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殿様の試写室

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殿が観た最新映画をいち早くお知らせ!

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そして、私たちは愛に帰る
The Edge of Heaven

Auf der Anderen Seite

ハンブルグからイスタンブール。
移動手段は列車にしますか?それとも車?
重厚な石造建築を見ながら、薄暗い空の下を列車に揺られ、ヨーロッパを呼吸し
イスタンブール市街から周縁の地域へは地中海を遠望する埃っぽい道を行く。
例え、砂埃が舞い込んできても、窓を開け、片肘を出してハンドルを握りたい。
異境にあるという昂揚感がより以上にそそられます。

ドイツとトルコ。その関係には歴史的にも宗教的にも深いものがありますが
難しい問題を考えるまでもなく、ベルリンやミュンヘンなどの都市を歩けば
ソーセージの屋台と並んで普通に
ケバブやドネルサンドなどトルコフーズの屋台が繁盛しています。

現在ヨーロッパには420万人ものトルコ人が暮らしているそうです。
ドイツに住んでいるのはその内半数以上の270万人。
1960年代に出稼ぎでやってきた人々がそのまま残り
そこに難民たちが加わってトルコ人コミュニティができあがりました。

近年、発展著しいトルコですが、それは大都会での話。
地方では昔ながらの生活習慣を守り
良い意味でも、悪い意味でもトルコの伝統文化を維持し続けています。
ヨーロッパ内のトルコ人コミュニティも同じ。
いえ、異文化世界に暮らすことによって、かえってトルコ人としての伝統文化を守る意識は
本国にいる時より強いのかもしれません。

さて、この映画の監督ファティ・アキンですが、ドイツ・ハンブルグの生まれで、35歳。
ヨーロッパで教育を受けましたが、家庭ではトルコ語を話していました。
子どもの頃から、夏休みになると毎年トルコに行っていたそうです。

ヨーロッパとトルコ、ふたつの文化圏に生き、ドイツ語とトルコ語を話し
大学を出て映画を撮るようになった時、監督はためらわずにトルコを撮影しました。
トルコを知るにつれて、トルコに魅かれていきましたが、その問題点も見えてきました。
これこそ、ヨーロッパ圏での生活が二世代目に入った若いトルコ系ドイツ人の抱える
アンビヴァレンスなのでしょう。

「そして、私たちは愛に帰る」は二組のトルコ人親子と一組のドイツ人母子が織りなす
親子の愛とトルコを描いた映画です。
何の関連もなかった親子がそれぞれのできごとをきっかけに葛藤し、すれ違い
そして、三組がそれぞれにつながりを持ち、大切なものを発見する。
ハンブルグ・イスタンブール間の2000キロという地理上の旅にとどまらず
母と娘、父と息子の心を結ぶ心の旅であり、人生の旅でもある究極のロードムービーです。

ドイツ語タイトルの“Auf der Anderen Seite”。
「向こう岸で」とでも訳すのでしょうか。黒海によって隔てられた彼岸と此岸、ドイツとトルコ。
わかりあえない親と子のようにその距離は遠いのですが、出づるところは同じはず。

      「この映画はふたつの国の関係を巡る映画でもあると思う」 
     ファティ・アキン監督のコメントです。

吸い寄せられるように父のもとへ、車を駆って砂埃の道を進む息子。
大きな夕陽が沈もうとする中、砂浜にひとり腰をおろし
向こう岸を眺める息子の後ろ姿が悲しいほどに、安らぎに満ちていました。

そして、私たちは愛に帰る
監督・脚本/ファティ・アキン
キャスト
バーキ・ダグラク/ネジャット、トゥンジェル・クルティズ/アリ、ヌルセル・キョセ/イェテル、
ヌルギュル・イェシルチャイ/アイテン、パトリシア・ジオクロースカ/ロッテ、ハンナ・シグラ/スザンヌ
12月27日シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー

www.bitters.co.jp/ainikaeru


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by mtonosama | 2008-12-26 05:15 | 映画 | Comments(6)
チェチェンへ
アレクサンドラの旅
Alexandra

