそんな秉愛と長い時間をかけて信頼関係を築きあげてきました。
        今の私たちにとっては少し不思議なのですが、
        秉愛という人は、お金のためとか、楽な暮らしをするためとかのために
        働いているのではありません。
        「なぜそんなに働くの?」などという質問は彼女には無意味です。
        働くことが生きること。小賢しい理屈なんておかしくって、というところです。
        頑なだけど、中国4000年の歴史の心棒が、長江の雄大な流れが、
        彼女の中にはまっすぐ通っています。
        秉愛と知り合いになりたいなって思ってしまいました。


「長江に生きる」
制作・監督/馮艶(フォン・イェン)
出演
秉愛(ビンアイ)
3月7日(土)より27日(金)渋谷ユーロスペースにてロードショー
www.bingai.net
by mtonosama | 2009-02-20 06:27 | 映画 | Comments(8)
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シリアの花嫁
The Syrian Bride

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中東映画が多い最近の当試写室です。
中東の映画には良い作品が多いのですが、ひとつ問題が。
そうなんです。
地理的にも、政治的にも、宗教的にも、歴史的にもあまりに複雑でわかりにくい。
アラブ人とユダヤ人。イスラム教とユダヤ教。
さらにイギリス、フランス、旧ソ連、アメリカも加わった
シッチャカメッチャカな状態が100年も続いています。
さらに聖書の時代にまで遡ったら、もう訳がわかりません。

タイトルから想像がつくように、「シリアの花嫁」はアラブ人の抱える問題を描いた作品です。
ですが、この映画のエラン・リクリス監督はエルサレム生まれのユダヤ人。
戦争は嫌、というのはたやすいけれど、
ここまでこじれてしまった関係は、絡んだ糸目をほどくように
すぐれた映像芸術によって根気よく矛盾点をあぶりだしていくことも必要なのかもしれません。

ユダヤ人監督、アラブ人監督
民族や国の利害だけでなく、
人としてどう生きていきたいかを訴える映画監督が
出始めていることはちょっと良い傾向でしょうか。

映画の舞台はゴラン高原。
第一次世界大戦以来、フランスの委任統治領の一部だった地域です。
ゴラン高原はシリア・アラブ共和国に属していますが、
1967年の第三次中東戦争でイスラエルによって占領されました。
(今問題になっているガザもこの戦争の時に占領されました)
シリアは、ゴラン高原を自国領と考え、イスラエルという国家の存在も認めていません。
それなのに、イスラエル政府は1981年にゴラン高原を一方的に併合してしまいました。

そこに、「シリアの花嫁」が生まれた背景があります。

ゴラン高原がイスラエルによって併合されてしまったので、
住民はイスラエル国籍と市民権を取得できます。
でも、ほとんどの住民はシリア人としての民族意識が強く、イスラエル国籍を選びません。
ということは無国籍!?
ゴラン高原北部の村マジュダルシャムス村に住むモナも、そんな住民の一人。

モナは今日シリアに住むタレルに嫁いでゆきます。
人生で一番うれしい日なのに、浮かない顔をしているのはなぜ?
ウェディングドレスを手に、姉のアラムと連れだって村の美容院へ向かうモナ
道々、村人たちが「おめでとう」と声をかけてくれます。

イスラエルのホテルに、モナの兄・長男で弁護士のハテムが家族と泊まっています。
彼は父やイスラム教ドゥルーズ派長老たちに逆らってロシア人と結婚したため、勘当された身。
結婚式に出席するため8年ぶりに故郷のゴラン高原へ戻る途中です。
テルアヴィヴ空港には二男のマルワンも。
各国に散っていた兄弟たちが妹の結婚を祝福するため、集まってきました。

その日、モナの村ではシリアの新大統領を支持するデモが行われる予定。
イスラエルの警察署は警戒態勢をはります。
同時に「シリア側に嫁ぐ花嫁がいるが、花嫁の父・ハメッドは軍事境界線に行かせるな」との命令も。
ハメッドは親シリア派。投獄経験もある要注意人物なのです。

ゴラン高原の国連事務所では
国際赤十字のスタッフ・ジャンヌが同僚とモナの結婚について話しています。
「花嫁は境界線を越えたらシリア国籍が確定し、イスラエルへの入国は不可能になってしまうのね」

花嫁姿のモナは姉のアマルに結婚への不安を打ち明けます。
境界線を越えたら最後、
何が起ころうと二度と故郷へは戻れず、家族に会うこともできないのですから……

シリア側とゴラン高原側に別れた親子、兄弟、親戚が会う方法はないのか、というと、
ないわけではありません。
どうするか、というと、叫ぶのです。

シリアとイスラエル領となったゴラン高原を隔てる地雷が埋まった谷越しに
「叫びの丘」と呼ばれる丘から、親が子に、弟が兄に叫びます。
「げんきかー!」「げんきだよー!」。

映画の中でもシリアで勉強する弟が両親や兄弟に向かって叫ぶシーンがあります。
花婿のタレルも叫びます。
結婚式でありながら、ゴラン高原側の親族は花婿と花嫁が並んだ姿すら見ることができないなんて…

昔、ベルリンが西と東に別れていたころ、
壁越しに会う肉親たちの様子を撮影したドキュメンタリーを見ました。
暗く重いベルリンの冬空の下、涙をおさえる老婆の姿が印象的でした。
暑く照りつけるゴラン高原の太陽の下でも同じことが今も起こっています。

