ブログトップ | ログイン

殿様の試写室

mtonosama.exblog.jp

殿が観た最新映画をいち早くお知らせ!

<   2009年 03月 ( 6 )   > この月の画像一覧

f0165567_5301294.jpg


雪の下の炎Fire under the Snow

「われわれはぁ、闘うぞぉ」
オールドな世代なら、その昔、大学構内で耳にしたこともあるフレーズであります。
でも、その闘いのほとんどは卒業までに消えていってしまったようで…

ところが、このチベット僧パルデン・ギャツォさんは33年間に及ぶ投獄と拷問にも
その意志を屈することなく闘い続け
76歳の今もなお、インド北部ダラムサラを拠点にチベットと世界の平和のために闘っています。
あのネルソン・マンデラ氏(当試写室で‘08年5月に紹介した「マンデラの名もなき看守」をご覧ください)
の獄中生活も27年でしたが
劣悪で不潔な環境の中、残酷な拷問を受けながら、何十年も投獄される……
想像を絶する苦しさです。

1950年、チベット人解放という旗を掲げた中国軍がチベットへ侵入して以来、59年という歳月が流れました。
(「セブン・イヤーズ・イン・チベット」(‘96)で中国軍が砂塵を巻き上げてチベットに侵入するシーンがものすごかったですね)
しかし、それは解放などではなく
天然資源の豊富なチベットを支配下に置くための侵略でした。
9年後、チベット国内では抗議行動が激化、民族蜂起が起きました。

その年、穏やかな抗議活動に参加しただけだった28歳の僧侶・パルデンさんは逮捕。
そして、裁判もなく、懲役7年の実刑を受けたのです。
それからは厳しい尋問と拷問に責めさいなまれる日々…

中国人の尋問官に「チベットはチベット人のもの」と答え続ける彼は
その度に厳しい暴行を受けました。
彼の歯が全部抜けてしまったのは、その時の電気ショックが原因です。

パルデンさんは脱獄しました。
しかし、途中でつかまり、その後2年間にわたり、手錠と足枷をつけられたまま、過ごすことになります。

刑務所で23年、労働改造収容所と拘置所で10年を過ごし
61歳になっていたパルデンさんは1992年、33年間に及ぶ投獄生活を終えました。
その後、インドに亡命し、現在はダライ・ラマ師のいるダラムサラに住んでいます。
ですが、パルデンさんはこの地にあっても、闘い続けます。

     ビョークやオノ・ヨ―コなどチベットを支援するアーティストの集った
     第1回チベタン・フリーダム・コンサート。
     1996年、サンフランシスコで開かれたこのコンサートに参加した多くのアーティストの中で
     マイクを握っていたのがパルデン・ギャツオさんでした。

     2006年、トリノ冬季オリンピックで、2008年のオリンピックが中国で開催されることに
     抗議し、死を賭けたハンガーストライキを決行するチベット人の中にも
     73歳のパルデンさんがいました。

「この歳になってもまだ闘い続けるのは非業の死を遂げた彼らのため」
と言ってパルデンさんは涙を拭います。

パルデンさんはとても穏やかで、優しい顔をしています。
彼が経験した理不尽な投獄生活や拷問を強いた中国人を恨む気持ちはないのでしょうか?
彼はこんなことを言うんです。
「暴行の責任がすべて彼らにあるわけではない。殴り方が甘いと、彼らも職を失うことになる。愛国心が足りないと、非難されることになる

     この映画を作ったのはNY在住の日本人女性ドキュメンタリー作家・楽真琴(ささ・まこと)。
     NYでパルデン・ギャツオの自叙伝「雪の下の炎」と出会い、感銘を受け
     ダラムマサラに旅立ち、パルデンさんを取材しました。
     さらに、インド、アメリカ、イタリア、チベットを巡り、パルデンさんの友人や元政治囚、
     フリー・チベット活動家の証言も撮影しました。

チベット問題を浮き彫りにし
民族の自立とは何かを鋭く問いかけてくる映画です。
同時に76歳の老僧の不屈の精神には頭を垂れるしかありません。
何もできない自分が恥ずかしくなります。