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列車に乗り、戦車に乗り、80歳の祖母が孫息子に会うため、戦場を訪れました。
ゆっくりと戦場を歩む祖母。
「日常」発、「非日常」着という列車。悪夢の中の不愉快なワープのような。
しかし、これがロシアとチェチェンとの間で今も続いている戦争なのです。

終戦から人間宣言に至る昭和天皇を主人公にした「太陽」(‘05)。
公開時、映画館の自主規制だの、あるいは、勇気ある上映だの、
作品以外でも大きな話題を呼んだソクーロフ監督。
その彼が、報道管制下にあるチェチェン共和国の首都グロズヌイのロシア軍駐屯地とその周辺で
25日間にわたって撮影しました。
それが「チェチェンへ アレクサンドラの旅」です。
「太陽」では、爆撃中のB29はひらひらと遊泳する魚のように、
地上の焦熱地獄は花火のように、幻想的に描かれた東京大空襲ですが
この映画に戦闘の場面は出てきません。
ただ、濛々と舞う一面の砂埃だけが、この地が非日常の世界であることを思わせます。

チェチェン紛争は現在報道管制下におかれていることもあって、ニュースで知ることができません。
第一、チェチェンはどこにあるのでしょう。
チェチェン、チェチェン…
あ、ありました。
コーカサス(カフカス)地方にありました。
コーカサスは黒海とカスピ海の間にあって、北はロシア、南はイラン、トルコと
国境を接する44万平方キロの地域です。
世界の三大長寿国として有名ですが、古くから東西南北の交通を結ぶ要衝の地。
そのため、地球上で最も多様な民族と言語が複雑に混じり合い、
宗教もキリスト教とイスラム教とが混在しています。
チェチェン共和国はそのコーカサスの北東に位置し、宗教的にはスンニ派イスラム教徒の多い国です。

大カフカス戦争を経て1861年ロシアに併合されたチェチェンは、
ソ連時代に入るとチェチェン・イングーシ自治共和国の一部となります。
チェチェン人とイングーシ人は第二次世界大戦中にはスターリンによって
対独協力者の烙印を押され、カザフスタンや中央アジアに強制移住させられました。
ソ連崩壊の後、1991年に独立を宣言しますが、これを許さないロシアが出兵し、
第1次チェチェン紛争(1994~96)が始まります。
チェチェン側は多くの犠牲者を出しましたが、反撃に成功し
1996年、チェチェンとロシアの間にハサブユルト和約が締結されました。
これによってチェチェンは独立を確立したのですが、
この和約がまっとうされる前に第2次チェチェン紛争が勃発。
今に至っています。


ストーリー
衣服が汗で肌にまつわりつくような熱気がたちこめ、砂埃の舞うロシア軍駐屯地を堂々とした老女が歩いています。
80歳のアレクサンドラです。将校としてこの駐屯地に勤務する27歳の孫息子デニスに会いに来たのです。
彼女が、幼顔の残る兵士たちに話しかけ、ピロシキや煙草を与える姿は祖母と孫の平和な日常を思わせます。
しかし、ここは戦場です。
アレクサンドラは駐屯地を出て、市場に出かけました。
そこにはロシア兵士たちにものを売ることによって生計を立てるチェチェン人がいます。
ここにも存在する日常と非日常。
兵士たちにとっては戦場でも、市民にとっては生活の場なのです。
暑さと疲労で体調を崩したアレクサンドラはロシア語の上手なチェチェン人の女性マリカに介抱してもらいました。
彼女が連れていかれたのはマリカの自宅。そこは砲撃で壊れたアパートでした。
マリカは言います。「男たちは敵になるかもしれない。でも、私たちは初めから姉妹よ」。
帰途、送ってくれた隣人の息子イリヤスは「メッカとサンクト・ペテルブルグに行きたい」とつぶやき、アレクサンドラに「解放してほしい」と訴えるのでした。
翌朝、アレクサンドラはデニスに起こされます。急な任務につかねばならないというのです。
彼はかぶっていた軍帽を祖母に渡し、戦場へ出ていきました。
立ち尽くすアレクサンドラ。
彼女もこの地を去る日が来ました…

