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         人生、ここにあり! -2-
                         Si Puo Fare

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                         (c) 2008 RIZZOLI FILM

                       “Si Puo Fare.(シ・プオ・ファーレ)”
                   「やればできる」という意味。なんか元気が出る言葉です。

            1978年バザーリア法の制定によって、次々に精神病院が閉鎖されたイタリア。
            病院に閉じ込められ、拘束具をつけられたり、ショック療法を受けさせられたり、
                          過剰に薬物を投与されたり…
                     それまで、人として扱われてこなかった患者たちが、
                  一般社会で生活できるようになって、地域に戻っていきました。

                    「人生、ここにあり!」は、そんな時代の実話に基づき、
                1983年のミラノを舞台に「やればできる」ところを見せてくれる映画です。

                          さあ、どんなお話なのでしょうか。

ストーリー
1983年。バザーリア法が制定され、精神病院が閉鎖されたミラノ。
戻る場所がない患者たちは病院に付属した「協同組合180」で暮らしていました。

さて、ネッロ。労働組合員の彼は正義感が強く、労働の近代化に情熱を傾ける熱血漢。
出る杭は打たれるといいますが、
その熱血ゆえに、所属していた組合から異動させられ、「協同組合180」にやってきました。

ネッロがそこで目にしたのは、切手貼りなどの単純作業をしながら、
無気力に過ごす組合員=患者たちでした。
仕事で稼ぐことの素晴らしさを彼らに伝えることを思いついたネッロ。
早速、彼らを集めて会議を開きます。でも、個性豊かな彼らはてんでんばらばら。
しかし、なんとか「床張りで稼ぐこと」が採択されました。

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恋人のサラに支えられながら、この試みに挑戦するネッロですが、失敗の連続。
監督医師のデルベッキオは「患者たちは新しい仕事の重圧には耐えられない」と、
「床張り」の仕事をすぐさま中止するよう、ゴリ押ししてきます。

ところが、チャンス到来。

ネッロが不在の折、ある作業現場で木材が足りなくなってしまいます。
混乱する組合員たちを尻目に、統合失調症患者のジージョとルカは落ち着きはらい、
不要な木端を組み合わせて美しい寄木張りを完成させたのでした。
これが話題となり、組合員たちは芸術的な専門家集団として評価を受けることに。

そんな時、ネッロは精神病に対して革新的な考えを持つフルラン医師に出会います。
彼の助言を受け、患者たちを無気力状態にする薬の量を減らすよう、デルベッキオ医師に提案。
しかし、「精神病は死によってしか完治せず、精神安定剤は必需品だ」
が持論のデルベッキオはネッロの提案を却下。

ネッロは組合員たちの会議でこれに対抗します。組合員全員の採択をとり、デルベッキオ医師を解雇。

自分たちの新しい居場所を獲得し、家庭や愛、性の喜びも見出した患者たち。
ところが…

             映画の中に出てくる協同組合というのもバザーリア医師の考えです。
     彼は、作業療法の名目で入院患者たちに課されていた院内清掃作業を有償労働に変えます。
                入院患者たちの就労生活協同組合を立ち上げたのです。
               これが「社会的に不利な立場にある人々のための生活協同組合」。
             映画では「協同組合180」として登場している生活協同組合なんですね。

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           薬を減らすことで性欲が目覚めた患者たちがEUの助成金でマイクロバスに乗って
                     売春宿へ出かける(!)のも実話なら、
                  患者たちの協同組合が大成功をおさめるのも実話、
                      患者たちの多くも実在の人物―――

                 なんか、とても日本の感覚からは信じられないのですが、
     信じられないということは、まだまだ精神的な疾患がタブー視されていることの証なのでしょう。
             「人生、ここにあり!」のように、あっけらかーんと精神病患者を描いて
       「一般人(考えてみれば一般人という言葉だってとてもあいまいですよね)とも一緒に
               仲良くやっていけるんじゃないの」と提示できることって、
                   ある意味イタリアの先進性のあらわれです。

               でもね、ただ精神病院を廃止しちゃったからすごいのではなく、
     精神病患者とその家族の支援の拠点として年中無休24時間オープンの精神保険センターをつくり、
                     受け皿もちゃんと用意しているんですね。

           精神病院を廃止したからといって、精神病がこの世からなくなったわけではないし、
                  社会からストレスが消えちゃったわけでもないのですから。

                    しかし、イタリアという国は、人も社会も太っ腹です。
    そして、精神病患者を主人公にして笑える映画を作ることができるというイタリア映画界も大人です。

                     すごいです。Si Puo Fare!やればできる!ですね。

           

                                

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人生、ここにあり!
監督・脚本/ジュリオ・マンフレドニア、原案・脚本/ファビオ・ボニファッチ、撮影監督/ロベルト・フォルツァ、製作/アンジェロ・リッツォーリ
出演
クラウディオ・ビジオ/ネッロ、アニーた・カブリオーリ/サラ、ジュゼッペ・バッティストン/フルラン医師、ジョルジョ・コランジューリ/デルベッキオ医師
7月23日(土)よりシネスイッチ銀座他にて全国順次公開
2008年、イタリア、111分、配給・宣伝/エスパース・サロウ
http://jinsei-koko.com/

by mtonosama | 2011-07-29 06:48 | 映画 | Comments(8)
         人生、ここにあり! -1-
                       Si Puo Fare

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                      (c) 2008 RIZZOLI FILM

                       いやあ、面白い映画です。
                 なのに、ご紹介が遅れてしまって申し訳ございません。
       いえ、面白い映画はひと様には教えず独り占めしたかったからということではないのです。
                      決して、誓って、そうじゃありません。

                       きわめて痛快な映画でした。
        なにが痛快かというと、左遷された熱血組合員と精神病患者たちが大活躍するのです。
             といっても、荒唐無稽なお話でもなんでもなく、実話に基づいたお話です。
        この実話がまた面白い話満載なんですけどね。それはまた後編でのお楽しみということで。

