ブログトップ | ログイン

殿様の試写室

mtonosama.exblog.jp

殿が観た最新映画をいち早くお知らせ!

<   2009年 11月 ( 6 )   > この月の画像一覧

f0165567_4512398.jpg


f0165567_450924.jpg

                  
(C)2008 STUDIO NURIMBO


さあ、また泣いていただきましょう!
涙を流して泣くのはけがれた心を浄化するには最も手っ取り早うございますことよ。

純愛、動物、老人、子ども。
これって涙スイッチBIG 4ですよね。

老人、動物、そして、彼らを結びつける純愛。
一頭の年老いた牛と老農夫を主人公にして綴られる農村の日々。
「牛の鈴音」は子どもを除いたBIG 3が揃った韓国の落涙ドキュメンタリー映画です。

この映画が失敗したら出家しようとまで考えたイ・チュンニョル監督(43歳)の長編映画デビュー作。
2009年、「牛の鈴症候群」なる社会現象まで起きたという韓国の超話題作です。
地味なんですけど、しみじみ来ます。
地味は滋味にも通じます。

ストーリー

慶尚北道 奉化(キョンサンプクド ポンファ)郡に79歳の農夫チェさんは
76歳の妻イさんと暮らしています。
2人は農業一筋で9人の子どもたちを育てあげました。
30年間チェさんとともに田を耕し続けてきた牛は40歳を過ぎています。
農耕牛の寿命は15年ほどというのに、牛は40年も生き、
老いた体で静かに働き続けています。
f0165567_4534910.jpg

誰もが機械を使う時代なのに、チェさんは牛を使って田を耕し
収穫を牛のひく車に乗せて運びます。
チェさんは草を食べる牛の身体に障るからと農薬は使いません。
おかげで雑草取りに忙しい奥さんは文句を言います。
「あたしはなんて不幸な女なんだろうねぇ」
牛はなにも言わず、ゆっくり静かに草を食み、おじいさんを荷車に乗せて歩きます。

ある日、かかりつけの獣医が来て
「この牛はそろそろ寿命だ。今年の冬は越せないかもしれない」と告げます…

静かな映画です。ナレーションもありません。
あ、ただ、おばあさんがず~っとおじいさんに文句を言っているので
それがナレーション効果を出しているかもしれません。

30年もチェさんと働いているのに、牛には名前がありません。
チェさんは時々牛をたたきます。
すると牛はやさしい目をショボショボさせて身をすくめます。
チェさんは手間いらずの人工飼料を与えたりせず
朝も暗い内から一生懸命牛の食事を作ります。

ペットブームの日本では、犬や猫を「この人」なんて呼んだりしながら
飽きれば平気で捨ててしまっているのに
チェさんは名前もつけない牛を同志として、30年間も共に働き、暮らしています。
(それはもうおばあさんがやきもちを焼くほど)

f0165567_4542431.jpg

フリーのテレビ演出家だったイ・チュンニル監督は当初テレビ番組をつくるつもりでした。
「父親」たちのドキュメンタリーを撮りたいと考えていたそうです。
1997年のアジア通貨危機で、監督の父親世代の多くの人々が職を失いました。
ちょうどこの映画のチェさんの年配の人々で、韓国の苦しい時代を支えてきた人々です。

彼らをどう描くか、を考えた時
監督の頭に閃いたのは、農家に育った自分の幼少時代の記憶と
100年ほど前に韓国を旅行して農民と牛について書いた「大地」の作家パール・バックでした。

2004年チェさんと牛に出会い、撮影を決めた当初から
監督は「この牛が死ぬまで撮影しようと決めていた」そうです。
3年後、編集作業に入った監督はこの作品を映画にしたいと思うようになりました。
そして、プロデューサーのコー・ヨンジェさんと知り合い
この大ヒット映画が生まれたのです。

韓国でも、日本でも、かつての穏やかな暮らしが
櫛の歯が欠けるように消えていっています。

この映画は老いた人たちの日々の営みを通して
かけがえのないものを永遠に失ってしまうかもしれない
チェさんの息子や娘たちの世代に「大切なものをなくしちゃいけないよ」
と静かに教えてくれます。