     一昨年、チベットを訪れました。
     標高4千メートルを超える山々にチベット人の魂の拠点ともいえるチベット寺院があります。
     その中に破壊されている寺院が。
     ガイドに訊ねると「紅衛兵がやってきて壊したのです」ということでした。
     高山病をものともせず、山を登り、チベット人のよりどころを破壊する中国人の執念に
     たじろいだ殿です。

雪の下の炎
監督・プロデューサー/楽真琴
出演/パルデン・ギャツオ、ダライ・ラマ14世他
4/11(土)よりアップリンクにて公開
http://www.uplink.co.jp/fireunderthesnow/

『雪の下の炎』
パルデン・ギャツオ著/檜垣嗣子訳
ブッキング発行
2,625円

応援クリック、お願いします。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
にほんブログ村 映画ブログ 新作映画・試写会へ
にほんブログ村

応援クリック、お願いします。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村
by mtonosama | 2009-03-30 06:19 | 映画 | Comments(6)
f0165567_5424259.jpg

(c) Ethan Productions

アライブ―生還者―
STRANDED

I’ve come from a plane that crashed on the mountains

中学3年のとき、社会の先生が授業中「先生はなぁ、戦争中、人を食べたことがあるんだぞ」と言い出しました。
中学生たちは「ェエーッ!」。教室は大騒ぎに。
でも、これは先生お得意の『人をくった』お寒~いジョークだったのですが。

1972年10月13日(金)、45人の乗客を乗せて飛び立ったウルグアイの飛行機がアンデス山中に墜落。
72日後の12月23日に16人が救助され、世界中に報道されました。
「アライブ―生還者―」はその事故とその30年後についてのドキュメンタリー映画です。

「アンデスの聖餐」とも呼ばれたこの事故。
雪のアンデス山中に墜落した飛行機事故で13人が死亡。
その後、食糧も医療品もないまま、次々と友人や肉親を見送り
苦渋の選択を迫られた16人の生存者にインタビューをした驚愕のドキュメンタリー映画です。

        監督はウルグアイのゴンサロ・アリホン。
        事故当時、監督は15歳という多感な年齢でしたし
        生還者の内の何人かを個人的に知っていたということもあり
        このできごとには大変なショックを受けました。

この時、起こったことはさまざまに報道され、「生存者」(P・P・リード著、新潮文庫)という本も書かれ、
映画(「生きてこそ」イーサン・ホーク主演、フランク・マーシャル監督)にもなりました。
しかし、事故から30年が経ち、生還者たちがあのできごとを客観的に語ることができるようになった今こそ
あらためて事故とその後の10週間のできごとを見つめなおし
壮絶な体験を経て今を生きる生還者たちの声を聞くことは、単なる興味を越えた大きな意味があります。

        《ストーリー》
        1972年10月12日、ウルグアイ空軍の軍用機が首都モンテビデオから45人を乗せてチリのサンチアゴに向けて
        飛び立った。
        飛行機はラグビーチーム「クリスチャン・ブラザーズ」によってチャーターされたもの。
        家族同伴の選手もいて、親善試合に遠征する青年たちはそろいのジャケットを着込み、
        楽しい週末への期待に胸を躍らせていた。
        しかし、アンデス山脈付近の悪天候のため、飛行機は山麓の町にいったん着陸。
        天候の回復を待ち、13日再び飛行を開始した。
        15:30、パイロットはサンチアゴの管制塔に連絡。飛行機の位置と高度を告げた。
        その1分後、管制塔が再び交信を試みた時、パイロットからはなんの応答もなかった。

        チリ、アルゼンチン、ウルグアイがすぐさま捜索を始める。
        だが、その年、記録的な大雪に襲われたアンデス山中で白い機体の飛行機を発見することは絶望的だった。
        事故から10日目、捜索は打ち切られた。

        生き残った遭難者はそのニュースを、事故の衝撃にも壊れることのなかったラジオで聞いていた。
        早春のウルグアイから極寒のアンデス。ちょっとした遠征試合のつもりだった彼らには着るものも十分にはない。
        そして、機内には食べ物もつきていた…

16人の生還者へのインタビューと再現フィルムで構成されたドキュメンタリー映画。
でも、映画を観ている間、ずっと当時の記録映像だとばっかり思っていました(冒頭の画像は当時のものですが)。
ちょっと考えれば、そんなことありえないのですけどね。
それほど真に迫った映像です。