しかし―――
花嫁は勇敢でした。姉のアマルも強い女性でした。
女は一旦決断すればやります。

希望という言葉を信じたくなる作品です。
ちなみにアマルとはアラビア語で「希望」という意味なのだそうです。



「シリアの花嫁」
監督/エラン・リクリス、脚本/エラン・リクリス、スハ・アラフ
キャスト
ヒアム・アッバス/アマル、マクラム・J・フーリ/ハメッド、クララ・フーリ/モナ、アシュラフ・バルホウム/マルワン、エヤド・シェティ/ハテム、ジュリー=アンヌ・ロス/ジャンヌ、
ディラール・スリマン/タレル
2月21日(土)より岩波ホールにてロードショー
http://www.bitters.co.jp/hanayome/

by mtonosama | 2009-02-13 06:34 | 映画 | Comments(6)
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彼女の名はサビーヌ
Elle s’ appelle Sabine

とてもショッキングな映画です。
でも、そんな感想を漏らすこと自体、関係者にとってはまたつらいのではないかと思い、悩んでしまうのですが…

「彼女の名はサビーヌ」。
「冬の旅」(‘85)で仏セザール賞を受賞し、代表作「仕立て屋の恋」(‘89)で主役を演じたサンドリーヌ・ボネール。
「ああ、あの人」とうなずかれる方も多い、そう、あの女優の初監督作品です。
自閉症の妹サビーヌを25年かけて撮影したドキュメンタリー「彼女の名はサビーヌ」が今回ご紹介する作品。

サンドリーヌとサビーヌは仲の良い1歳違いの姉妹。
映画は、美しく才能に充ち溢れた妹サビーヌをサンドリーヌが家庭用映写機で撮りためた映像と、
5年間の入院生活を経てすっかり変わってしまった現在のサビーヌを撮影した映像から構成されています。


15歳のサビーヌの輝くような美しさ。
彼女は仲良しの姉が向けるカメラに信頼しきった笑顔を見せています。
バカンスで出かけた海で満開の微笑みを見せるサビーヌ
バッハのプレリュードを弾くサビーヌ
サビーヌは幼い頃から特別な配慮が必要な子どもでしたが、10人の兄弟姉妹に守られて穏やかな少女時代を過ごしていました。
しかし、時が経ち、兄弟姉妹も独立して家を出ていくと、母親との二人暮らしが始まります。
やがて兄の死をきっかけにサビーヌの孤独感が深まり、彼女の不安は自分と家族に対する暴力として現れました。
当時はわからなかったのですが、彼女は自閉症だったのです。
28歳のサビーヌは精神病院に入院。入院生活は5年間に及びました。
そして、退院してきたときの彼女の姿は入院前とは大きく変わっていました。

これって若い娘にとっては「死」に匹敵する変貌ではないでしょうか。

自閉症は普通思われているように「心の病」ではありません。
映画「レインマン」でダスティン・ホフマンが演じていたように、コミュニケーションの障害、対人関係・社会性の障害、パターン化した行動やこだわりという特徴を持つ
「発達障害」のひとつが自閉症です。
専門家によれば「何らかの脳の機能的不全が根底にあり、これが原因でさまざまな因子が関与して自閉症の特性が現れる」のだとか。
なんだかよくわかりませんが、要するに、そのメカニズムはまだ解明されていません。
ただ、保護者の愛情がないから生じる障害ではないので
「親があんなふうだから、あの子は自閉症になったのよ」
などというのは言われもない誹謗中傷です。
また自閉症患者には必ずしも知的障害があるわけでもありません。

しかし、自閉症の子どもの症状はさまざま。環境や周囲の対応によって変わってきます。
知的障害のない自閉症患者は思春期になると妄想や幻覚、気分障害に似た症状を起こすこともあり、そうした場合、誤った治療を施されてしまう危険性があるわけです。
そう、サビーヌの失われた5年間のように。

以前、自閉症は大変な病気であると考えられていましたが、現在は違ってきています。
その症状は独特の特性であり、治すのではなく、社会的不適応の部分を軽くしようという考え方が主流になっているのだそうです。
「ノーベル賞級の研究をする学者は多少自閉症的要素を持つ」という話もあるほど。
この病気にとって必要なのはなるべく早く自閉症であると気づき、適切に対応することなのです。

監督がこの作品を撮ったのは
「監禁される以前のサビーヌと監禁以降のサビーヌを撮影すること」が目的でした。

とはいうものの、姉として、妹の美しくない部分、粗暴な部分を撮影するのはつらかったことでしょう。この映画を撮影した彼女の勇気には頭が下がります。
フランスも日本も、自閉症児のための早期発見態勢と対応システムを早く整えていかないと。

世の中には本当に大変なことばかり。
試写が終わったとき、大きな溜息をついてしまいました。

「彼女の名はサビーヌ」
監督・脚本・撮影/サンドリーヌ・ボネール
出演
サビーヌ・ボネール

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映画『彼女の名はサビーヌ』
http://www.uplink.co.jp/admin/mt/mt-tb.cgi/159
by mtonosama | 2009-02-06 05:25 | 映画 | Comments(10)
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キャラメルCARAMEL

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ご紹介するのはレバノンの映画です。
レバノンでは2006年7月イスラム教シーア派民兵組織ヒスボラとイスラエル軍との間に
戦争が起こりました。
この映画は戦争前に撮影され、戦争が勃発したときは編集にかかったばかりだったそうです。
で、キャラメル?