牛の首に下げた鈴の音が優しいけれど、胸に響く警鐘としていつまでも鳴り響いています。




牛の鈴音
監督・脚本・編集/イ・チュンニョル、製作/スタジオ・ヌリンボ、プロデューサー/コー・ヨンジェ、撮影/チ・ジェウ
出演
チェ・ウォンギュン、イ・サムスン
2008年、韓国映画、カラー、原題/ウォナンソリ(牛鈴の音)、英語題/Old Partner,配給/スターサンズ、シグロ、題字:菅原文太
12月19日(土)シネマライズ、銀座シネパトス、新宿バルト9、第七藝術劇場、シネマート心斎橋他全国ロードショー
www.cine.co.jp/ushinosuzuoto/


f0165567_6223736.jpg


ブログランキングに参加しています。
お手数とは存じますが、ポチっとクリックしていただけたらうれしいです。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
にほんブログ村 映画ブログ 新作映画・試写会へ
にほんブログ村
♡いつも応援してくださってありがとうございます♡
by mtonosama | 2009-11-28 05:24 | 映画 | Comments(14)

f0165567_5282230.jpg

(C)2008-PENTAGRAMA FILMS-TELECINCO CINEMA-WILD BUNCH-FIDELITE FILMS.

マラドーナ  MARADONA

また、なんでマラドーナ?

自慢じゃないんですが、サッカーのことはちっともわかりません。
オフサイドなんて、何度説明を聞いても理解できません。
多分、球技関係の脳内回路が切れているのだと思います。
だから、彼の「神の手」ゴールとか、華麗なパスワークとか、ルールとか
そういうことにはまったくのトンチンカンなので、あらかじめお断りしておきますね。

なのに、この映画を当試写室で上映するのは、監督がエミール・クストリッツァだから。
4月に上映した「ウェディング・ベルを鳴らせ!」http://mtonosama.exblog.jp/10837510/
の監督です。
あの“ウンザ・ウンザ”サウンドが今回も炸裂していました。

f0165567_6284144.jpg



クストリッツァ監督の祖国・旧ユーゴスラヴィアもサッカーの強い国でした。
オシム(元日本代表監督)とかストイコヴィッチ(現名古屋グランパス監督)
を輩出した国です(さすがに彼らの名前ぐらいは知っています)。
エミール・クストリッツァ自身、サッカー選手としての将来を捨て
映画監督に転身したという経歴の持ち主です。

少年時代、サッカーやロックに夢中だった監督ですが
不良友達と遊んでばかりいるのを心配した情報省のお役人だったおとうさんに一喝され
プラハのチェコ国立芸術アカデミー映画学部に留学し、この道に入りました。

一方マラドーナことディエゴ・アルマンド・マラドーナは
1960年10月30日アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの貧民街で
4人姉妹の長男として生まれました。
幼少時から、左利きの天才少年としてサッカー関係者の注目を集め
なんと9歳の時にはロス・セポジータスというクラブにスカウトされます。
アルヘンチノス・ジュニアーズの一員となった76年10月に15歳でプロデビュー。
翌年16歳でアルゼンチン代表に選ばれ、最年少でハンガリー戦に出場しました。

クルクルしたカーリーヘアで愛くるしいディエゴ・マラドーナ
彼は79年に日本で開催された第2回ワールドユース選手権にキャプテンとして出場。
初優勝に貢献し、大会MVPも受賞。
同年19歳でアルゼンチン・リーグの得点王になり
南米最優秀選手賞も獲得し、スーパースターになりました。

しかし、好事魔多し。人生、そうトントン拍子には行きません。

対戦相手はマラドーナを標的として、ありとあらゆる反則を繰り返す。
それにブチ切れて報復し、退場処分。
さらに病気。

 ← 音声ヴォリュームにお気をつけください。

それでも不死鳥マラドーナは蘇ります。
1986年、メキシコワールドカップ。
準々決勝の対イングランド戦で見せた5人抜きドリブルの「世紀のゴール」!
これこそ、世界中のサッカー音痴の眼すら釘付けにした名場面でした。
「マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのための大会」
ともいわれたメキシコW杯で、彼は5得点5アシストのMVPと優勝を勝ち取ったのです。

が、しかし
サッカーの神様は残酷です。
マフィアとの関係、不倫、薬物依存、1994年アメリカW杯からの追放
次々と不祥事が発覚。
1997年10月30日、37歳の誕生日には現役引退を発表しました。
その後も薬物使用やアルコール依存症で入退院を繰り返し
「あの可愛かったカーリーヘアーの少年はどこへ?」という激肥り。