                          舞台はイタリア。
           実は、イタリアという国は世界で初めて精神科病院をなくした国なのだそうです。
                  といっても、もう30年以上も前からそういうことになっていて、
             日本からも精神病理学を学ぶ多くの学生がイタリアに留学しているのだとか。

        そういうことになっているのは、1978年にバザーリア法という法律が制定されたから。
                           バザーリア法?
           1978年5月13日、世界で初めて公布された精神科病院廃絶法のことです。
   その名前は、精神科病院の廃絶をイタリアで最初に唱えた精神科医フランコ・バザーリアにちなんだもの。

                          この法律が公布されて、
        イタリアでは1999年には犯罪者の病院を除いた国立の精神病院は全て廃止になりました。

バザーリア法によって、精神科病院の新設、すでにある精神科病院への新規入院、1980年末以降の再入院を禁止し、予防・医療・福祉は原則として地域精神保健サービス機関で行うこととなる。治療は患者の自由意志のもとで行われる。やむを得ない場合のために一般総合病院に15床を限度に設置するが、そのベッドも地域精神保健サービス機関の管理下に置く。緊急に介入しなければならない時、必要な治療が拒まれた時には強制治療できる。その場合、二人の医師が個別に治療が必要という判断、治療の場は地域精神保健サービス機関以外、という条件を満たさなければいけない。また、市長あるいは市長の任命する保健担当長の承諾や、その市長が48時間以内に裁判所への通報することも義務づけられている。強制期間は7日間。延長の場合は再度手続きを踏む。本人や本人に近しい人は裁判所へ抗告することもできる。(Wikipediaより)

    バザーリアは精神的障害者の強制収容は15日間だけで、器具を使用するショック療法なども廃して、
       元患者が社会参加することによって、心を解放していく治療を主張したお医者さんです。

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     日本でも想田和弘監督が「精神 Mental」 http://mtonosama.exblog.jp/11123248という作品で、
  岡山にある精神科外来病院《コラール岡山》に通院するさまざまな患者さんを撮影して話題になりました。
     この映画をご紹介するときには、こちらにもなにか逡巡するものがあったことを覚えています。
         え~?モザイクなしで患者さんの顔を出すのって、問題なんじゃないかなぁ?
             入院せずに、通院だけでいいの?とおっかなびっくりでした。

  ところがイタリアでは40年近く前から《コラール岡山》のような病院があったというから、驚くではありませんか!
               ということは、イタリア人はとののように逡巡することなく、
          普通に元精神病者や現患者を社会に受け入れているということですよね。

        ジュリオ・マンフレドニア監督はバザーリア法についてこんなことを言っています。
        それはユートピア志向の野心的な法律だけど、大いに文化的な法律で、
            社会がこの問題ときっちりと向き合わざるを得なくさせた


                             なるほどね。

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               「精神 Mental」の時には、眉間にしわを寄せて鑑賞したけれど、
            「人生、ここにあり!」は目じりにしわが増えることになってしまいました。
                ドキュメンタリー映画と劇映画という違いもあるのでしょうが、
              「人生、ここにあり!」には、え~~~っ!?と思う実話もたっぷり。
          なにより言えることはイタリア人は、精神病者に対する認要度が高いというのか、
                   精神疾患も個性のひとつと考えているのでしょうね。
                        イタリアのお国柄なんでしょうか。

                    今回、国民投票で反原発を選択したところを見ても、
        イタリアってお国柄とか、キャラだけで片付けてはいけない部分もいっぱいありますよね。
     キャラだけからとらえていたら、イタリアがボランティアの国だなんてことも想像つきませんもの。
              さあ、いったいどんなお話でしょうか。続きは次回で。乞うご期待です。

                               

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人生、ここにあり!
監督・脚本/ジュリオ・マンフレドニア、原案・脚本/ファビオ・ボニファッチ、撮影監督/ロベルト・フォルツァ、製作/アンジェロ・リッツォーリ
出演
クラウディオ・ビジオ/ネッロ、アニータ・カブリオーリ/サラ、ジュゼッペ・バッティストン/フルラン医師、ジョルジョ・コランジューリ/デルベッキオ医師
7月23日(土)よりシネスイッチ銀座他にて全国順次公開
2008年、イタリア、111分、配給・宣伝/エスパース・サロウ
http://jinsei-koko.com/

by mtonosama | 2011-07-26 07:10 | 映画 | Comments(6)
               ヒマラヤ 運命の山 -2-
                     NANGA PARBAT

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               ©Nanga Parbat Filmproduktion GmbH &Co.KG2009

   山岳映画を観るとき、俳優たちの大変さはもちろんですが、同時に、気になるのはカメラの存在です。
                重い機材を持ち、撮影するだけでもハードなのに、
            自分もまた俳優たちに合わせて登攀しなくてはならないんですよね。

  本作で、そんな難行苦行を果たしたのは監督・プロデューサー・撮影監督のヨゼフ・フィルスマイアーです。
                   「スターリングラード」(‘93)の監督です。
     72歳の監督は、若い俳優やスタッフたち同様、3,500mの標高にあるベースキャンプから、
           その日の内に4,800mまで登り、3日後には6,000mまで登ったとのこと!
                  夜には脈拍が135になり、眠れなかったそうです。
    これ、経験あります。心臓が、小鳥の心臓みたいに早いペースで脈打ち、闇の中で鼓動だけが耳にドクドクと響いてくるのです。              

                しかし、どんなに大変な思いをしようとも、苦労と作品は別物。
    映画という作品をつくりあげるのですから、「大変だったんだよ~」ですませてもらっては困ります。
                 一観客が偉そうなこと、言っちゃってますけどね。