アレクサンドラを演じたのは、チェロ奏者ロストロポーヴィチ(‘07死去)の妻で、
ロシアオペラ界の名ソプラノ歌手ガリーナ・ビシネフスカヤ。
映画の冒頭、かすかに聞こえてくる歌は1940年代に録音された彼女自身の歌声です。

ビジネフスカヤ演じるアレクサンドラは決して饒舌ではありませんし、大きな振りもありません。
しかし、彼女の深い眼窩の奥のまなざしは哲学的で、いつ終わるともしれない愚行への憤りを表しています。
彼女の老人特有のゆるやかな動きは、駐屯地の兵士たちの若さをきわだたせると同時に、
祖母が象徴する安らぎ、平和を感じさせます。同時に、深い苦悩も。
そう、能のような映画と言ったらいいでしょうか。

ソクーロフ監督は言います。
「この映画は普遍的なものについて語っている。
主人公は、イラクに駐留する孫に会いに来たアメリカ人女性や、
アフガニスタンに派兵された孫を訪ねるイギリス人女性であってもおかしくない。
チェチェン共和国が平和のために払った大きな代償を私は知っている。
多発する犯罪や人の心を堕落させる戦争についても知っている。
お互いの犠牲者を心から弔わなくてはいけない。
この映画は政治的な作品ではなくフィクションだ。
映画の中で私たちは人々を結び合わせる方法を探り、それを見つけ出すだろう」


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監督・脚本/アレクサンドル・ソクーロフ
キャスト
ガリーナ・ビシネフスカヤ、ワンリー・シェフツォフ、ライーサ・ギチャエワ、エフゲニー・トゥカチュク
ユーロスペースにて公開中。ほか全国順次公開予定
http://www.chechen.jp/

by mtonosama | 2008-12-22 06:34 | 映画 | Comments(6)
パリ
PARIS

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© CE QUI ME MEUT - STUDIO CANAL- STUDIO CANAL IMAGE – FRANCE2 CINEMA

こんな映画もあるのだなぁ、と試写を観るたびに新しい発見に心ふるえる殿です。
「スパニッシュ・アパートメント」(‘02)で社会に飛び立つ前の青年たちの出会いや挫折、
青春のさまざまな体験を描き、
共感を呼んだセドリック・クラピッシュ監督。
彼の最新作「パリ」がその心ふるわせてくれた映画です。
「若いんだから、大丈夫。失敗するのも若さのせいさ」という若さ全開の青春映画
「スパニッシュ・アパートメント」やその続編「ロシアン・ドールズ」(‘05)とは
ガラリと趣を変えた作品がこの「パリ」。

はっきりしたストーリーはなく(といってアヴァンギャルドではありません)、
登場人物たちはそれぞれの人生を生き、悩み、生活し、夢を持っています。
彼らは兄弟であったり、教師と学生であったり、友人であったり、マルシェの商人であったりします。
挨拶をし、ちょっとした関わりを持ち、本来なら通りすぎていくだけの人々です。
そう、誰もが送っている日々の、その生活の中をよぎっていく人々であり、
誰かの人生のシーンにちらりと登場するだけの人物。
この映画の中で彼らは、ピエールという余命僅かな青年によって
アパルトマンの窓から眺められ、その生活を想像されている存在です。
ただ、同時に、彼らもまた、それぞれの人生を生きている彼ら自身の人生の主役だったのです。

ピエールはムーランルージュのダンサー。心臓病で余命僅か、治療には心臓移植しかなく、その成功率は40%と宣告された。
アパルトマンの窓から通りを眺めながら、心臓提供者が現れるのを待って、静かに過ごしている…

エリーズはソーシャルワーカーとして日々時間に追われながら、生活困窮者や移民たちの相談を受けている。
シングルマザーの彼女は弟のピエールを心配して3人の子どもを連れて、同居を始める…

レティシアはピエールの向かいのアパルトマンに住むソルボンヌの学生。
歴史学の講義を受け、カフェで友人たちとおしゃべりをし、学生生活を送っている…

ロランはソルボンヌで教える歴史学者。歴史学は彼にとって情熱をそそぐ対象ではなく生活の手段に堕してしまっている。
だが、ある日、彼の講義を受けるレティシアに恋をしてしまう…