監督も
「雪の中の彼らの閉じ込められた世界を、もっと感覚的に、――直接的な再現ドラマではなく、セリフもなく、
若い役者たちに特定のキャラクターを演じさせる狙いをもたず、
フィクションというよりむしろ記憶に基づく何かをとらえようとする心理的映画の試みでした」


と語っていますが、その試みは充分成功しています。

      どこか焦点が合わない夢の中のような画面は生還者のひとりが震える手で撮影したようでもあるし、
      30年のかなたから蘇る記憶の亡霊のようでもあります。

映画には実にいろいろな手法があるものです。

        《人を食べる》という人間にとって最大のタブー。
        カニバリズムという言葉を思い出します。
        しかし、カニバリズムは人肉嗜食であり、食べるために人を殺すこと。
        彼らが、せざるを得なかったのはネクラファジ(necrophagy)― 
        既に死んだ肉体を食することです。
        「ワインは私の血、パンは私の肉である」
        と言ったイエス・キリストの言葉を連想します。
        事故の犠牲者たちは死んで、生還者たちの肉体になったのでしょうか。
        きっと、そうなのでしょう。

映画には16人の生還者とともに、亡くなった人たちの遺族も登場します。
遺族たちが生還者の中に肉親が生きていると感じ、今再び訪れたアンデスの事故現場で肩を抱き合う姿が印象的でした。

アライブ――生還者――監督・脚本/ゴンサロ・アリホン
出演/16人の生還者
4月11日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷他全国順次公開
www.seikansha.jp

応援クリック、お願いします。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
にほんブログ村 映画ブログ 新作映画・試写会へ
にほんブログ村
by mtonosama | 2009-03-25 05:44 | 映画 | Comments(10)
f0165567_19483951.jpg

C) SWAN Productions – ARTE France – ERT – NSNM/2007

マリア・カラスの真実CALLAS ASSOLUTA

マリア・カラス。マリアとカラス。
小さな子どもでも知っている名前同士の組み合わせですから、その名は誰でも知っています。
彼女が亡くなって今年で32年。その間、彼女についての本が何冊も出され、彼女の映画も何本も撮られました。
でも、本が書かれ、映画が撮影されるほど、マリア・カラスの実像はどこかにひとり置いてきぼりにされているような。

その美声はCDで、美貌とスキャンダルは本や映画で知ることはできても、
彼女の53年の人生の中で芽生え、育ち、そして、諦め、絶望した、
マリア・カラスの女としての真情に触れることはできないのかもしれません。

「マリア・カラスの真実」はどうでしょう?

2000年以降だけでも、イギリス、ドイツ、イタリアで6本ものマリア・カラスの映画がつくられました。
去年は没後30周年記念作品として劇映画「マリア・カラス最後の恋」(’05)も公開。
でも、ドキュメンタリー映画の場合、それはたいてい関係者へのインタビューから構成されています。
それも悪かないけど、パターンが似通っちゃわない?
ということで、手法を変えたのが、この映画の監督フィリップ・コ―リー。

フィリップ・コーリーはマティスとピカソについて描いた「Matisse-Picasso」(‘02)以来
ドキュメンタリー映像作家として活躍する監督です。

さて、そのコーリー監督、いかなる手法を採用したかというと
マリア・カラス自身を映画に登場させました。
つまり、マリアが語り、歌い、怒り、泣く映像を求めたのです。
そのために、8ヶ月をかけ、8つの国のすべてのアーカイブ映像にあたり
彼女の生きた場所を調べ、彼女の映像を持つコレクターにも声をかけました。

その結果
「彼女こそ最高のディーヴァだ!」
「あの『椿姫』は最高でした!!」
というステレオタイプの讃辞はなくなりましたが

     100kgを越える肥満体だった頃のマリア
     一週間に3kgというペースで数か月の間に50kg以上の減量に成功した美貌のマリア 
     1960年のカンヌ映画祭でフラッシュを浴びる絶頂期のマリア
     そして、その5週間前、オナシスとの間に生まれた息子の埋葬に立ち会う憔悴したマリア