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       標高8,000mという未知の世界を知るには映画を観ていただくしかないわけですが、
           まずはザクッとストーリーを。さあ、一体、どんなお話なのでしょう。

ストーリー
1957年南チロル。13歳のラインホルトと11歳のギュンターは山登りが大好きな仲の良い兄弟。
2人は自宅の裏に拡がる渓谷を眺めては、ヒマラヤにあるナンガ・パルバートに想いを馳せていた。
しかし、その山は多くの登山家が頂上に至ることなく命を落とした「人喰い山」として知られる山だった。

数年後、兄ラインホルトは大学生、弟ギュンターは銀行に勤務。
2人の願いは今もプロの登山家になることだった。

1969年、ラインホルトがナンガ・パルバート ルパール壁の初登攀をめざす遠征隊に選ばれる。
ギュンターは外れてしまったが、遠征隊の一人が参加できなくなり、ラインホルトはギュンターを推薦。
2人揃って念願のヒマラヤへ行くことが決まった。
ナンガ・パルバート初登攀に向けてカール・マリア・ヘルリヒコッファー博士を隊長として遠征隊が編成される。博士は医師であり、登山家。ナンガ・パルバート登頂に挑戦して亡くなったヴィリー・メルクルは博士の実兄だった。彼はルパール壁への度重なる挑戦と失敗を重ね、《今度こそは》の想いに熱く燃えていた。

遠征隊のメンバー、フェリックス・クーエンはオーストリア軍隊出身の登山家。
ラインホルトに対して競争心を抱き、組織とチームワークを重んじるヘルリッヒコッファー隊長にも従順だった。隊長のプランに従ってベースキャンプを出発する遠征隊チーム。
だが、天候の悪化によりキャンプに戻らざるを得なくなったチームは苛立ちを隠しきれない。
隊長の指導力に疑問を抱き始める者も。

遠征隊が分裂していく中、ラインホルトとギュンターの兄弟は最後のアタックに挑戦。
フェリックスも2人の後を追う。悪天候をついて、ひとり山頂をめざすことを決めたラインホルト。
ギュンターはザイル確保のため途中のポイントに残るよう、兄から指示される。
だが、いつも兄の二番手であることに不満を隠しきれないギュンターは兄を追って山頂を目指す。
そして、遂に兄弟はナンガ・パルバート ルパール壁初登攀に成功。
だが、その喜びも束の間、下山途中、ギュンターは高山病のため、予定していた下山ルートをたどることができなくなってしまう……


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             遠征隊内部の人間関係、兄と弟の間に潜む屈折した心理、
           ラインホルトと隊長との軋轢、初登攀をかけた人間模様や栄誉欲――
                    そうしたドロドロしたものを描きながらも、
      圧倒的な存在感とともにスクリーンに拡がるのは神々しいまでのナンガ・パルバートです。

                    イギリスの登山家ジョージ・マロリーが、
      ニューヨーク・タイムズ紙の記者の「なぜあなたはエヴェレストをめざすのか?」との問いに
               「そこに山があるから」と答えたとか答えなかったとか。

        山に登るのは、山がそこにあるからかもしれないし、征服したいからかもしれないし、
      国の威信がかかっているからかもしれないし、資金提供者への責任があるのかもしれないし、
                    ま、いろんな理由があるとは思うんです。

      しかし、最終的にそんな地上のできごとを雪崩のように押し流し、覆い尽くしてしまうのは、
                   やはり峨々として聳えるヒマラヤの山々です。

    「なぜ山岳映画を観るのか?」と問われたら「そこに山が映っているから」と答えてしまうとのです。

        

                             

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ヒマラヤ 運命の山
監督/ヨゼフ・フィルスマイアー、原作著作/「裸の山 ナンバ・パルバート」(山と渓谷社)、脚本/ラインホルト・クロス/スフェン・ゼフェリン、プロデューサー/ヨゼフ・フィルスマイアー、撮影監督/ヨゼフ・フィルスマイアー、カメラ/ペーター・フォン・ハラー、ヘルムフリート・コバー、ヤコブ・フォン・レンテ、アドバイザー:ラインホルト・メスナー、グスターボ・サンタオラヤ(『バベル』)
出演
フロリアン・シュテッター(『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最後の日々』)/ラインホルト・メスナー、アンドレアス・トビアス/ギュンター・メスナー、カール・マリコヴィクス(『ヒトラーの贋札』)/カール・マリア・ヘルリヒコッファー博士、シュテファン・シュローダー/フェリックス・クーエン、ユーレ・ロンステッド/アリス・フォン・ホーベ、レナ・シュトルツェ(『マーラー 君に捧げるアダージョ』)/メスナー兄弟の母、セバスティアン・ベッツェル/ペーター・シュルツ、フォルカー・ブルフ/ゲルド・バウル、ミヒャエル・クランツ/ハンス・ザーラー、マルクス・クローエル/ラインホルト・メスナー(子供時代)、ロレンツォ・ヴァルヒャー/ギュンター・メスナー(子供時代)、ホルスト・クメス/メスナー兄弟の父、マティアス・ハビック/司祭、アレクサンダー・ヘルド/ブルダ議員、ズニー・メルレス/外交官の妻、ミゲル・ヘルツ=ケストラネク/外交官
8月6日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋他全国順次公開
2009年、ドイツ映画、カラー、104分、配給:フェイス・トゥ・フェイス、配給協力:ドリームマックス
www.himalaya-unmei.com

by mtonosama | 2011-07-23 06:31 | 映画 | Comments(8)
               ヒマラヤ 運命の山 -1-
                       NANGA PARBAT

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               ©Nanga Parbat Filmproduktion GmbH &Co.KG2009

                      実は、とのは昔、山ガールでした。
                 150年も生きてると、なにやかやと手を出すものです。

       ま、山ガールといってもニッカーボッカーにチロリアンハット、チェックの長袖シャツといった
                  山ファッションしかなかった時代の山ガールですが。