実はこの肥満と薬物使用からマラドーナは一時危篤に陥りました。
生き残った英雄の墜落は悲惨です。

再び、が、しかし
マラドーナは胃の部分切除を受け、体重を落とし
さらにアルコール依存症と不摂生による体重増加を治療するために入院しました。
健康を回復した昨年11月にはワールドカップ南アフリカ大会のアルゼンチン代表監督に
就任しチームの指揮をとっています。


f0165567_5285789.jpg


マラドーナとクストリッツァ。この2人の元不良少年は2005年に出会いました。
マラドーナが胃を部分切除した翌々年のことです(映画の中ではまだ太ってました)。

この年、クストリッツァ監督はディエゴ・マラドーナのドキュメンタリー企画を
公式発表したのです。
「マラドーナの人生すべての側面を映しだす初めての作品である」
と、2つのパルムドールと数々の国際賞を受賞した名匠は宣言。
ところが、この時点でマラドーナはクストリッツァ監督の名前も知らず、映画も観たことが
ありませんでした。

でも、天性のスターの持つおおらかさでしょう。
旧知の友のように監督の肩を抱くマラドーナの顔は満面の笑顔。

この二人、サッカー以外にも意外な共通点がありました。
チェ・ゲバラを尊敬していること(マラドーナの右上腕部にはチェのタトゥがあります)。
帝国主義、ネオリベラリズム、ブッシュに反対していること。

2005年11月ブッシュ大統領のアルゼンチン訪問に反対して結成された
抗議運動に参加したクストリッツァ監督は共に闘うマラドーナを撮影しています。

2000年にはマラドーナ教まで生まれました。
10月30日のマラドーナの誕生日が「クリスマス」
6月22日のマラドーナが「神の手ゴール」を決めた日が「復活祭」と呼ばれます。
この日にはファンたちの間で盛大なお祭りが催されています。

♪マラドーナになって あんな人生を送りたい
 マラドーナになって あんなゴールをしたい
 マラドーナになって 正しいことをしたい
 マラド―ナになって 派手に暮らしたい
*人生はギャンブル 昼も夜も関係ない
  人生はギャンブル 同じことの繰り返し

マラドーナになって あんな人生を送りたい
花火と友達ん囲まれ いつでも全力で進む
マラドーナになって テレビに映ってみたい
FIFAの連中に罵声を浴びせるため
*繰り返し

マラドーナになって あんな人生を送りたい
世の中ウソつきばかり みんな本音を隠してる
マラドーナになって試合に勝ってみたい
マラドーナになって 神聖な左手を使いたい
*繰り返し
“La Vida Tombola” Manu Chao


神とまで呼ばれるマラドーナの強烈なカリスマ性。
さしものサラエボの風雲児クストリッツァもタジタジする場面が随所に見られて
あらためてマラドーナの放つ強烈な光線に目を射られました。
オーラなんて生易しいものじゃありません。
サッカー音痴でも十分にビックリした映画でした。

マラドーナ
監督/エミール・クストリッツァ
出演
ディエゴ・アルマンド・マラドーナ、エミール・クストリッツァ、マラドーナ・ファミリー、カストロ将軍、エミール・クストリッツァ&ノースモーキング・オーケストラ、マヌ・チャオ他
2008年、スペイン・フランス合作映画、原題/MARADONA BY KUSTURICA、95分、英語/イタリア語/セルビア・クロアチア語/スペイン語
12月12日(土)より、シアターN渋谷にて公開
www.maradonafilm.com


ブログランキングに参加しています。
よろしければワンクリックをお願いします。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
にほんブログ村 映画ブログ 新作映画・試写会へ
にほんブログ村
♡いつも応援してくださってありがとうございます♡
by mtonosama | 2009-11-23 06:10 | Comments(16)
倫敦から来た男
The Man from London

f0165567_61149100.jpg


偉い映画評論家がこむつかしい映画に限って絶賛するのを疑問に思っていた殿です。
なのに、今回当試写室で上映するのはこの上なくこむつかしい作品です。
ごめんなさい。

そもそも、この映画を観たのは
原作が、ジョルジュ・シムノン作品であることにつられたからでして
ということはメグレ警視が快刀乱麻を断つ活躍をする映画かと
期待したからであります。

f0165567_622273.jpg


ところが、どうでしょう。

モノクローム画面のファーストシーンから
いきなり港に停泊する船が延々と映し出され
船腹が、霧に沈む街灯が、船から降り立つ乗客の黒い影が
無限とも思える長回しで続きます。