     要するにマリア・カラスの真実の姿に出会うことができました。

マリア・カラスほど毀誉褒貶の激しい人もいないでしょう。
吝嗇、旺盛な独占欲、不倫…
あれも一面、それも一面。
神話となった女性だからこその負の勲章なのかもしれません。
でも、そろそろ一人の人間に帰ってもいいんじゃないでしょうか。

     監督が興味深いことを言っています。
     「カラスは人間を見せてくれた豪華客船時代のヒロインだった。カラスが全盛期だった世界は50年代
     末には終わっていた。60年代になると、テレビを代表とするメディアの世界では尊大な振る舞いの女
     神は不要であり、許されなかった」


マリア・カラス。彼女こそ1950年代の不世出のディーヴァなのです…

     マリア・カラス以外の登場人物もすごいですよ。
     マリアを捨て、ジャクリーン・ケネディと結婚したアリストテレス・オナシスはもちろん、そのジャクリーン。  
     ミラノ・スカラ座の大株主でもあった、かのルキーノ・ヴィスコンティ。
     マリアが主演した「王女メディア」の監督ピエル・パオロ・パゾリーニ
     マリアと親しかったモナコ王妃のグレース・ケリーなどなど。
     もうそれだけでも見逃せない映画です。

マリア・カラスの真実
監督/フィリップ・コ―リー
出演
ジョヴァン二・バッティスタ・メネギーニ、ルキーノ・ヴィスコンティ、アリストテレス・オナシス、ピエル・パオロ・パゾリーニ、
グレース・ケリー、ジャクリーヌ・ケネディ
3月28日(土)より 渋谷・ユーロスペース
4月4日(土)より大阪・テアトル梅田 他全国順次公開
配給:セテラ/マクザム
http://www.cetera.co.jp/callas/  

応援クリック、お願いします。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
にほんブログ村 映画ブログ 新作映画・試写会へ
にほんブログ村
by mtonosama | 2009-03-19 20:06 | 映画 | Comments(6)
f0165567_511153.jpg
ハリウッド監督学入門
Foreign Filmmakers’ Guide to Hollywood

アカデミー賞授賞式で垣間見たハリウッド。なんたってゴージャスな映画の都です。
授賞式を実況する取材陣ですら、男性はタキシード、女性もロングドレスと正装しなくちゃならないというんですから。

「ハリウッド監督学入門」は、そんな映画の都ハリウッドで映画を撮るとはどういうことなのかを
自身「ザ・リング2」でハリウッドに進出した中田秀夫監督が
取材インタビューを通じて探りだしたドキュメンタリー作品です。

いやー、映画つくりってほんとにタイヘンなんですね。

ハリウッドでの映画つくりはピシッと時間が区切られてるって聞きました。
時間が来たら、仕事が残っていても、さっさとお片づけして帰っていかなくちゃなりません。
良いカットが撮れるまでは子どもが泣こうが、地震がおきようが、撮影に専念できる日本とは大違いです。
え、日本の方が大変?
ま、そういう見方もありますが。

しかし、中田監督はそんな日本式の映画つくりをしてきた監督さん。
日本人の目から見たハリウッド映画の舞台裏について興味深いドキュメンタリーを撮ってくれました。

中田秀夫といえば、「リング」「仄暗い水の底から」で世界中にジャパニーズ・ホラーの怖さを広めた監督ですが
そのホラー人気をひっさげてハリウッドに渡り、「リング」のリメーク版「ザ・リング2」を撮影しました。

ハリウッドに渡ってから「ザ・リング2」公開までの3年間、日米の映画つくりのシステムや手法の違い
―――「グリーンライト(青信号)」(撮影開始を示す用語)が点灯するまでのイライラするほど長い道のりや、何度も何度も繰り返されるモニター試写など―――
にとまどった監督はハリウッド映画界の人々にマイクを向けました。
その相手は「メン・イン・ブラック」や「ザ・リング2」を手がけたプロデューサーのウォルター・パークス
「ライオン・キング」でアカデミー作曲賞を受賞したハンス・ジマー
そして中田と同じくホラー監督として渡米していた「呪怨」の清水崇ほか
脚本家、カメラマンなどさまざまなスタッフたち。
中田監督は彼らに疑問をぶつけ、あるいはブチブチ文句を言いながら、インタビューします。