                        西穂高、八幡平、尾瀬―――
                女子高の山岳クラブに属していたので、この程度の活動です。
                  でも、西穂高では滑落事故だって経験しているんですよ。
        山道から足を踏み外し、斜面を滑り落ちながら、必死でそこに生えている熊笹を握りしめ、
                       谷底までの墜落を免れました。

          こんな驚異的な運動神経を示しているのに、熊笹にしがみついたとのを覗き見ながら
            笑い転げていたクラスメイトたち、130年経った今も忘れちゃいませんからね。

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             今から41年前、標高8,000mを超えるヒマラヤで、似たような―――
                        いえ、まるっきり違います^_^;

               1970年6月27日、ヒマラヤ山脈ナンガ・パルバート。標高8,125m。
      世界最大の標高差4,800mの偉容を誇るルパール壁を世界で初めて登りきった兄弟がいました。
                     ラインホルト&ギュンター・メスナー兄弟です。

                          しかし、登頂成功から4日後、
         当初予定していなかった下山場所に現れたのは兄ラインホルト・メスナーだけでした……

          地上8,000mの世界で繰り広げられる自然の猛威、巨大な岩壁に手をかけ、足をかけ、
               アイゼンを打ち込み、一歩一歩しがみつくように登っていく兄弟の姿。
         41年前に起こった実話を、当該人物であるラインホルト・メスナーのアドバイスを受けて
                     完成した山岳映画が本作。「ヒマラヤ 運命の山」です。

ラインホルト・メスナー(登山家・冒険家・作家・政治家)
1944年イタリアの南チロル(ドイツ語圏)に教師の息子として生まれる。
パドヴァ大学建築科を卒業、一時期数学教師として中学校で教鞭を取っていた。
 
現在はトレンティーノ=アルト・アディジェ州の名誉市民で、
自身が所有する13世紀頃に建築された城で生活している。
この城は自治体から競売で購入したものである。

18歳頃から東アルプスで500回を超える登攀をこなし、
1969年も三大北壁の中でも最も難易度が高いとされるアイガー北壁を当時の世界最短記録で攻略。
1970年ナンガ・パルバート登頂を皮切りに17年の歳月をかけて
1986年には人類史上初となる8000メートル峰全14座完全登頂という登山史における大金字塔を打ち立てた。
1975年、ガッシャーブルムI峰でハーベラーと組み世界初の8000メートル峰アルパイン・スタイル登頂をなしとげる。
1978年、ナンガ・パルバットで、世界初の8000メートル峰、ベースキャンプからの単独・アルパイン・スタイルで登頂。
さらに同年、ハーベラーとのコンビで人類初のエベレスト無酸素登頂に成功。
1980年には途中、一度クレバスに転落する事故を乗り越えてエベレスト無酸素単独登頂の偉業を成し遂げた。
1990年には92日間をかけ徒歩で世界初の南極横断に成功した。
(Wikipediaより)

                彼の登山スタイルであるアルパイン・スタイルというのは
            ヒマラヤのような高い山にもヨーロッパ・アルプスと同じ格好で登ること。
           つまり、酸素マスクも使わず、登山家の力だけで登るスタイルをいいます。
                
                富士山の八合目で高山病になったとのには信じられません。
                   どうぞ、良い子は真似をしないでくださいね。

           ラインホルト&ギュンター・メスナーが世界で初めて登ったナンガ・パルバート。
8,125mで世界第9位の標高をもつパキスタンの山で、ウルドゥ語で「裸の山」を意味します。
その名の由来は、周囲に高い山がないから。
“nanga”はサンスクリット語で「裸、はだし」の意味です。
南側のルパール岳は標高差4,800m(アイガー北壁1,800mの約3倍の高さ)。
世界最大の標高差を誇り、屈指の登攀困難なルート(初登攀はラインホルト&ギュンター・メスナー)。
西側のディアミール壁も難壁として知られています。
初登頂までに何度もドイツ隊が挑み、多くの遭難者を出したことから”人喰い山“と恐れられていました。

           さあ、「ヒマラヤ 運命の山」。一体どんな登山を経験させてくれるのでしょうか?
            続きは次回までのお楽しみ。どうぞ、しっかり身体を鍛えておいてくださいね。

                                 

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ヒマラヤ 運命の山
監督/ヨゼフ・フィルスマイアー、原作著作/「裸の山 ナンバ・パルバート」ラインホルト・メスナー(山と渓谷社)、脚本/ラインホルト・クロス/スフェン・ゼフェリン、プロデューサー/ヨゼフ・フィルスマイアー、撮影監督/ヨゼフ・フィルスマイアー、カメラ/ペーター・フォン・ハラー、ヘルムフリート・コバー、ヤコブ・フォン・レンテ、アドバイザー:ラインホルト・メスナー、グスターボ・サンタオラヤ(『バベル』)
出演
フロリアン・シュテッター(『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最後の日々』)/ラインホルト・メスナー、アンドレアス・トビアス/ギュンター・メスナー、カール・マリコヴィクス(『ヒトラーの贋札』)/カール・マリア・ヘルリヒコッファー博士、シュテファン・シュローダー/フェリックス・クーエン、ユーレ・ロンステッド/アリス・フォン・ホーベ、レナ・シュトルツェ(『マーラー 君に捧げるアダージョ』)/メスナー兄弟の母、セバスティアン・ベッツェル/ペーター・シュルツ、フォルカー・ブルフ/ゲルド・バウル、ミヒャエル・クランツ/ハンス・ザーラー、マルクス・クローエル/ラインホルト・メスナー(子供時代)、ロレンツォ・ヴァルヒャー/ギュンター・メスナー(子供時代)、ホルスト・クメス/メスナー兄弟の父、マティアス・ハビック/司祭、アレクサンダー・ヘルド/ブルダ議員、ズニー・メルレス/外交官の妻、ミゲル・ヘルツ=ケストラネク/外交官
8月6日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋他全国順次公開
2009年、ドイツ映画、カラー、104分、配給:フェイス・トゥ・フェイス、配給協力:ドリームマックス
www.himalaya-unmei.com

by mtonosama | 2011-07-20 06:46 | 映画 | Comments(8)
              一枚のハガキ -2-

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             ©2011「一枚のハガキ」近代映画協会/渡辺商事/プランダス