どこか唐突感が否めないタイトルですが、
実はレバノンの女性とキャラメルには切っても切れない関係が。
キャラメルと言っても塩キャラメルや生キャラメルといったスイーツではありません。
レバノンでは昔から、女性は砂糖に水とレモン汁を加え、キャラメル状にしたもので
むだ毛の処理をしてきたのだそうです。
キャラメルをむだ毛の上に塗り、乾きかけたところで一気に剥がす。ウッ。
映画はキャラメル脱毛の痛みに思わず叫んだ女性の悲鳴とともに始まります。

ストーリー
ベイルートの街角にある居心地の良さそうな美容院。
オーナーのラヤールは30歳独身。恋人がいます。
でも、彼は妻帯者。
その恋人から電話がかかると、仕事をスタッフに任せ、店を飛び出して行くラヤール。
そう、不倫です…
        
恋人との結婚を間近に控えた28歳のニスリンはそんなラヤールの後ろ姿を
心配そうに見守ります…

もう一人のスタッフ、24歳のリマはちょっとボーイッシュで無口な女の子。
美容院ではシャンプーを担当し、長い黒髪の美しい客に少々のぼせています…

常連客のジャマルはオーディションを受け続けていますが、
一度も合格したことはありません…

美容院の向かいにある仕立屋のローズは65歳。
自分の人生をほぼ諦めて、仕事と年老いた姉リリーの世話で日を送っています。 

そこへ一人の紳士がスーツを直しにやってきて…

そんなレバノンの普通の女たちが抱える恋愛、結婚、不倫、老い。
戦火の不安に曝されている国とはいえ、人々は普通に生きています。
いえ、戦争は普通に暮らしている人々を平気で蹴散らすものなのですけれど。

レバノン。極東の日本から遥か遠くの国。
レバノンの人々がどんな顔をしているのかも、よく知りませんでした。
イスラム圏の女性は顔を隠しているので、
レバノンの女性がこんなゴージャスな顔立ちだったことにも驚きます。
そして、イスラム教徒もキリスト教徒も混在している国なのですね。

女たちが抱え込んでいる不倫、同性愛、婚前交渉。
中東レバノンでこれらはまぎれもないタブー。
でも、女たちの聖域、美容院ではこうしたことが、おおっぴらではないまでも、
彼女たちの暗黙の了解の内に存在しています。
髪をゆだね、脱毛まで任せるサロンでは、女たちの本音がまかり通るのでしょう。

この映画の監督はゴージャスなアラビア美女ナディーン・ラバキー。
主演女優であり、脚本も手がけている才色兼備の女性です。
1974年生まれの彼女は女優をしながら、
CMやアラブポップスのビデオクリップの監督としてキャリアを積み、
本作で長編映画監督デビューを果たしました。
業界人であり、女優でもありますから、その美貌には納得できますが、
この映画に出演している他の個性豊かな登場人物は皆一般人。
素人でありながら、やはり華やかであでやかなことには驚きます。

アラビアの国々は「千夜一夜物語」に代表されるように華麗なエキゾチックワールドだったのに、
今は戦争と石油ばかりが目をひく地域になってしまいました。
しかし、この映画のどこにも戦争の影はありません
「『キャラメル』は別の方法で戦争を生き抜く、そして戦争を終わらせる、戦争に対する仕返し」

と監督は語ります。

キャラメルのように甘くて、キャラメル脱毛のように痛い。
「キャラメル」は人生の表と裏をはっきり描いた映画です。

「キャラメル」
監督/ナディーン・ラバキー、脚本/ナディーン・ラバキー、ジハード・ホジェイリー、ロドニー・アル=ハッダード
キャスト
ナディーン・ラバキー/ラヤール、ヤスミーン・アル=マスリー/ニスリン、ジョアンナ・ムカルゼル/リマ、ジゼル・アウワード/ジャマル、シハーム・ハッダード/ローズ、
アジーザ・セマアーン/リリー
1月31日(土)より渋谷・ユーロスペース他全国順次ロードショー
配給:セテラ・インターナショナル
www.cetera.co.jp/caramel/

by mtonosama | 2009-01-30 06:06 | 映画 | Comments(10)
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ロルナの祈りLe Silence de Lorna


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誰にでも何度も観たい大事な映画があるでしょう?
両の掌でそっと転がしていたいような映画。「ロルナの祈り」はそんな映画になるかもしれません。

カンヌ国際映画祭でパルムドール大賞を受賞した「ある子供」(‘05)に次いで
2008年同映画祭最優秀脚本賞を受けた「ロルナの祈り」。
ジャン・ピエールとリュック。
3歳違いのダルデンヌ兄弟はカンヌで2度のパルムドールを含む4作連続主要賞を受賞したベルギーの名匠です。
本作「ロルナの祈り」はそんな兄弟監督が初めて撮ったラブストーリー。
しかし、ダルデンヌ兄弟。ただの恋愛映画では終らせません。

ヨーロッパに(日本でも)増えつつある不法移民。
より良い暮らしを夢見て、やってきた不法移民はさまざまな手段を弄してその国に住みつこうとします。
それに手を貸し、黒い金を手にするブローカー。この珠玉のラブストーリーの背景は不法移民問題なのです。

ロルナは若いアルバニア女性。故郷の恋人ソコルと、ベルギーでバーを開く夢を持っています。
彼女はこの国の国籍を得て暮らすため、ブローカーの手引きでベルギー人のクローディと偽装結婚をします。
クローディは麻薬中毒患者ですが、一生懸命に生きる健康な彼女を間近に見る内、
麻薬を断ち、人生をやり直したいと思うようになりました。

しかし、ロルナにはクローディに知られてはならない重大な秘密が。
彼女はブローカーにとっては客であるだけではなく、国籍売買の道具。
ロルナがベルギー国籍を取得できたら、彼女を《未亡人》にして、
国籍を欲しがっているロシア人と結婚させるという計画があるのです。
麻薬中毒のクローディはその計画のための恰好の素材でした。