建築家のフィリップはロランの弟。セーヌ左岸の開発に取り組んでおり、近々子どもも生まれる。
自分は幸せな人生を送っていると思っていたのに、兄ロランから普通すぎる生き方だ、と言われ、悩み始める…

マルシェのジャンとカロリーヌは離婚後も同じ店で働いている。
ジャンはいつも買い物に来るエリーズに思いを寄せ、カロリーヌはジャンの仲間と良い仲になるが…

ピエールがいつもパンを買いに行くパン屋の女主人は客あしらいと従業員への態度が手の平を返したように違う。
従業員の働きを出身地で決め付け、すぐにクビにしてしまうちょっと嫌な人…
今日もパリの空の下にはそんな人々が笑い、泣き、怒りながら、生きています。
40%の生存率に自らをゆだねたピエールはアパルトマンの高みから彼らを眺め、想像します。
ですが、眺める側だった彼が通りに降りてきた日。
通り過ぎていくだけだった人々、彼らの人生。そして、ピエールの人生もまた彼の中にしみてきます。
病院まで送るという姉エリーズの申し出を断り、アパルトマンの玄関で別れを告げ、病院に向かうタクシーの中。
ピエールはその座席に身を横たえ、車窓に映る街並みとパリの空を眺めます。
彼がアパルトマンの部屋の窓から眺めていたまさにその場所に自分の身をおき、
病院へ向かい、彼自身の人生を生きる(その人生は死ぬことも含めています)。
とても感動的なラストです。

タイトルは「パリの人々」でも、「パリの空の下で」でもなく「パリ」。
このシンプルなタイトルにクラピッシュ監督の思いの丈がつまっているような気がします。
修飾語のつかない「パリ」は今日も多くの人々の人生をかかえ、時が流れていきます。



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監督・脚本/セドリック・クラピッシュ
キャスト
ロマン・デュリス/ピエール、ジュリエット・ビノシュ/エリーズ、メラニー・ロラン/レティシア、ファブリス・ルキーニ/ロラン、フランソワ・クリュゼ/フランソワ、アルベール・デュポンテル/ジャン、ジュリー・フェリエ/カロリーヌ、カリン・ヴィアール/パン屋の女主人
12月20日Bunkamuraル・シネマ他全国順次ロードショー
配給・宣伝:アルシネテラン
http://www.alcine-terran.com/paris/index.html

by mtonosama | 2008-12-15 06:38 | 映画 | Comments(6)
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© Rodar y Rodar Cine y Televisión, S.L / Telecinco Cinema, S.A., 2006

永遠のこどもたちEl Orfanato

だ・る・ま・さ・ん・が・こ・ろ・ん・だ
オニになった子がそう言って後ろを振り向くまでに、背後の子ども達がオニに近づき、タッチして逃げる。
よく遊んだものです。殿が幼少の頃は「だるまさんがころんだ」と呼んでいたような。
地方によって呼び名もルールも違うのでしょうが、スペインにもこの遊びがあります。
「1、2、3、壁を叩け」
そして、オニの背中に後ろの子どもの手が伸びる…

郊外の私鉄駅の階段下には薄暗い拡がりがあって、そこには家に帰れなくなった子ども達が暮らしている…
そんな小説を読んだこともあります。

日常の奥にひそやかに蠢くこの世ならぬものたち。
それが幼い子どもたちであれば、怖ろしいだけではなく、なぜか哀しさも感じさせます。
そして、大人になってしまった自分に罪悪感を覚えるのです。

「永遠のこどもたち」はこれが初めての長編映画監督となるバルセロナ生まれのJ.A.バヨナの作品です。
短編映画やミュージック・ビデオなどで活躍していたバヨナ監督の才能に驚き、この映画の製作を担当したのが「パンズ・ラビリンス」(‘06)の監督にして
ダーク・ファンタジーの名手ギレルモ・デル・トロ。
本作はバヨナ監督の長編映画デビュー作でありながら、スペイン映画界のアカデミー賞にあたるゴヤ賞で史上初となる14部門でのノミネート、
新人監督賞・オリジナル脚本賞・美術賞など7部門で受賞するという栄誉に輝いた作品です。
更にアカデミー賞外国語映画賞スペイン代表作品にも選ばれました。