     邦画界を牽引してきた最長老・新藤兼人監督が自ら「映画人生最後の監督作」と呼ぶ作品。
           ならば観なくちゃいけないでしょう、と義務にも似た想いを抱いたとの。
                鼻の穴を膨らませて、勢い込んで観にいきました。
         でも、「まあまあ、お静かに。映画は楽しんでみましょうよ」と諭されました。

             立派な仕事を成し遂げてきた人ほど腰が低い、といいますが、
         直接、監督から話しかけられることはなくても作品から、それは伝わってきます。
    酸いも甘いも知り抜いた人だからこそ、苦しかったことにはあえて笑いの衣装を着せて表現するし、
                     悲しみは「型」で表せるんですね。

                    さて、どんなストーリーなんでしょうか。

ストーリー
戦争も終わる間際になって召集された100人の中年兵士たち。
彼らは自分たちよりも歳の若い上官に「貴様たちおっさん兵士にこれから指令を与える」と
告げられ、整列させられました。

そこで、上官がクジをひいて決めた戦地にそれぞれ赴任することが伝えられました。
クジです。
ある者はフィリピンへ、そして、ある者は宝塚への掃除部隊として。

クジ引きが行われた夜、松山啓太は親しくしている兵士・森川定造に
妻からのハガキを手渡されました。

そこには、
「今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないので、何の風情もありません。友子」
とだけ、書かれていました。

軍の検閲が厳しいため、ハガキに返事を出せない定造。
彼はクジでフィリピン行きが決まり、生きて帰れないことを覚悟し、
宝塚行きが当たった啓太に、そのハガキを持って定造の妻を訪ね、「確かに読んだ」と
伝えてくれるように頼むのでした。

終戦。
100人いた兵士の内、生き残ったのは6人。
松山啓太はその1人でした。
はやる気持で帰郷した啓太。しかし、彼を迎える家族は誰もいません。
啓太戦死の噂が流れ、良い仲になってしまった妻と父は、
彼が生還する知らせを聞き、手に手をとって家を出てしまっていたのでした。

大阪のキャバレーで働いているという妻に会いにいく啓太。
だが、妻から発された言葉は
「戦死すればよかったんじゃ」――

生きる気力を失った啓太は家を売り払い、ブラジルへ行くことを決意。
荷物を整理していると、あの時、定造から預かった一枚のハガキが出てきました。

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夫・定造を亡くした悲しみに浸る間もなく、
年老いた舅姑からこのまま一緒に暮らしてほしいと懇願された友子。
さらに、村には長男が死んだら次男が後継ぎとなるという習わしがあり、
次男の三平と所帯を持つように頼まれます。

森川の家の他に身寄りのない友子は三平と結婚し、
定造の家族と共に生きていくことを受け入れるのでした。
ところが、しばらくして三平も召集され、戦死。
その後、舅が死に、姑も自死。
1人家を守る友子の許に、あのハガキを持った啓太がやってきました……

                       クジ運の強さだけで生き残った啓太。
                   夫も家族も幸せな人生もすべてを失ってしまった友子。
          意志も希望もクジ運の良さも、人が人として手にしていた大きなものも、小さなものも
                        すべて容赦なく奪っていく戦争。

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        こんなこともあったんだろうなぁ、とことん絶望してしまうこともあったんだろうなぁ、
              でも、何があっても、とにかく生きていかなくちゃならないんだなぁ、
                        生きていけるものなんだなぁ、
                        と諭されたような思いです。

                          こんな風に思えるのも、
      監督が99年という人生の中で噛み砕いてきたものを「ほらよっ」と示してくれたからでしょうか。
                         麦畑が広がるラストシーンに、
        すべてが滅び去った後にも再生が訪れるということを感じさせられたからでしょうか。

                        新藤監督、ありがとうございます。
                         がんばっていこうと思います。

    

                                  
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一枚のハガキ
監督・脚本・原作/新藤兼人、製作/新藤次郎、渡辺利三、宮永大輔、プロデューサー/新藤次郎、撮影/林雅彦
出演豊川悦司/松山啓太、大竹しのぶ/森川友子、六平直政/森川定造、柄本明/森川勇吉、倍賞美津子/森川チヨ、大杉漣/泉屋吉五郎、津川雅彦/松山啓太の伯父・利エ門、川上麻衣子/松山美枝、絵沢萌子/利エ門の妻、大地泰仁/森川三平、渡辺大/下士官、麿赤児/和尚
8月6日(土)テアトル新宿、広島・八丁座にて先行公開、8月13日(土)全国公開、
2011年、日本、カラー、114分、配給/東京テアトル
http://www.ichimai-no-hagaki.jp/

by mtonosama | 2011-07-17 06:38 | 映画 | Comments(6)
               一枚のハガキ -1-

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               ©2011「一枚のハガキ」近代映画協会/渡辺商事/プランダス

                   最初から一番良いところを発表してしまうのって、
                あんまりおりこうな書き方ではないのですが、いっちゃいます。
         (「どうせお利口じゃないし」と、つっこみの来る前に言ってしまうというこのサガが悲しい)

                              新藤兼人監督。
                         邦画界で最高年齢の映画監督です。
                       今年4月22日に99歳の誕生日を迎えました。