ある日、クローディは麻薬を断とうと自ら入院を決意。
ロルナに手助けを求めます。入院手続きを終え、帰ろうとするロルナに「一緒にいて」とすがるクローディ。
ロルナが自分の抱える残酷な秘密を重苦しく感じた最初の瞬間でした。
〈離婚できれば、彼は殺されずにすむ〉

ロルナは離婚を成立させるため、彼に暴力を振るわれたとみせかけ、わが身を傷つけ、警察へ。
「証人がいないとダメだ」。警官の返した答えでした。
再び自らを傷つけ、看護師を証人にして、警察に訴え出るロルナ。
しかし、そんなロルナをブローカーが黙って見ているはずはありませんでした……

ダルデンヌ兄弟の撮るベルギーの街並みには華がありません。
海外旅行でふと目にする駅裏にたたずむ所在無げな若者や無造作に打ち捨てられた注射器に似た印象です。
人生にはハレとケの部分があるのに、
彼らの映画にはケの部分が圧倒的に多いというか、ケだけで成り立っていて、
淡々とした日々の営みを観ている感じがします。
にもかかわらず、観客をのめりこませてしまうところがダルデンヌ兄弟の並々ならぬ力量。
彼らは映画音楽を使いません。映画の背景に聞こえる音は生活音やノイズだけ。
観客は俳優のせりふや息遣い、演技だけに集中することができます。
少なくとも、これまでの作品ではそうでした。

ところが、「ロルナの祈り」でダルデンヌ兄弟は初めて音楽を用いました。
ベートーヴェンのピアノソナタです。
ブローカーから逃れて、ひとりで森に逃げ込んだロルナ。
ピアノソナタは絡みつくように、導くように、そして、守るように流れます。
このシーンで映画が転調したかのようです。ケがハレになります。

監督の言葉です。
「観客が、このたった一人になってしまった女性と直接向き合ったままに放置しておきたくはなかったのです。
観客と彼女の間に、何か二者をつなぐもの、彼女と共有できる何かを生み出そうと思いました」


ダルデンヌ兄弟、やはりただものではありません。
「ロルナの祈り」もただのラブストーリーじゃありません。
あの穏やかな風貌のふたりのなかに内蔵された映像世界は毎回進化していくようです。


「ロルナの祈り」
監督・脚本/ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
キャスト
アルタ・ドブロシ/ロルナ、ジェレミー・レニエ/クローディ、ファブリツィオ・ロンジョーネ/ファビオ、アルバン・ウカイ/ソコル
1月31日恵比寿ガーデンシネマ他全国順次ロードショー
http://lorna.jp

by mtonosama | 2009-01-23 06:41 | 映画 | Comments(13)
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(c) Dox Productions Limited 2007. All rights reserved
ザ・ムーンIn the Shadow of the Moon

「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」
That's one small step for (a) man, one giant leap for mankind.
月着陸船から月面に降り立ったとき、ニール・アームストロング船長が発した有名な言葉です。

1969年7月20日、世界中が熱狂したこの日、とのは妙に醒めていました。
「ベトナム戦争で大勢の人間を殺しながら、何が月面着陸だよ。冗談言っちゃあいけないよ」と内心思っておりましたです。
大体が、宇宙開発そのものが、米ソの陣取り合戦ではありませんか。
ゲバラが奮闘していた時代に、米ソは地球上の争いだけでは足らずに宇宙でまで競争していたんですから。
それに、管制官たちがインカムつけて計器を覗きこんでいるケネディ宇宙センター。あれはなんですか。
ロケットが飛んだといっては歓声を上げ、月に着いたといってはオーッとどよめく。
なんか「ゴジラ」や「モスラ」のラストシーンっていうか、うそっぽいお祭り騒ぎみたいだと思いませんか。ブツブツ。
月面着陸40周年を記念して公開される記録映画「ザ・ムーン」のことなのですけどね。

だったら、なぜ、そんな映画観る?
ですよねぇ。
ま、あの頃、へそ曲げて、世紀の大宇宙ショーを見損なった借りを40年経った今、取り戻そうというわけで…。
しかし、へそを曲げていたおかげで未公開映像を含むオリジナル映像を観られるし
月へ飛んだ宇宙飛行士たちの、今でこそ語れるエピソードも聞けるのですから
ま、いいんですけど。
それに、実のところ、宇宙船の窓に輝く青い地球も見たかったもので。

        アポロ計画は1961年のケネディ大統領の議会演説から始まりました。
        「わが国は60年代が終わるまでに、人類を月へ送り、地球に無事帰還させる」
        全米の若い優秀なパイロットたちがNASAに集まります。その中からライトスタッフ(正しい資質)を持つパイロットが宇宙飛行士として選ばれました。
        そして、ニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイク・コリンズの3人は1969年7月16日、アポロ11号に乗って月へと飛び立ちます。
        3日間にわたる月への飛行。
        月着陸船イーグルが司令船から切り離され、アームストロングとオルドリンは月の砂の上に足跡を刻んだのでした…

映画の中に宇宙飛行士の印象的な言葉があります。
「われわれは月を知ることで、地球について知った。月で親指を立てると親指の裏に地球が隠れる。すべてが隠れる。(中略)われわれはなんと小さな存在だろう」