          冒頭、スクリーンには空が映し出されます。スペインの空と雲。
          やがてカメラはその視線を下げ、糸杉の陰気な木立や古びた遊具などを映し、
          大きな古い館の前でその動きを止めます。
          海に近いその館は昔孤児院だった建物です。
          ラウラはこの孤児院で仲の良い友達に恵まれ、幸せな子供時代を過ごしました。
          30年後、彼女は長い間、閉鎖されていたその建物を買い取り
          夫のカルロスと7歳の息子シモンと移り住んできました。
          体の弱いシモンのためにも、障害を持つ子供達のためのホームとしてその館を再建しようとしたのです。
          ある日、開園準備で忙しいラウラの元にソーシャルワーカーと称してベニグナという老女がやってきました。
          ベニグナはシモンが養子であることや難病のことなど誰も知らないはずの事実を話し始めます。気味悪く思ったラウラは早々に追い払いました。
          ところが、その夜、物音で目を覚ました彼女が庭に下りていくと物置から出て行く老女の姿が。
          一方、開園の日が近づくにつれてシモンの様子がおかしくなってきました。
          ラウラの目には見えない空想上の友達に、トマスと名前までつけて絵に描いて見せたりするのです。
          ホームが始まればシモンの空想癖もおさまっていくだろうと考えていたラウラも次第に不安が拡がっていきます。
          そして、いよいよホームオープンの日、事件が起きたのです…

光と影、生と死、そして大人と子ども。スペインの気候のように陰影のはっきりとした主題をかかえながら、
古びた館の内側で「光」は「闇」に、「生」は「死」に、「大人」は「子ども」に取り込まれ、渾然一体となっていきます。
ジグソーパズルを一枚一枚嵌め込むように緻密な展開、積み上げた積み木を一気に崩すような大胆さ。そして、もの哀しくも安らかなラスト。
あるときは怖くて声をあげそうになりながら、また、あるときは謎が明らかになっていく過程にうなずきつつ、バヨナ・ワールドにすっぽりとはまりこんでしまいました。
なんと言ったらいいのでしょうか、ちょっと怖いおとぎ話?スペイン版ホーンテッド・マンション?
怖いのだけれど、優しい。どきどきするのだけれど、涙が出そうになる。
大人になってしまった昔の子どもを、心からしみじみとさせ、怖がらせてくれる映画です。

監督/J.A.バヨナ、脚本/セルヒオ・G・サンチェス、製作/ギレルモ・デル・トロ
キャスト
べレン・ルエダ/ラウラ、カルロス/フェルナンド・カヨ、ロジェ・プリンセプ
12月20日より、シネカノン有楽町・渋谷アミューズCQNほかにて公開
www.eien-kodomo.com
by mtonosama | 2008-12-08 06:00 | 映画 | Comments(6)
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(C)2008「大丈夫であるように」製作委員会
大丈夫であるように
――Cocco 終らない旅――


是枝裕和監督作品が好きです。
「誰も知らない」(‘04)を観終わって、感動して呆然と座席に座っていた時
突然、監督本人が現われ、試写室の観客に挨拶をしました。
舞台挨拶ではありません。座席とスクリーンの間、いわゆる平土間での挨拶です。
まだ、公開もされていないし、カンヌでの主演男優賞など思いもよらない時の話です。
大きな体の実直そうな監督はボソボソと話して、すぐにひっこんでいきました。
あんな普通の人がこんなすごい映画を作るんだ、と思ったものです。
そのときから「花よりもなほ」 (‘06)、「歩いても歩いても」(‘08)と続き
本作「大丈夫であるように」です。もう、これは観なくては。

「観るぞ」と意気込んで試写室に向かいました。
ところが、Coccoです。Cocco,who?