また、鉄道員である主人公マロワンの夜間勤務する制御塔が
湿った夜の闇に明るく浮かび上がっています。
この妙に印象的な建物が何度も何度も登場します。
これがまた妙に不安を誘う光景です。
タル・ベーラ監督はこの建物を出したくて
本作を撮影したのではないかと思いたくなるほど
1枚のエッチングのように心に残る建物です。

f0165567_61231100.jpg


タル・ベーラ監督
1955年ハンガリーに生まれる。デビュー作「The Family Nest」(’77)でマンハイム国際映画祭グランプリを受賞。1994年には7時間半のモノクロ作品「サタンタンゴ」を世に問う。’00「ヴェルクマイスター・ハーモニー」でヴィレッジ・ボイス紙でデヴィッド・リンチ、ウォン・カーウァイに次ぐベスト・ディレクターに選ばれる。翌年7月、フランスのラ・ロッシェル国際映画祭で特集上映が行われ、ルーブル美術館では「サタンタンゴ」が上映された。同年秋にはニューヨーク近代美術館(MOMA)でも大規模な特集上映が開催される。

美術館で特集上映される監督さんでしたか。たしかに、芸術的な映画です。

メグレ警視など、どこにもいないし
サスペンス的な展開がないのも仕方ないのかも。

とにかくワンシーンが長い、したがって、展開が遅い。
まるで能のようなテンポだなあ、と思って観ていたら
なるほど、監督も脚本を担当したクラスナホルカイ・ラースローさんも
能がお好きなのだそうです。

     小学生のころ、祖父から謡曲「紅葉狩」を習いました。
     最初の一節はいまだに覚えていますが、こうです。
     「時雨を急ぐ紅葉狩 時雨を急ぐ紅葉狩 深き山路を訪ねん」

     これを「しぃぐぅれぇをぉいぃ~そ~ぐ~も~み~じ~が~~り~ …」
     と謡うのです。
     「倫敦から来た男」はこんな調子で進みます。

いつまで続くこのシーン、と辛抱強く観ていました。
その長回しこそが監督の狙いだったのでしょう。
とにかくワンシーン、ワンシーンが鮮烈に記憶にこびりついて離れません。

登場人物も、背景も、これでもか、とばかりにそぎ落とし
その分、カメラが向かった対象を延々と映し出します。
その顔がなにかを語りだすのをカメラを回しながら待っているかのようです。

ゆっくりとした動き、象徴化された演技、少ないセリフ。
まさに能であり、俳句です。
観客は、与えられたものを観ているだけでなく
積極的に係わることが要求されます。印象深い分、しんどい映画ではあります。

f0165567_6121333.jpg


ストーリー
港に船がつくと乗客はそこから汽車に乗って各地に散っていきます。
鉄道員のマロワンは毎晩ガラスの制御塔から港と駅を見下ろしています。
ある夜、彼は倫敦から来た男が殺人を犯すのを見てしまいます。
殺された男のトランクは海に落ちていきました。
潮が干いたとき、マロワンはそのトランクを海から拾いあげます。
中からは大量の札束が。
彼はそれを同僚に告げることも、警察に届けることもせず
仕事場のロッカーに納めます。
朝が来ると仕事を終え、馴染みのカフェに寄って、家に向かう
いつものように繰り返される日々。
しかし、彼のなかで何かが静かに狂い始めていくのでした…

映画館の暗闇に身を任せていれば
スクリーンの方から勝手に飛び込んできてくれる映画と違って
こちらもじっくり対峙し、踏みこんでいくことを迫られる映画でした。

暗闇のなかで観る絵画、あるいは観る文学作品とでも呼ぶべき映画なのかもしれません。

倫敦から来た男
監督/タル・ベーラ、原作/ジョルジュ・シムノン、共同監督・編集/フラ二ツキー・アーグネシュ、脚本/クラスナホルカイ・ラースロー、タル・ベーラ、撮影/フレッド・ケルメン
出演
ミロスラヴ・クロボット/マロワン、ティルダ・スウィントン/マダム・マロワン、ボーク・エリカ/アンリエット(マロワンの娘)、デルジ・ヤーノシュ/ブラウン、レーナールト・イシュトヴァーン/刑事、スィルティシュ・アーギ/マダム・ブラウン
2007年、ハンガリー=ドイツ=フランス、138分、後援/駐日ハンガリー共和国大使館、ハンガリー政府観光局、配給/ビターズ・エンド、第60回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品、
12月12日(土)より、シアター・イメージフォーラム他、全国順次ロードショー、http://www.bitters.co.jp/london/