宇宙を飛んだ人間はなにか偉大な存在に包まれる、と聞いたことがあります。
1989年にソ連のソユーズに乗って宇宙に旅立ったTBSの秋山豊寛氏も宇宙から地球を見て環境問題にめざめ、今は農業に従事しているそうですし
例の有名な言葉を発したニール・アームストロングも現在は世捨て人のような日々を送っているとか。
彼はこの映画でも他の宇宙飛行士のようにインタビューに答えてはいません(アポロ11号打ち上げ前日の若き日のインタビュー場面には登場しますが)。

真っ暗で広大無辺な宇宙に頼りなげに浮かぶ地球
青白く輝く小さな美しい地球

月に降り立つということは、そのはかなげで小さな地球を客観的に眺めるということだったのですね。

「ザ・ムーン」
提供/ロン・ハワード(「アポロ13号」監督)、監督/デイヴィッド・シントン、製作/ダンカン・コップ
主演:アポロ計画の宇宙飛行士達
バズ・オルドリン(11号)、マイケル・コリンズ(11号)、デイヴ・スコット(9号/15号)、ジーン・サーナン(10号/17号)、ジム・ラヴェル(8号/13号)、ジョン・ヤング(10号/16号)、
エドガー・ミッチェル(14号) 他

1月16日(金)よりTOHOシネマズ 六本木ヒルズ他全国ロードショー
themoon.asmik-ace.co.jp

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by mtonosama | 2009-01-16 06:23 | 映画 | Comments(4)
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(C)2008 Guerrilla Films,LLC-Telecinco Cinema,S.A.U.All Rights Reserved

チェ 28歳の革命/チェ 39歳別れの手紙
Che part1:The Argentine/Che part2:Guerrilla

エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。
このなが~い名前がチェ・ゲバラの本名。
チェというのは「よーっ」とか「おい」とか「ねえ、君」とか、そんな呼びかけの言葉だそうです。

星のついたベレー帽を斜にかぶり(一つ星は少佐の階級章です)、
より高い地平をめざすかのごとく、強い意志をみなぎらせて上方をみつめる瞳。
ベレー帽からのぞくモジャモジャの髪。そして、ひげ。
か、かっこいい。
とのも有名なゲバラのそのポスターをパネル貼りにして、大事に、大事に持っていました。

チェ・ゲバラは1928年生まれの革命家。生きていれば、今年81歳になります。
それほど大昔の人ではありません。だって、あのカストロだって、つい最近引退したばかりです。
生き残った革命家は老練な政治家になるのでしょうが、
夭折した革命家は伝説になります。

1967年ボリビアで政府軍の手に捕らえられ、その翌日、銃殺されたチェ・ゲバラ。
彼は今も英雄として燦然と輝き続けています。

      「チェ 28歳の革命」と「チェ 39歳別れの手紙」は、ゲバラを演じたベニチオ・デル・トロがプロデュース、スティーヴン・ソダーバーグが監督として、撮影されました。
      ベニチオは7年間もゲバラについてリサーチし、彼を演じるために25キロも減量したといいます。

      「キューバ革命について最もエキサイティングなことは関わった人たちが今も生存していることだ」  

      そう、ベ二チオ、その通りです。この二部作は記録映画としても、ベストな時に撮られたということですね

「かつて、本気で世界を変えようとした男がいた」(チェ2部作はキャッチフレーズにも力が入っています)
オバマさんは“チェンジ!”と連呼して、大統領になり、
チェ・ゲバラは自身を変え、周囲を変え、キューバ革命を闘いました。

      「革命」 
     今、閉塞状況にあって、この言葉が、遠い記憶の底からじわりと蘇ってきます。

Part1「チェ28歳の革命」では、カストロ、ゲバラ達のキューバ上陸からハバナ入城までの激動の2年間
part2「チェ39歳 別れの手紙」では、ボリビアでの革命運動、そしてゲバラの死までが描かれています。
「チェ28歳の革命」には、キューバ革命後、国連で演説するゲバラの実写フィルムも挿入され、少し古びた映像の中で生きて語るゲバラがいます。
ソダーバーグ監督も語っていますが、
「僕らが勝手な想像力ででっちあげたようなシーンはひとつもない。すべてのシーンは、細部を含め、きちんとしたリサーチやインタビューに基づいている」。
ですから、映画の印象は、CNNとかBBCとかの戦場中継を観ているような
それがイラクやアフガニスタンの荒地ではなく鬱蒼としたジャングルに変わったようなリアル感があります。
革命もまた戦いであることを再認識させられます。

      「チェ28歳の革命」。ハバナ入城で意気盛んな兵士たち。ド派手なアメ車でハバナへと疾走する革命兵士を制止し、
      「車を持ち主に返し、革命兵士らしく振舞いたまえ」と説くゲバラの姿に、生真面目な革命家の顔が見えます。
      「モーターサイクル・ダイアリーズ」(‘03)をご覧になった方なら、「ゲバラも随分大人になったなぁ」と思われるでしょう。
      あの気楽な南米一周旅行を通して、ゲバラは貧困と不平等をその眼に焼きつけ、 医師から革命家に転身したのですよね。
      「モーターサイクル・ダイアリーズ」を観て、この2本の映画を観ると一人の男の人生の記録を観ているような気分になります。
      「チェ 39歳別れの手紙」でゲバラが銃弾に倒れるシーン。
      最初、その視野には空が映っていたのに、彼が崩れ斃れた数秒後にはボリビアの小石混じりの大地が映ります。
      その数秒の時間差の内に、若き日のゲバラのあれもこれも思い出してしまうのです。
     