その中で、ハリウッド映画制作の裏側や
映画づくりはいかにしてビジネスになっていくかということ
そして日本人を含む外国人がハリウッドで映画をつくるとはどういうことかが
次第にあぶりだされていきます。

実は、本作が監督としては第3作目のドキュメンタリー作品なのだとか。
監督、ホラー映画だけじゃなかったんですね。
中田監督に案内してもらって、ハリウッドのウラ側をこっそりのぞき見させてもらった感じで、なかなか楽しかったです。

「おくりびと」人気で沸きかえった日本。
ハリウッドへ乗り込み、ハリウッド式映画づくりに身を投ずるのもいいかもしれませんが、
愚直なまでの日本式映画づくりに固執するのも捨てがたいな、と日本茶をすすりながら頷いた殿です。

ハリウッド監督学入門
監督/中田秀夫
出演/中田秀夫
3月21日(土)シアター・イメージ・フォーラム他全国順次ロードショー

応援クリック、お願いします。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
にほんブログ村 映画ブログ 新作映画・試写会へ
にほんブログ村
by mtonosama | 2009-03-16 05:06 | 映画 | Comments(6)

リリイ、はちみつ色の秘密
The Secret Life of Bees

f0165567_625239.jpg

(c)2008 Twentieth Century Fox

今回はアメリカ映画です。
アメリカ映画って、予定調和的というか、おさまるところにおさまるというか、
つかみはおどろおどろしいのだけれど、ラストはめでたし、めでたし、
というパターンが多いと思いませんか?
ま、「そこが安心できていいんじゃない?」という意見もあるかもしれませんが。

と、最初から、ネガティヴな殿です。

でも、この「リリイ、はちみつ色の秘密」には、そんな偏見を脇へ置いといても、
とりあえず観てみようか、という気持ちを起こさせる要素があるんです。

それが
1. 1960年代という時代
2.アメリカ南部の濃密で湿った空気と緑(なんたって「風と共に去りぬ」の南部ですから)
3. 14歳になったダコタ・ファニング

アメリカの1960年代って、なんかそそられます。
「ママはなんでも知っている」とか「奥さまは魔女」とか「カレン」とか。
この時期のアメリカのホームドラマや青春ドラマは日本のテレビでさかんに放映されましたから。
女の子はブロンドでくるりとカールしたセミロングヘアー。
ペティコートでボワンとふくらんだきれいなドレス(普段着でもこんな良い服を着ているのが不思議でした)。
デートの日には、きれいにうねった前髪(これもブロンド)を横分けにした男の子が
でっかいビュイックかなんかに乗ってお迎えにくる。
こうしたアメリカドラマのお約束が日本女子の脳にも刷り込まれてしまっていました。

脳天気な日本の女子たちはそんな素敵なアメリカに夢中になっていましたが、
アメリカの60年代は国外ではベトナム戦争に片足を突っ込み始め、国内では公民権法が施行され、
差別され続けてきた黒人たちの抵抗がジワジワと広がり始めた時期でした。

「リリイ、はちみつ色の秘密」はそんななつかしくも、ややこしい60年代に、
リリイという14歳の白人少女と養蜂場を経営する優しくて個性的な黒人三姉妹とが共に生活し、
心を通わせていくウォーム@ハートな映画。
全米で500万部以上を売り上げたスー・モンク・キッドのベストセラー小説「リリイ、はちみつ色の夏」(‘02)の映画化作品です。

そして、注目すべきはダコタ・ファニング。
デビュー作「I am Sam アイ・ァム・サム」で主演のショーン・ペンをくってしまった女の子。
「こまっしゃくれた子どもだぜ」と思いつつ、実は舌を巻いていたあの名子役が
なんとも微妙なお年頃の美少女に成長しているところが一番の見どころかも。