モノクローム映画ですのでバナーもカラーコーディネートしました。
よろしければワンクリック、お願いします。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
にほんブログ村 映画ブログ 新作映画・試写会へ
にほんブログ村
♡いつも応援してくださってありがとうございます♡
by mtonosama | 2009-11-18 06:34 | Comments(16)
f0165567_630944.jpg


カティンの森  KATYŃ

カティン。この地名をお聞きになったことはありますか?
殿はもう随分前になりますが、TVニュースで知りました。
画面には、まばらな木々が生えている寒そうな光景が映し出されていた記憶があります。

ポーランドにあるその森から、1943年春、ポーランド軍将校たちの遺体が
何千体も発見されたそうです。「カティンの森」事件です。

カティンの森事件
ヒトラーとスターリンの密約によって、ポーランドは1939年9月1日ドイツに、17日にはソ連に侵略された。ソ連の捕虜になった約1万5千人のポーランド将校が1940年以降行方不明になる。それから3年後、ドイツがソ連に侵攻した際、ソ連国内のスモレンスクに近いグニェズドヴォ(Gnezdovo)村近くの森でポーランド将校約4400人の遺体を発見。この事件が発覚した。
カティンの森事件(ポーランド語: Zbrodnia katyńska、ロシア語: Катынский расстрел)とはポーランド軍将校捕虜・国境警備隊員・警官・一般官吏・聖職者がソ連の内務人民委員部(秘密警察)によって1940年に銃殺された事件。日本ではカティン事件またはカチン事件としても知られている。
カティンはこの事件があった場所の近くの地名で事件とは直接関係ないものの覚えやすい名前であったため、当時のドイツが対外宣伝用に使用した。
(Wikipediaより)

f0165567_6303970.jpg


かれらがナチスによって殺されたのか、ソ連によって殺されたのか
長い間、秘密にされていましたが
冷戦時代が終わりを告げた1990年
当時のソ連・ゴルバチョフ大統領がソ連秘密警察によるポーランド人の殺害を認め
その2年後、ロシアのエリツィン大統領は
殺害がスターリンの直接署名した命令書によって行われたことを公式に言明しました。

「カティンの森」の監督アンジェイ・ワイダの父親を含む約1万5千人の
ポーランド将校たちが虐殺されてから半世紀が過ぎていました。

アンジェイ・ワイダ監督は監督デビューして間もない1950年代半ばに
この事件の真相を知ったそうです。
監督は、自分の手で「カティンの森」事件を映画化したいと切望しながら
当時、圧倒的なソ連の影響下にあったポーランドの状況や
冷戦下の微妙な国際関係から、この事件について語ることすらできませんでした。

タブーとして封印されていた事件も、ソ連の崩壊後、徐々にその輪郭が見えてきました。
しかし、まだ多くの事実は明らかになっていません。

監督は語っています。
「映画は、カティン事件の数多い被害者家族の苦難と悲劇について物語ればよい。ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・スターリンの墓上に勝ち誇る嘘、カティンはナチス・ドイツの犯罪であるとの嘘、半世紀にわたり、対ヒトラー戦争におけるソビエト連邦の同盟諸国、すなわち西側連合国に黙認を強いてきたその嘘について語ればよい」
(集英社文庫「カティンの森」/工藤幸雄・久山宏一訳)


f0165567_6302832.jpg


ストーリー
1939年9月17日。ポーランドがソ連に占領された日。
ドイツ軍に西から追われる人々と、ソ連軍に東から追われてきた人々が
ポーランドの東にある橋の上で行き交いました。
西から来た人の中には、クラクフから夫のアンジェイ大尉を探しにきたアンナとその娘ニカ。
東から逃げて来た人の中には大将夫人ルジャがいました。
アンナとニカは川向こうの野戦病院へ、ルジャはクラクフへ向かいます。

訪れた野戦病院で運良く夫アンジェイと邂逅できたアンナは夫の胸にしがみつきます。
夫アンジェイやその友人イェジら将校たちはソ連軍の捕虜になっていたのでした。
妻と娘が呆然と見詰めるその前で、軍用列車に乗せられ
東へ運ばれて行ってしまうアンジェイたち。

同年クリスマス・イヴ。大将の家では娘のエヴァが一番星を待ち
同じ頃、収容所でも大将はじめ将校たちが質素なクリスマスの食卓についていました。
大将は、将来のポーランド再興の担い手となるよう部下たちを激励し
全員で聖歌を歌っていました…