             本作「一枚のハガキ」では自身の戦争体験を主人公に演じさせています。
          運の良い男と運の悪い女を登場させ(とはいえ、この区別も設定しにくいのですが)、
                      「生きる」ということの、間の悪さ、厄介さ、
                     あるいは、やってみたらなんとかなっちゃった――
                        みたいな、ある種、達観にも似た部分を
                99年生きてきた監督ならではの映画作法で描きだしてくれました。

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新藤兼人監督
1912年4月22日、広島県に生まれる。
34年、京都・新興キネマの現像部で働き始める。
後に美術部に移り、シナリオを書き始め、溝口健二監督に師事。
44年、松竹大船撮影所の脚本部に移籍。同年4月召集。呉海兵団に二等水兵として入隊。
45年、宝塚海軍航空隊で終戦を迎える。
終戦後、吉村公三郎監督と組んだ「安城家の舞踏会」(‘47)「わが生涯のかゞやける日」(’48)などで脚本家としての評価を決定づける。
50年、松竹退社。吉村公三郎、殿山泰司達と独立プロ「近代映画協会」を設立。
51年、「愛妻物語」で監督デビュー。
以降、「原爆の子」「第五福竜丸」など創作活動を開始。
60年、全編まったくセリフのない「裸の島」がモスクワ国際映画祭グランプリを受賞。
その独創的な姿勢は「鬼婆」、「本能」(‘66)などの作品にも貫かれている。「ある映画監督の生涯・溝口健二の記録」は記録映画の傑作として絶賛された。
95年、「午後の遺言状」が日本アカデミー賞最優秀作品賞はじめ、あらゆる映画賞を独占。
2011年、監督自身が「映画人生最後の監督作」と語る本作「一枚のハガキ」で第23回東京国際映画祭審査員特別賞を受賞。

脚本執筆作品には「源氏物語」(‘51 吉村公三郎監督)、「しとやかな獣」(‘62 川島雄三監督)、「刺青」(‘66 増村保造監督)、「けんかえれじい」(‘66 鈴木清順監督)、「ハチ公物語」(‘87 神山征二郎監督)、「完全なる飼育」(‘99 和田勉監督)などがあり、その数は230本を超える。
97年、文化功労者に選ばれる。
02年、文化勲章授与。
青い部分は「一枚のハガキ」に反映されている体験です) 

        と、まあ、戦後の日本映画史を映画作家として生き抜いてきた邦画界を代表する監督。

               「原爆の子」(‘52)、「裸の島」(‘60)、「午後の遺言状」(‘95)は
            モスクワ、ベルリン、メルボルンなど海外の映画祭でも高く評価されました。
 受賞作を中心に選び抜いた全19作品は「一枚のハガキ」公開記念~映画監督:新藤兼人の軌跡~と題して、
                     テアトル新宿で特集上映されますよ。

「一枚のハガキ」公開記念~映画監督:新藤兼人の軌跡~ 
                         7/23(土)~8/5(金
「一枚のハガキ」公開を記念して、新藤兼人作品19本をテアトル新宿にて特集上映!
http://www.ttcg.jp/theatre_shinjuku/
「愛妻物語」(‘51)、「原爆の子」(‘52)、「縮図」(‘53)、「狼」(‘55)、「第五福竜丸」(‘59)、「裸の島」(‘60)、「人間」(‘62)、「母」(‘63)、「鬼婆」(‘64)、「藪の中の黒猫」(‘68)、「裸の19歳」(‘70)、「ある映画監督の生涯・溝口健二の記録」(‘75)、「竹山ひとり旅」(‘77)、「北斎漫画」(‘81)、「さくら隊散る」(‘88)、「濹東奇譚」(‘92)、「午後の遺言状」(‘95)、
「生きたい」(‘98)、「三文役者」(‘00)
料金:一般・大専・シニア1300円、小中高:500円

         「一枚のハガキ」は監督自身が《映画人生最後の監督作》と語った渾身の一作!
         と結びたいところですが、そんなにガチガチになって鑑賞することはありません。 

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    99歳、さまざまな実験映画も撮影し、ご本人も泥沼の愛憎人生を過ごしたこともおありの新藤監督。
           過ぎてきた人生を、飄々と、また、淡々とふりかえることのできるお歳です。
                      余分な力がかかっていないんですねぇ。

                  でも、監督が、ご自分の人生をふりかえることは、つまり、
            観客にとっては人生を教えられることであり、今後への勇気を与えられること。
           その描き方はまさに長い映画人生の中から、身につけてこられたものなんですね。
                 年齢を重ねるということは素晴らしいことだと思います。

               さて、監督にとっての人生とはいかなるものなのでありましょうか。
                        続きは次回で。乞うご期待であります。

                                 

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一枚のハガキ
監督・脚本・原作/新藤兼人、製作/新藤次郎、渡辺利三、宮永大輔、プロデューサー/新藤次郎、撮影/林雅彦
出演
豊川悦司/松山啓太、大竹しのぶ/森川友子、六平直政/森川定造、柄本明/森川勇吉、倍賞美津子/森川チヨ、大杉漣/泉屋吉五郎、津川雅彦/松山啓太の伯父・利エ門、川上麻衣子/松山美枝、絵沢萌子/利エ門の妻、大地泰仁/森川三平、渡辺大/下士官、麿赤児/和尚
8月6日(土)テアトル新宿、広島・八丁座にて先行公開、8月13日(土)全国公開、
2011年、日本、カラー、114分、配給/東京テアトル
http://www.ichimai-no-hagaki.jp/

by mtonosama | 2011-07-14 06:39 | 映画 | Comments(8)
                ワンヴォイス -2-
                  ハワイの心を歌にのせて
                        ONE VOICE


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                      ©2009 Juniroa Productions Inc.