喘息持ちで、ダンスが苦手で、正義漢で、女好きで、「革命家は愛によって導かれる」と気障な言葉を平気で言える男。
常に変革をめざした永遠の革命家にして、永遠の旅人。
今、変革が、真剣に求められるこの時代にゲバラの映画が登場したことは、もしかしたら、とても大きな意味を持つ出来事なのかもしれません。

「チェ 28歳の革命」
監督/スティーヴン・ソダーバーグ、プロデューサー/ベニチオ・デル・トロ、ローラ・ビックフォード
キャスト
ベニチオ・デル・トロ/チェ・ゲバラ、デミアン・ビチル/フィデル・カストロ、サンティアゴ・カブレラ/カミロ・シエンフエゴス、カタリーナ・サンディノ・モレノ/アレイダ・マルチ、ジュリア・オーモンド/リサ・ハワード
1月10日(土)より日劇PLEX他全国ロードショー

「チェ 39歳別れの手紙」
監督/スティーヴン・ソダーバーグ、プロデューサー/ベニチオ・デル・トロ、ローラ・ビックフォード
キャスト
ベニチオ・デル・トロ/チェ・ゲバラ、デミアン・ビチル/フィデル・カストロ、フランカ・ポテンテ/“タニア”、カタリーナ・サンディノ・モレノ/アレイダ・マルチ、ルー・ダイアモンド・フィリップス/マリオ・モンヘ
1月31日(土)より日劇PLEX他全国ロードショー
http://che.gyao.jp/
by mtonosama | 2009-01-09 06:51 | 映画 | Comments(10)
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(c)2008松竹株式会社

連獅子/らくだ

笑門来福。
あれも、これも、そう、巷に吹いている不景気風も大笑いで笑い飛ばしてしまいましょう。
それには「らくだ」でございます。
さらに紅白の毛ぶりで春から縁起のいい「連獅子」でめでたさ満開、といきたいではありませんか。

歌舞伎の舞台公演をHD高性能カメラで撮影し、スクリーンで上映するシネマ歌舞伎。
‘05年1月野田秀樹作・演出の新作歌舞伎「野田版 鼠小僧」を皮切りに、
坂東玉三郎の「鷺娘」と玉三郎と尾上菊之助の「日高川入相花王」を二本立て(’06公開)で、
同じく玉三郎・菊之助による「京鹿子娘二人道成寺」(‘07公開)、
野田版 研辰の討たれ」(’08年5月公開)と数え、
同年10月には六作目となる山田洋次監督「人情噺文七元結」が公開されました。
そして最新作が、二本立てで公開されるこの「らくだ」と「連獅子」。
「連獅子」では再び山田洋次監督がメガホンをとっています。

「らくだ 眠駱駝物語

皆さまご存知の名作落語。
明治時代に上方落語として完成され、
大正には三世柳家小さんが江戸の噺にも仕立て直したという落語です。
歌舞伎としても人気演目で、
今回のシネマ歌舞伎は‘08年8月に歌舞伎座で上演された舞台を撮影・収録したもの。

        棟割り長屋のすりきれた畳の上、風呂先屏風の裾から汚い足がにょっきりのぞいています。
        フグにあたって急死した馬太郎こと“らくだの馬”でございます。
        仲間の半次が葬式の金を調達しようと、屑買いの久六に声をかけますが、
        らくだの家には金目のものなどありゃしません。
        大家から通夜の酒肴をせしめようとした半次、
        久六を使いに出して「通夜の酒肴を出さなけりゃ、
らくだを担いでカンカンノウを踊らせるぞ」と脅させます。
        しかし、大家がこれまた剛の者。
        「らくだが死んだとはこりゃ目出度い。死人のカンカンノウたぁ珍しい。ぜひ見てみたい」
と言い出しまして…

もう、これがおかしいといったら。
笑い過ぎて涙がでてきます。
スクリーンを見れば久六役の勘三郎も汗まみれになって笑っています。
これがシネマ歌舞伎の良さですわ。
歌舞伎座の座席に座っていたんじゃ、
勘三郎の大汗かいた顔や三津五郎の笑いをかみころした表情など見られません。
らくだが久六に負ぶわれて踊る足さばき、脱力感たっぷりの手の動き。
笑い過ぎてお腹が痛くなっても誰も責任はとってくれませんから、それだけはご用心、ご用心。

「連獅子」

いわずとしれた歌舞伎十八番。河竹黙阿弥作詞による歌舞伎舞踊の人気演目です。
2007年10月新橋演舞場で親獅子・中村勘三郎、子獅子・勘太郎と七之助が舞った、注目の親子連獅子。
この舞台を「人情噺文七元結」に続き、山田洋次が監督をつとめました。
実はこの企画、勘三郎自ら山田監督に頼み込んで実現したといいます。
勘三郎の祖父・六代目菊五郎も、昭和10年小津安二郎監督に「鏡獅子」を撮ってもらった例に倣い、
時代を代表する名監督に一世一代の舞台を撮影してもらい、
後世に伝えていきたいという思いがあったのでしょう。

通常、連獅子といえば親獅子、子獅子の2人舞い。
ところが中村屋には勘太郎と七之助という二人の立派な跡取り息子がいるとあって、
当代ならではの3人舞い。
これは注目です。

クライマックスの毛振りといい、舞台上での大見えといい、さすが兄弟、さすが親子。
「中村屋っ」と声をかけたくなります。
毛振りシーンのこの迫力、舞台上に設置したカメラで舞台稽古を撮影したことで生まれました。
客席からでは決して観ることのできない映像です。