70年前、引き裂かれた家族。
待ち続けた妻、父母、兄弟姉妹、子ども。
一人の兵士が殺されるその背後で嘆く人々は家族の数だけいます。
友人も泣きます。一人の兵士の死に嘆く人々の数は幾何級数的に増えていきます。

今年83歳になる被害者の息子アンジェイ・ワイダ。
息子として、監督として、渾身の力をこめて撮影した映画です。

カティンの森
監督・脚本/アンジェイ・ワイダ『灰とダイヤモンド』『地下水道』、原作/アンジェイ・ムラルチク「カティンの森」カティンの森」(集英社文庫)、脚本/アンジェイ・ワイダ、ヴワディスワフ・ハシコフスキ、ブシェムィスワフ・ノヴァコフスキ
出演
マヤ・オスタシェフスカ/アンナ、アルトゥル・ジミイェフスキ/アンジェイ、ヴィクトリャ・ゴンシャフスカ、マヤ・コモロフスカ/アンジェイの母、ヴワディスワフ・コヴァルスキ/アンジェイの父、アンジェイ・ヒラ/イェジ、ダヌタ・ステンカ/大将夫人、ヤン・エングレルト/大将、他
原題:KATYŃ 、2007年、ポーランド映画、122分、R-15 、ドルビーSRD、シネスコ
ポーランド語・ドイツ語・ロシア語、字幕編集/久山宏一、資料監修・プレス編集協力/久山宏一、大竹洋子、後援:ポーランド共和国大使館  /「日本・ポーランド国交樹立90 周年」認定事業、提供:ニューセレクト、配給/アルバトロス・フィルム
12月5日(土)より岩波ホールにてロードショー、他全国順次公開
www.katyn-movie.com

ブログランキングに参加しています。
よろしければワンクリックをお願いします。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
にほんブログ村 映画ブログ 新作映画・試写会へ
にほんブログ村
♡いつも応援をありがとうございます♡

f0165567_14322980.jpg

by mtonosama | 2009-11-13 06:54 | Comments(10)
f0165567_51881.jpg

                      (c)2006 フジテレビ/東方吉祥
泣きながら生きて

テレビの人気番組が映画になるというのが最近多いです。
なんでしたっけ?「事件は現場で起きているんだっ!」って映画とか
ニュースで放映された24歳の乳ガン女性のドキュメンタリーが反響を呼び
映画化された「余命1ヶ月の花嫁」とか
アメリカだったら「セックス・アンド・ザ・シティ」がそうですね。
でも、どれも、映画としてつくられた作品です。

「泣きながら生きて」は2006年11月3日全国ネットで放映され、
反響を呼んだテレビドキュメンタリーです。
この映画は、テレビ番組がそのまま映画館のスクリーンで上映されます。
そこだけ見ると、実に安直、手を抜いているのでは…

が、しかし

「泣きながら生きて」は放映されて以来
多くの視聴者から、再放送やDVD化を望む声が高かった作品で
ある中国人一家の10年間を記録したドキュメンタリーです。

今回このテレビドキュメンタリーを異例の劇場公開とするために
一人の大学生が動きました。http://ameblo.jp/nakinagara-ikite/
「高校生の時、何のために勉強しているのか誰も教えてはくれなかった。
就職活動の最中、人はなぜ働くのかわからなくなった。
おおげさかもしれないけれど、僕の人生はこの作品に出会って変わった。
悩んだとき、きっとこの作品は、皆さんに寄り添って一緒に答え探しをしてくれると思います」
(慶大4年・中村俊喜さん)

本作の横山隆晴プロデューサー。彼の処女作はテレビドキュメンタリー
「別離(わかれ)の歌~飛騨高山の早春賦・『白線流し』」です。
その舞台が大学生の母校・岐阜県立斐太高校だったという偶然も重なり
今回の劇場上映が実現しました。

ストーリー
1989年、上海から35歳の中国人・丁尚彪(ていしょうひょう)さんが
希望に燃えて成田空港に到着しました。

丁さんは文化革命時、中国奥地の寒村へ下放され
ちゃんとした教育を受けることができなかった世代です。
妻とはその地で知り合い、共に苦労し、励ましあってきました。

上海で働きながら、人生の再出発を心に期していた丁さんは
ある日、街角で日本語学校のパンフレットを手にしました。
入学金と半年分の授業料で42万円。
夫婦二人が15年間働き続けないと得ることのできない金額です。
彼は親戚縁者に借金をして、お金をかき集めました。
「日本語学校で学び、日本の大学へ進学する!」