               ハワイ、オアフ島で創立120年を迎えるカメハメハ・スクール。
         (カメハメハと聞いて“かめはめ波~~~!”を連想した方、それ、違いますから)
        カメハメハ・スクールはハワイ原住民の血をひく子どもたちが通学する名門校です。
  このハイスクールで毎年1回3月に“ハワイアン・スクール・コンテスト”という合唱コンクールが開催されます。
これは9~12年生の2,000人もの生徒たちが学年ごとに、すべてハワイ語によるハーモニーを競うコンテストです。

カメハメハ・スクール
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カメハメハ大王直系の子孫プリンセス・バーニス・バウアヒ・ビショップの遺産から寄付を受けて1887年に創立されたハワイ州全体にわたる学校。入学対象は、ネイティヴを祖先に持つネイティヴ・ハワイアンの子どもたちです。
734,000坪の敷地に幼稚園、小学部、中等部、高等部があり、マウイ島(22,000坪)、ハワイ島(367,000坪)にもそれぞれ幼稚園、小学部、中等部、高等部があります。州内5島には32の幼稚園も。生徒数6,500人の同校は全米最大を誇る私立校です。
1888年、同校はハワイ語の使用を禁じられます。
その後1896年にはハワイの公立校でもハワイ語を禁止。
ハワイ語が州の公用語と認められるのは約100年を経た1987年のことでした。

                      “ハワイアン・スクール・コンテスト”は
         いまやハワイ全土でTV、インターネットで生中継されるほどの大イベントになっています。
             ハワイでは今ハワイ語の復活をめざす研究や試みが進められていますが、
            このコンテストもネイティヴ・ハワイアンの文化やアイデンティティを根付かせ、
                 復権するための重要なイベントとして回を重ねているんですねぇ。
 

          このコンテスト、9年生から12年生までの生徒は全員参加が義務付けられています。
             学校や生徒はもちろんのこと、家族もまた準備とリハーサルに追われ、
             指揮者に選ばれたリーダーは苦労してクラスをまとめあげていきます。

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         映画の最初は、いかにもアメリカナイズされたしぐさで自信たっぷりにリーダーたちが
                        コンテストに臨む気概を語ります。
                裕福な子もいるし、不幸な家庭環境を背負った子もいる。
         初めは自信に満ち溢れていたリーダーたちも思い通りにならない練習に悩んだり、
                      愚痴が出てきたり、挙句、先生に怒られたり。
              そうこうしてる内に、歌を通じてハワイ語が上手になっていくんですよね。
          観ている内に、どうしてもひいきしたくなってしまう子やクラスが出てきちゃうんです。
                      ただの映画観客に過ぎないのですけど。

                 もうコンテストの日になると、出場する生徒たちと同様緊張し、
                彼らの家族と同じく両手をしっかり組み合わせて観てしまいます。
        生徒たちが真剣に何かに突き進む様子って、なんでこんなに感動しちゃうんでしょうね。
                  それにハワイ語のコーラスってなんて優しいんでしょう。
     練習を通じて、男子はより男らしく、女子はより女らしく、なっていくし、この変化がまたすばらしい。
             「フェミニズムなんてスットコドッコイだい!」って気分になってしまいます。

                でもね、明るくて、きれいで、癒しのリゾートであるハワイも、
              言葉を禁止され、伝来の文化もつぶされてきた過去があったんですね。
         それをしゃかりきにならず、自然体で復活させていこうとしているハワイアンたちって
                          なんてすばらしいんでしょう。

    あ、大事なこと言い忘れてました。生徒達が選んだ課題曲の中にBEGINの「涙そうそう」をカバーし、
              全米で大ヒットしたケアリイ・レイシェルの「カ・ノホナ・ピリ・カイ」も。
              ラストに流れるこのメロディに、どんどん心がゆるんでいきますよ。

            観光地としてのハワイ以外の一面を知ることができて、ホント良かった! 
                     やっぱりもう一回行きたいです。ハワイ。


  



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ワンヴォイス
監督/リゼット・マリー・フラナリー、プロデューサー/ヘザー・ハウナニ・ギウニ&ルース・ボラン、エディター/ゼルダ・グリーンステイン、撮影監督/ブライアン・ウィルコックス
出演
ジョシュア“ババ”タバレス、カハラ・ロウ、トルーマン・レイ・チャン、ブローリン・デューク・カヴェヒ、ナディア・レイ、シェナ・アチョン、ザカリー・ラム、マカフィー・トルコ、マックスウェル・ムカイ、イザヤ・パマティガン
8月6日(土)よりシネクイント他全国ロードショー
2009年、アメリカ、カラー、89分、配給/グラッシー、提供/レイドバックコーポレーション、グラッシー、キングレコード、後援/ハワイ州観光局、協力/フラハワイ
http://www.onevoicemovie.jp/

by mtonosama | 2011-07-11 06:22 | 映画 | Comments(10)
                  ワンヴォイス -1-
                    ハワイの心を歌にのせて                           
                           ONE VOICE

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                      ©2009 Juniroa Productions Inc.

                         もう12年前になるでしょうか。
                       とのもハワイに行ったことがあります。
                  早朝、ホノルルに到着し、ホテルのチェックインの時間まで、
                 半分眠った頭と身体で大型バスであちこち連れ回されました。
                 記憶に残っているのは♪この~木、何の木、気になる木♪の
                        《日立の樹》モンキー・ポッドだけ。
             当時は今ほど早起きではなかったので、バスの中ではほとんど寝てました。

           映画に関するハワイ知識も「ジュラシック・パーク」がハワイで撮影されたってこと位。
                      ノースショアに向かうレンタカーから見えた山並に
          「ほんとだ!映画と同じだ」と喜びながらも、突然降りだしたシャワーのような大雨に、
                  ミーハー気分で借りたカブリオーレの幌を閉めることができず、
                       びしょぬれになってしまったというお粗末さ。

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                          そんな満たされないハワイ初体験、
                         火山も見たい、シダの洞窟も見たい―――
                       の夢も空しく、その後、ハワイには行けてません。

                               だからでしょうか。
         オアフ島で毎年3月に開催される“ハワイアン・スクール・ソング・コンテスト”に向け、
    練習に励む生徒達の素顔を追ったドキュメンタリー「ワンヴォイス」に食指を動かしてしまったのは。

                      「ワンヴォイス」は、生徒達が一生懸命練習して
                   年に一度のコンテストですばらしい歌声を披露するまでを
                          記録したドキュメント映画です。

    だったら「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」のマーチングの高校生も感動させてくれますけど?