芝居小屋の客席から観れば、観客や役者の熱気や興奮がダイレクトに伝わってくるでしょう。
大向こうからの声掛けも臨場感をそそります。
しかし、シネマ歌舞伎もそれにまさるとも劣らない魅力が満載です。
いや、ほんと。
勘三郎があれほど汗まみれになって芝居をしているとは、知りませんでした。
連獅子・らくだの豪華二本立て、たまには歌舞伎もいいですねぇ。


「らくだ 眠駱駝物語」
作/岡鬼太郎、改訂・演出/榎本滋民
配役
中村勘三郎/紙屑屋久六、坂東彌十郎/家主女房おいく、片岡亀蔵/駱駝の馬太郎、尾上松也/半次妹おやす、片岡市蔵/家主左兵衛、坂東三津五郎/手斧目(ちょうなめ)半次

「連獅子」
作/河竹黙阿弥、監督/山田洋次
配役
中村勘三郎/狂言師後に親獅子の精、中村勘太郎/狂言師後に子獅子の精、中村七之助/狂言師後に子獅子の精、片岡亀蔵/僧蓮念、坂東彌十郎/僧偏念
東劇ほか全国順次公開中
東劇
11:00 13:30 16:00 18:40
16:00と18:40の回の「連獅子」は長唄歌詞の日本語字幕版を上映
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki

by mtonosama | 2009-01-04 06:38 | 映画 | Comments(4)
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そして、私たちは愛に帰る
The Edge of Heaven

Auf der Anderen Seite

ハンブルグからイスタンブール。
移動手段は列車にしますか?それとも車?
重厚な石造建築を見ながら、薄暗い空の下を列車に揺られ、ヨーロッパを呼吸し
イスタンブール市街から周縁の地域へは地中海を遠望する埃っぽい道を行く。
例え、砂埃が舞い込んできても、窓を開け、片肘を出してハンドルを握りたい。
異境にあるという昂揚感がより以上にそそられます。

ドイツとトルコ。その関係には歴史的にも宗教的にも深いものがありますが
難しい問題を考えるまでもなく、ベルリンやミュンヘンなどの都市を歩けば
ソーセージの屋台と並んで普通に
ケバブやドネルサンドなどトルコフーズの屋台が繁盛しています。

現在ヨーロッパには420万人ものトルコ人が暮らしているそうです。
ドイツに住んでいるのはその内半数以上の270万人。
1960年代に出稼ぎでやってきた人々がそのまま残り
そこに難民たちが加わってトルコ人コミュニティができあがりました。

近年、発展著しいトルコですが、それは大都会での話。
地方では昔ながらの生活習慣を守り
良い意味でも、悪い意味でもトルコの伝統文化を維持し続けています。
ヨーロッパ内のトルコ人コミュニティも同じ。
いえ、異文化世界に暮らすことによって、かえってトルコ人としての伝統文化を守る意識は
本国にいる時より強いのかもしれません。

さて、この映画の監督ファティ・アキンですが、ドイツ・ハンブルグの生まれで、35歳。
ヨーロッパで教育を受けましたが、家庭ではトルコ語を話していました。
子どもの頃から、夏休みになると毎年トルコに行っていたそうです。

ヨーロッパとトルコ、ふたつの文化圏に生き、ドイツ語とトルコ語を話し
大学を出て映画を撮るようになった時、監督はためらわずにトルコを撮影しました。
トルコを知るにつれて、トルコに魅かれていきましたが、その問題点も見えてきました。
これこそ、ヨーロッパ圏での生活が二世代目に入った若いトルコ系ドイツ人の抱える
アンビヴァレンスなのでしょう。

「そして、私たちは愛に帰る」は二組のトルコ人親子と一組のドイツ人母子が織りなす
親子の愛とトルコを描いた映画です。
何の関連もなかった親子がそれぞれのできごとをきっかけに葛藤し、すれ違い
そして、三組がそれぞれにつながりを持ち、大切なものを発見する。
ハンブルグ・イスタンブール間の2000キロという地理上の旅にとどまらず
母と娘、父と息子の心を結ぶ心の旅であり、人生の旅でもある究極のロードムービーです。

ドイツ語タイトルの“Auf der Anderen Seite”。
「向こう岸で」とでも訳すのでしょうか。黒海によって隔てられた彼岸と此岸、ドイツとトルコ。
わかりあえない親と子のようにその距離は遠いのですが、出づるところは同じはず。

      「この映画はふたつの国の関係を巡る映画でもあると思う」 
     ファティ・アキン監督のコメントです。

吸い寄せられるように父のもとへ、車を駆って砂埃の道を進む息子。
大きな夕陽が沈もうとする中、砂浜にひとり腰をおろし
向こう岸を眺める息子の後ろ姿が悲しいほどに、安らぎに満ちていました。

そして、私たちは愛に帰る
監督・脚本/ファティ・アキン
キャスト
バーキ・ダグラク/ネジャット、トゥンジェル・クルティズ/アリ、ヌルセル・キョセ/イェテル、
ヌルギュル・イェシルチャイ/アイテン、パトリシア・ジオクロースカ/ロッテ、ハンナ・シグラ/スザンヌ
12月27日シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー

www.bitters.co.jp/ainikaeru


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by mtonosama | 2008-12-26 05:15 | 映画 | Comments(6)
チェチェンへ
アレクサンドラの旅
Alexandra

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列車に乗り、戦車に乗り、80歳の祖母が孫息子に会うため、戦場を訪れました。
ゆっくりと戦場を歩む祖母。
「日常」発、「非日常」着という列車。悪夢の中の不愉快なワープのような。
しかし、これがロシアとチェチェンとの間で今も続いている戦争なのです。