妻子を上海に残し、希望を胸に来日した丁さんでしたが、大変な現実に直面しました。

日本語学校の所在地は北海道の阿寒町。住所の末尾は「番外地」。
働いて借金を返しながら、勉強していこうと考えていた丁さんは
会社や工場はもちろん、店も、民家もない光景に息を呑みます。
日本で働きながら借金を返さなければ、勉強も続けられないし
中国へ戻ることもできません。

丁さんは、この町を脱出しました。そして、東京へやってきました。
学生でなくなった彼はビザを更新できません。
不法滞在者です。
再挑戦の夢は潰えました。

勉学への強烈な動機と意欲を持ちながら
断腸の思いで自身の夢を諦めました。
その代わり、我が子にそれを託したのです。
中国にいる家族とは何年も離ればなれのまま
早朝から、終電がなくなる時間まで、異郷で一人働き続ける丁さん。

娘は見事にNY州立大学に合格しました…


f0165567_5182929.jpg


「あなたの夢かもしれないけど、よくも10年もほったらかしにしてくれたわね。
女でもできたんじゃないの?」
「自分の夢を諦めたからって、私におしつけてないでよ」
ま、これが一般的な妻子の反応だと思うのですが。

優しく夫を支える妻と優秀な娘。
加えて、10年にわたる取材の結果が成功物語に終わったから
感動するのでしょうか。

確かに「泣きながら観る」しかないくらい、ハンカチが手放せません。

     上海からNYへ向かう娘が24時間のトランジットを利用して7年ぶりに会いに来ても
     不法滞在者ゆえに空港まで迎えに行くことも、旅立つ娘を送ることもできず
     成田空港の手前で京成電車を降り、見送る丁さん。

     妻もまた娘を訪ねるNYへのトランジットを利用して10年ぶりに夫に会います。
     服を新調し、美容院に行った妻。丁さんも東京案内のルートを考え、部屋を整えます。
     10年ぶりの新婚旅行のようにときめく2人。
     でも、やはり京成電車を空港の手前で降りて、いつまでも妻の乗った電車を見送る丁さん。
     声をしのばせて泣く妻。


f0165567_5184846.jpg


この話、単なる美しい家族愛や勉強好きのお父さんや娘の話ではありません。
どん底に落ちても諦めない丁さんの強さ。決して希望を失わない前向きな姿。
成績優秀な娘。我慢強く夫を信じ、支え続ける妻。
奇跡のようなこの3人の資質から生まれた感動のドキュメンタリー作品です。

いよいよ上海に帰ることになった丁さんは網走の語学学校跡を訪れます。
この地が彼の死にものぐるいの生活の始まりだったはずなのに
丁さんは深々と学校に向かって頭を下げました。

中国人も日本人もありません。
丁さんの人としての素晴らしさに殿も頭を下げたい気持ちになりました。

泣きながら生きて
ナレーター/段田安則、企画・プロデュース/張麗玲、構成・編集/横山隆晴、張煥琦、
撮影/張麗玲、張煥琦、遠藤一弘、横山隆晴、演出/張麗玲、張煥琦、
プロデューサー/横山隆晴、製作・著作/フジテレビ、東方吉祥
2006年、日本、カラー、108分
11月28日(土)新宿バルト9ほか全国順次上映
http://nakinagara.net/


ブログランキングに参加しています。
よろしかったら、ワンクリックをお願いします。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
にほんブログ村 映画ブログ 新作映画・試写会へ
にほんブログ村
♡いつも応援してくださり、ありがとうございます♡
by mtonosama | 2009-11-08 05:33 | 映画 | Comments(12)
f0165567_5383546.jpg

ブッデンブローク家の人々Buddenbrooks


ドイツ映画祭第3弾。今回がいよいよ最終回です。

「ブッデンブローク家の人々」。
1901年、ドイツの生んだ偉大なる作家トーマス・マンが著した長編小説で
映画化されるのはこれで3回目。
無声映画時代の1923年。1部と2部から成る59年。
そして、半世紀を経ての本作です。

1875年、リューベックの豪商一家の息子として生まれたトーマス・マン。
「ブッデンブローク家の人々」は彼の一族をモデルとした作品です。
副題に「ある一家の没落(Verfall einer Familie)」とある通り
リューベックという商都で、手広く商いをし、名士でもあったマン一族。
その没落までの一族4代の歴史を描いた自伝的な小説ですが
ヨーロッパでベストセラーとなり
1929年にトーマス・マンがノーベル文学賞を受賞したのは
この作品の存在ゆえ、といわれています。