映画の冒頭、なにやらゾロリとしたスカートをはいた痩せぎすの女の子が
ゴム草履でペタペタと冬枯れの沖縄の田舎町を歩いています。
沖縄だとわかったのは冬なのにゴム草履を履いていたからです。
カメラに撮られているという高揚感があるのか、それとも元来がそんな性格なのか
痩せた女の子Coccoはやけに元気そうに田舎町の商店に入っていきます。
お店の人とは顔なじみの様子です。
そうか。沖縄出身なのか。アルバムを録音した時お世話になった人たちに挨拶をしているのか。
と、なんとなくわかってきます。

Coccoはロケバスの中でも元気そうによく話します。黒砂糖をかじる姿が映し出されますが
そのときナレーションが入ります。

「この旅行中、彼女が口にしたのは
彼女の母が生まれた島でとれた伊平屋島産の黒砂糖だけだった」


拒食症だったのですね。
そういえば、先日亡くなった筑紫哲也さんの追悼番組に
ロンドンからの中継で彼女が出演していましたが
映画の時より痩せていたようでした。

1997年シングルCD「カウントダウン」でメジャーデビューした1977年生まれのCocco。
アルバムを4枚出し、HITACHIのCFや「ミュージックステーション」に出演するなど
活躍しましたが、2001年に突然活動中止。
そして06年復活。
沖縄での「ゴミゼロ大作戦」、絵本の執筆など歌とは違う分野でも活躍しています。

彼女の「Raining」という歌を聴きましたが、優しいメロディラインながら、
その歌詞の激しさにちょっとたじろぎました。
「ジュゴンの見える丘」もメッセージ性の強い歌です。

07年8月ヘリポートの基地移設が進行中の大浦湾
絶滅の危機にあるジュゴンのニュースがきっかけとなって生まれた「ジュゴンの見える丘」に
共感した是枝監督がCoccoデビュー10周年の全国ライブツアーに同行
家族と暮らす沖縄での日常も記録しました。
それがこの「大丈夫であるように ―― Cocco 終らない旅 ――」です。
この作品、ドキュメンタリー映画なのか、メッセージ映画なのか
それは監督自身も答えを出せないそうです。

ひめゆり部隊で生き残ったおばあたちを招待したライブ。そこで歌う「お菓子と娘」
六ヶ所村から届いたファンからの手紙を読んでプルトニウムリサイクル施設を訪れるCocco。
危険と隣り合わせに生きる人々が沖縄以外にもいることを知り、ライブでそのことを熱く語ります。

「歌で何ができるかわからないけど、失くすものも守れないものもいっぱいあるけど、それでもやっていこうと思う」


ドキュメンタリー映画?メッセージ映画?
監督本人がわからないというのですから、私もわかりません。
でも、この映画を観て、苦しくなるほどに感じたのは
Coccoは人々の苦しみをすべて一人で背負い込もうとしているのではないか。
ジュゴンの住む場所がなくなるかもしれないことも自分の責任として感じているのではないか。
それが拒食症とリストカットとして現われているのではないか、ということです。

細い体で声をふりしぼるように歌う彼女を見ていると、そんな痛々しさを感じてしまいます。
是枝監督、筑紫哲也。Coccoは真剣な映画作家、ジャーナリストにとってのミューズなのでしょう。
監督の言葉です。

「Coccoの旅に同行した。
きっかけはライブ・アースでジュゴンのことを語り、唄う、彼女の姿を見たことだった。
僕の中で何かが震えた、何かしたい――素直にそう思った。
だから撮らせてもらうことにした。泣きながらカメラを回したのは生まれて初めてだ。
この感情を一人でも多くの人と共有できたらいいなぁと、今、強く思っている」


Cocco,who? なんて言ってごめんなさい。
文字通り、身を削っての彼女の訴えに耳と目を向けなければいけないのかもしれません。

大丈夫であるように -Cocco終わらない旅―
プロデュース・監督・編集/是枝裕和
出演
Cocco
挿入歌
「てぃんさぐぬ花」「赤田首里殿内」「じんじん」「べーべーぬ草」(沖縄民謡 作者不詳)
「お菓子と娘」(作詞:西條八十、作曲:橋本国彦)
「Rainbow」(作詞・作曲:Dr.Strangelove)
「樹海の糸」「強く儚い者たち」(作曲:柴草玲)
「連続カチャ―シー2005」(金城実&よなは徹 リスペクトレコード)
12月13日シネマライズ・ライズX他にて全国ロードショー
配給クロックワークス
www.dai-job.jp

by mtonosama | 2008-12-01 06:38 | 映画 | Comments(10)