終戦から人間宣言に至る昭和天皇を主人公にした「太陽」(‘05)。
公開時、映画館の自主規制だの、あるいは、勇気ある上映だの、
作品以外でも大きな話題を呼んだソクーロフ監督。
その彼が、報道管制下にあるチェチェン共和国の首都グロズヌイのロシア軍駐屯地とその周辺で
25日間にわたって撮影しました。
それが「チェチェンへ アレクサンドラの旅」です。
「太陽」では、爆撃中のB29はひらひらと遊泳する魚のように、
地上の焦熱地獄は花火のように、幻想的に描かれた東京大空襲ですが
この映画に戦闘の場面は出てきません。
ただ、濛々と舞う一面の砂埃だけが、この地が非日常の世界であることを思わせます。

チェチェン紛争は現在報道管制下におかれていることもあって、ニュースで知ることができません。
第一、チェチェンはどこにあるのでしょう。
チェチェン、チェチェン…
あ、ありました。
コーカサス(カフカス)地方にありました。
コーカサスは黒海とカスピ海の間にあって、北はロシア、南はイラン、トルコと
国境を接する44万平方キロの地域です。
世界の三大長寿国として有名ですが、古くから東西南北の交通を結ぶ要衝の地。
そのため、地球上で最も多様な民族と言語が複雑に混じり合い、
宗教もキリスト教とイスラム教とが混在しています。
チェチェン共和国はそのコーカサスの北東に位置し、宗教的にはスンニ派イスラム教徒の多い国です。

大カフカス戦争を経て1861年ロシアに併合されたチェチェンは、
ソ連時代に入るとチェチェン・イングーシ自治共和国の一部となります。
チェチェン人とイングーシ人は第二次世界大戦中にはスターリンによって
対独協力者の烙印を押され、カザフスタンや中央アジアに強制移住させられました。
ソ連崩壊の後、1991年に独立を宣言しますが、これを許さないロシアが出兵し、
第1次チェチェン紛争(1994~96)が始まります。
チェチェン側は多くの犠牲者を出しましたが、反撃に成功し
1996年、チェチェンとロシアの間にハサブユルト和約が締結されました。
これによってチェチェンは独立を確立したのですが、
この和約がまっとうされる前に第2次チェチェン紛争が勃発。
今に至っています。


ストーリー
衣服が汗で肌にまつわりつくような熱気がたちこめ、砂埃の舞うロシア軍駐屯地を堂々とした老女が歩いています。
80歳のアレクサンドラです。将校としてこの駐屯地に勤務する27歳の孫息子デニスに会いに来たのです。
彼女が、幼顔の残る兵士たちに話しかけ、ピロシキや煙草を与える姿は祖母と孫の平和な日常を思わせます。
しかし、ここは戦場です。
アレクサンドラは駐屯地を出て、市場に出かけました。
そこにはロシア兵士たちにものを売ることによって生計を立てるチェチェン人がいます。
ここにも存在する日常と非日常。
兵士たちにとっては戦場でも、市民にとっては生活の場なのです。
暑さと疲労で体調を崩したアレクサンドラはロシア語の上手なチェチェン人の女性マリカに介抱してもらいました。
彼女が連れていかれたのはマリカの自宅。そこは砲撃で壊れたアパートでした。
マリカは言います。「男たちは敵になるかもしれない。でも、私たちは初めから姉妹よ」。
帰途、送ってくれた隣人の息子イリヤスは「メッカとサンクト・ペテルブルグに行きたい」とつぶやき、アレクサンドラに「解放してほしい」と訴えるのでした。
翌朝、アレクサンドラはデニスに起こされます。急な任務につかねばならないというのです。
彼はかぶっていた軍帽を祖母に渡し、戦場へ出ていきました。
立ち尽くすアレクサンドラ。
彼女もこの地を去る日が来ました…

アレクサンドラを演じたのは、チェロ奏者ロストロポーヴィチ(‘07死去)の妻で、
ロシアオペラ界の名ソプラノ歌手ガリーナ・ビシネフスカヤ。
映画の冒頭、かすかに聞こえてくる歌は1940年代に録音された彼女自身の歌声です。

ビジネフスカヤ演じるアレクサンドラは決して饒舌ではありませんし、大きな振りもありません。
しかし、彼女の深い眼窩の奥のまなざしは哲学的で、いつ終わるともしれない愚行への憤りを表しています。
彼女の老人特有のゆるやかな動きは、駐屯地の兵士たちの若さをきわだたせると同時に、
祖母が象徴する安らぎ、平和を感じさせます。同時に、深い苦悩も。
そう、能のような映画と言ったらいいでしょうか。

ソクーロフ監督は言います。
「この映画は普遍的なものについて語っている。
主人公は、イラクに駐留する孫に会いに来たアメリカ人女性や、
アフガニスタンに派兵された孫を訪ねるイギリス人女性であってもおかしくない。
チェチェン共和国が平和のために払った大きな代償を私は知っている。
多発する犯罪や人の心を堕落させる戦争についても知っている。
お互いの犠牲者を心から弔わなくてはいけない。
この映画は政治的な作品ではなくフィクションだ。
映画の中で私たちは人々を結び合わせる方法を探り、それを見つけ出すだろう」


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監督・脚本/アレクサンドル・ソクーロフ
キャスト
ガリーナ・ビシネフスカヤ、ワンリー・シェフツォフ、ライーサ・ギチャエワ、エフゲニー・トゥカチュク
ユーロスペースにて公開中。ほか全国順次公開予定
http://www.chechen.jp/

by mtonosama | 2008-12-22 06:34 | 映画 | Comments(6)