映画は、マン家の子どもたちジャン、クリスティアン、トー二が
リューベックの雑踏で遊ぶ場面から始まります。
はしゃぎすぎる子どもたちがうっとおしいなぁ。
ま、あまり期待しないでおこうと、観ていました。

ところが、いや、とんでもない。

さすが文芸学者・批評家としても名高いハインリヒ・ブレレーア監督。
彼は遠くない過去のドイツ史に題材をとり、フィクションを交えて史実を再現する
ドク・ドラマと呼ばれるジャンルの第一人者だそうです。
やはり本人がトーマス・マンを敬愛するというだけありますし
丁寧に検証された時代背景や、ひとつひとつのシーンには説得力があります。
うんうんと納得しながら鑑賞しました。

今回の映画祭にはブレレーア監督は来日しませんでしたが
ステージには撮影監督が登壇。
撮影の裏話や、リューベックのこと、ブッデンブローク家が直面した市民革命の嵐
穀物相場の話など、観客からのいろいろな質問に答えてくれました。
俳優たちの老けていく様子もすごく自然。
観客の質問がそれに及んだとき
撮影監督さん「メイク担当者に伝えておきますね」と笑って答えてくれました。

そうそう、映画に出てきたブッデンブローク家のファサードは
リューベック旧市街にある「ブッデンブローク・ハウス」だそうです。
これはかつてマンの祖父が暮らした家で
現在はトーマス・マンと兄ハインリッヒ・マンの作品などのほか
ノーべル文学賞の賞状も展示された博物館になっています。

f0165567_539462.jpg


ストーリー
19世紀、リューベックでは多くの商家が並び立ち
利益を求め、競い合っていました。ブッデンブローク家もそのひとつ。
2代目当主ヨハン・ブッデンブロークは穀物取引で成功し、富と名声を手にしました。
3人の子どもトーマス、クリスティアン、アントーニエも
ブッデンブローク家の一員としての自覚を持つよう育てられていました。

1848年に勃発した市民革命の影響で当主ヨハンは大きな損害を出してしまいます。
政略結婚のような形でハンブルグの商人と結婚させられた娘アントーニエは
夫の破産により離婚。
ヨハンは意気阻喪し、長男トーマスに家督を相続
失意のうちに死んでしまいます。
3代目を継いだトーマスは、海外で商いの修行をしていた弟のクリスティアンを
呼び戻しますが、彼は兄の支えにはならず、足をひっぱるばかり。
4代目を継ぐべきトーマスの息子ハノーも関心は音楽に。

孤軍奮闘するトーマスでしたが、時代も運も彼の味方にはなってくれませんでした…


リーマン・ショックもそうですが、どんなに隆盛を誇っている家も、会社も
なにがひきがねになってひっくりかえるか、わかったものではありません。
時代の転換期を生きたブッデンブローク家の隆盛と没落。身につまされながら観ました。

人間は歴史に学ぶことのできない愚かな生きものですが
せめてこの壮大なドラマをわが身にひきよせ、共感することで
歴史を学んだ気になりたいという殊勝な気になった殿です。

「ブッデンブローク家の人々」、一般公開されるでしょう。きっと(と、言い切らせてください)。
映画祭だけで終わらせるにはもったいない作品です。

ブッデンブローク家の人々
監督/ハインリッヒ・ブレレーア、脚本/ハインリッヒ・ブレレーア、ホルスト・ケー二ヒシュタイン、原作/トーマス・マン、撮影/ゲルノート・ノラ
出演
アルミン・ミュラー=シュタール/ヨハン〈ジャン〉・ブッデンブローク、ジェシカ・シュヴァルツ/アントーニエ〈トーニ〉・ブッデンブローク、アウグスト・ディール/クリスティアン・ブッデンブローク、マルク・ヴァシュケ/トーマス・ブッデンブローク、イーリス・ベルベン/エリーザベ〈ベッツィ〉・ブッデンブローク、レア・ボスコ/ゲルダ・ブッデンブローク、ラバン・ビーリング/ハンノ・ブッデンブローク
2008年/152分


ランキングに参加しています。
よろしければ、クリックひとつお願いします。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
にほんブログ村 映画ブログ 新作映画・試写会へ
にほんブログ村
♡いつも応援をしていただき、本当にありがとうございます♡
by mtonosama | 2009-11-03 06:15 | Comments(10)