《ストーリー》
1964年.公民権法が制定された年。
もうすぐ14歳になるリリイはサウスカロライナ州で桃農園を経営する父と二人で暮らしていました。
リリイには母にまつわるつらい記憶があります。
4歳の頃、荷物をまとめて出ていこうとする母とそれを止める父とが激しく争う様子を、
リリイはクローゼットの陰から見ていました。
その時、彼女は、母が落としたピストルを手渡そうとして誤ってひきがねをひいてしまったのです。
それから10年間、リリイは「大好きなママを殺してしまった」という罪の意識で幼い心を傷め続けていました。
リリイが14歳の誕生日を迎えた夏の日、事件が起こりました。
その日、リリイの家で働く黒人家政婦ロザリンは選挙権の登録に行こうと張り切っていました。
ところが黒人の権利獲得をこころよく思わない保守的な白人たちに撲られ、入院。
リリイはロザリンを助けようとしなかった父に怒りをぶつけます。
「ママがいてくれたらよかったのに」。
ところが
「ママはお前を捨てて逃げたんだ」という思いがけない父の言葉。
リリイの胸に大きな波紋が拡がりました。
その夜、リリイはひそかに病院に向かい、ロザリンを連れ出します。
そして、母とつながりのあるティブロンという町に向かうのでした…


甘い花の香が漂ってくるようなティブロンの濃密な空気感。
瓶に入ったはちみつの穏やかな琥珀色。
ミツバチのたてる眠くなるような羽音。
薄幸な白人少女と豊かな体格と同じく豊かな心を持った養蜂場経営者オーガストとの心の交流は
「アンクル・トムの小屋」以来のアメリカのお家芸。
さすがに現代の映画ともなれば白人サイドの〈上から目線〉もありません。
甘~い花の香りとはちみつ色の安らぎに肩の力が抜けていく、心に優しい映画です。

ダコタ・ファニングはどんな女優に育っていくのでしょうか?

リリイ、はちみつ色の秘密
監督・脚本/ジ―ナ・プリンス=バイスウッド、原作/スー・モンク・キッド「リリイ、はちみつ色の夏」(世界文化社)
キャスト
ダコタ・ファニング/リリイ・オーウェンズ、クイーン・ラティファ/オーガスト・ボートライト、ジェニファー・ハドソン/ロザリン、アリシア・キーズ/ジューン・ポートライト、
ソフィー・オコネドー/メイ・ボートライト、ポール・ベタニー/父、ヒラリー・バートン/母デボラ
配給:20世紀FOX映画
3月20日TOHOシネマズシャンテ他全国順次ロードショー
www.Lily-Hachimitsu.jp


応援クリック、お願いします。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
にほんブログ村 映画ブログ 新作映画・試写会へ
にほんブログ村
by mtonosama | 2009-03-10 06:54 | 映画 | Comments(6)

THIS IS ENGLAND

f0165567_542758.jpg

             © WARP FILMS LIMITED、FILMFOUR、THE UK FILM COUNCIL、EM MEDIA、SCREEN YORKSHIRE

10代の時って、エッ!?なファッションをするものです。
ある家で夜中になるとトントントントン妙な音がするので、こわごわ音源を探りにいくと
中学生の息子がジージャンに一生懸命、鋲を打ちつけていたとか。

“THIS IS ENGLAND”に登場するファッションはスキンヘッズにボンバージャケット。
リーバイスのストレート・ジーンズの裾を折り曲げ、細いサスペンダーでつる。
靴は安全靴仕様の編み上げブーツかローファー。そして、パンツはあくまで短く。
あ、これは男子のファッションです。
女子はポロシャツにミニスカート、または男子と同じくジーンズ。
あるいはロリータ風のひらひらファッションもあり。でも、アイメークはいずれもゴスロリ風目元真っ黒メーク。
ま、今の眼で見るとフツーですけど。

80年代初頭、マーガレット・サッチャー政権の時代。イングランド中部。
「ブラス」(‘96)、「フルモンティ」(’97)、「リトル・ダンサー」(‘00)などと同じく
“鉄の女”サッチャー首相による新自由主義によって苦しめられたリバプール、マンチェスター、バーミンガムなど
製造業が集中するミッドランド地域が舞台になっています。
イギリス映画は、なぜか、この時期と地域の話が目につきます。
“THIS IS ENGLAND”はそれに加えてフォークランド戦争も。

フォークランド戦争。ありましたねぇ。

        南米大陸の南端、アルゼンチンから約500キロの沖合に浮かぶフォークランド諸島の領有をめぐり
        1982年イギリスとアルゼンチン間で3か月間戦われた戦争です。
        1592年にイギリス人のジョン・デービスが最初にこの島を発見したことが、イギリスが領有を主張する根拠になっているということですが
        イギリスはなんでそんな遠くまで出かけて行くんだ?と当時は不思議に思ったものです。
        戦争したい人には開戦の理由なんてどのようにでもなるということでしょうが。

“THIS IS ENGLAND”はそのフォークランド戦争で父親を亡くした11歳のショーンが主人公。
彼のひと夏の経験(といっても鼻歌まじりで話せるような経験ではないんですけどね)が
スキンヘッズ文化に必須のレゲエ、Oi!パンクなどの音楽をバックに描かれた映画です。

          もうすぐ夏休みだけど、彼は学校へ行きたくない。
          というのは、パパが買ってくれたベルボトムのパンツをクラスメートにひやかされるから。
          ヒッピーみたいなパンツはダサいってわけ。からかうやつらはクラスメートのユダヤ人なんだ。
          ショーンの街にはパキスタン人、インド人、中国人、多くの移民たちが住んでいる。
          ティーンエイジャーたちは定職もなく、遊びといったら、スキンヘッズに編上げブーツといういでたちで
          廃工場のガラスを割ったり、雑貨屋を経営するパキスタン人店主に嫌がらせするくらい。
          ショーンと彼らが親しくなったのは、クラスメートに追っかけられてるところを助けてもらったからなんだけど。
          ウディ(あ、スキンヘッズグループのボスの名前だよ)たちはその風采とは違って、
          案外礼儀正しいし、良いやつばかり。
          ショーンは編上げブーツをママに買ってもらい、ダサくないジーンズも手に入れた。
          シャツはウディがプレゼントしてくれたし、髪はバリカンで刈ってもらった(ママはそれを見て怒って怒鳴り込んできたけど)。
          いつものようにショーンがウディたちとつるんでいると
          「俺は1969年以来の元祖スキンヘッズさ」
          とこわもてのコンボがやってきた。
          ウディの顔色が変わる。
          その日からどこか幼い不良ゴッコが危険な色合いを帯びてきた。
          そう、コンボがショーンたちを言いくるめて連れていった先は極右集団ナショナル・フロントの集会。
          リーダーが呼号するのは
          「移民のやつらを国へ送り返せ!」
          「我々が恐れられるのは、真実を言っているからだ!」
          ヤバい、ヤバすぎる。
          ショーンの夏休みは一気にイギリスの抱える暗い問題に吸い込まれていくのだった…

80年代のパンク・ミュージックとファッション。ショーンの幼い恋。
こんなお膳立てを見るとよくある青春映画か?と。
しかし、80年代という時代は移民の流入と英国内の失業者増加が重なった時期。
不満を抱えたティーンエイジャーたちを人種差別へと駆り立てる様子が夏休みの日常を通して描かれていて、じわりと不気味感が迫ります。
フォークランド戦争もそんな不満のはけ口になっていたんですね。

        監督のシェーン・メドウズはこの映画の舞台であるイースト・ミッドランドを活動の拠点としてきた人で、”THIS IS ENGLAND”は彼の自伝的作品。
        1983年、彼が11歳だった夏休みのできごとを描いたものです。
        人種差別を目の当たりにした監督は
        「自分が人種差別を信じていたのは3週間くらいだったけど、中には今でも信じている人もいて、それは恐ろしいことさ」

でも、ショーンくんのスキンヘッドは彼がどれほど粋がってもマル米坊やにしか見えないのですが、監督の計算違い?それとも、殿の認識不足?

THIS IS ENGLAND
監督・脚本/シェーン・メドウズ
キャスト
トーマス・ターグース、スティーヴン・グラハム、ジョー・ハートリー、アンドリュー・シム、ヴィッキー・マクルーア、ジョセフ・ギルガン
3月14日(土)よりシアターN渋谷ほか全国順次ロードショー
公式HP www.thisisengland.jp

応援クリック、お願いします。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 
にほんブログ村 映画ブログ 新作映画・試写会へ
にほんブログ村
by mtonosama | 2009-03-05 05:48 | 映画 | Comments(10)