                           ところが、ところが、です。
      ハワイには「ジュラシック・パーク」の撮影場所やら、「ブルーハワイ」の舞台であること以上の
       過去や歴史があり、この映画はただの学園熱血ドキュメントではなかったんです――ー

1810年代終わりになると、アメリカ海外伝導評議会がキリスト教を布教するため、ハワイに宣教師を派遣します。ちょうどそのころ、ハワイではカメハメハ2世が伝統的なタブーを否定し、神官の地位や伝統宗教そのものが崩壊しつつあったため(白人との接触で原住民の価値観が変わった)、いともたやすく布教に成功しました。

 また、文字のないハワイ語をアルファベットに置き換えた上で聖書も出版。1825年、やはりカメハメハ2世の時代に王族の1人カピオラニが女神ペレに対する信仰を破棄し、キリスト教に改宗したことから、これがハワイ王国の国教となりました。ところが、宣教師達の権力が増大し、彼らは原住民の伝統文化や儀式を邪教として排斥。歌謡の一種であるオリ・伝統芸能の一種フラなども禁止してしまいます。

 カメハメハ2世の後を継いだカメハメハ3世は議会制度を導入し、さらに憲法も発布し、さらに白人も政府に加え、一気に西洋化を進めました。また、砂糖キビのプランテーションも登場し、普及。土地改革が行われたこともあり、ここに土地の所有という概念がハワイ人達に起こります。また、1840年にカメハメハ3世は、公立学校の制度も整備しました。

 その後、イギリス・フランスの侵略がたびたび発生。それどころか一時的な占拠もされてしまいます。そして、このカメハメハ1世の家系は一生独身を通したカメハメハ5世で断絶し、次の王は議会から有力な首長のひとりであったルナリオ(1835~1874年)が選出されました。 しかし、在位2年で没し、彼と王位を争った。カラカウア王(1836~1891年)が第7代国王として即位しました。そして、彼の時代に、ようやく伝統文化・芸能は復権することになりましたが、もはや大部分が忘れ去られ、手遅れという状況でした。

「歴史研究所 The History Research Laboratory by U.R.L.」
 http://www.uraken.net/rekishi/reki-sekai003.html

               すいません。とのの悪い癖で引用が長くなってしまいました。

要はネイティヴ・ハワイアンの伝統文化や儀式、歌や舞踊などアメリカの宣教師たちによって排斥されてしまったということ。ハワイ語が州の公用語として認められるようになったのも、ようやく1987年になってからのことだというんですからねぇ。

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                 この映画は、高校生たちが歌を通してハワイ語を覚え、
          島の歴史や伝統を学びながらアイデンティティを意識し始めるまでを描いた作品です。

                    この夏ハワイに行く方にとってはまさに必見。
         ネイティヴ・ハワイアンのプライドを示す映画です。知ると知らないじゃ、大違い!
                12年前、無知なままハワイへ行ったとのゆえ、説得力あるでしょ?

                                

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ワンヴォイス
監督/リゼット・マリー・フラナリー、プロデューサー/ヘザー・ハウナニ・ギウニ&ルース・ボラン、エディター/ゼルダ・グリーンステイン、撮影監督/ブライアン・ウィルコックス
出演ジョシュア“ババ”タバレス、カハラ・ロウ、トルーマン・レイ・チャン、ブローリン・デューク・カヴェヒ、ナディア・レイ、シェナ・アチョン、ザカリー・ラム、マカフィー・トルコ、マックスウェル・ムカイ、イザヤ・パマティガン
8月6日(土)よりシネクイント他全国ロードショー
2009年、アメリカ、カラー、89分、配給/グラッシー、提供/レイドバックコーポレーション、グラッシー、キングレコード、後援/ハワイ州観光局、協力/フラハワイ
http://www.onevoicemovie.jp/

by mtonosama | 2011-07-08 06:23 | 映画 | Comments(4)
        黄色い星の子供たち -2-
                          La Rafle

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©2010 LEGENDE LEGENDE FILMS GAUMONT LEGENDE DES SIECLES TF1 FILMS PRODUCTION FRANCE 3 CINEMA SMTS KS2 CINEMA ALVA FILMS EOS ENTERTAINMENT EUROFILM BIS


            1940年ドイツに侵攻されたフランスは、その後、レジスタンス活動により、
        自由・平等・博愛の精神を守り抜きました。その主役になったのは名もない市民たち。
              それは多くの映画にも描かれ、私たちもよく知っているところです。
            レジスタンス=フランス。もう、それは公式となって頭に刷り込まれています。

           しかし、1940年6月ドイツに敗北したフランスでは、抗戦派は地下に潜行。
       和平派のフィリップ・ペタン元帥が首相となり、ドイツとイタリアに休戦を申し入れました。
             そして、独仏休戦協定が締結され、ドイツはフランス北部を占領。
            この時、臨時首都が置かれたのがフランス中部の町ヴィシーでした。
           ペタン首相率いる政権はこの町の名をとってヴィシー政権とよばれます。

                         前置きが長くなりました。
              このヴィシー政権下でLa Rafle=ユダヤ人の一斉検挙が行われた訳です。
            勇敢なレジスタンスたちの活動の陰に隠れて、見えなかったフランスの恥部。
              これを白日のもとにさらしたローズ・ボッシュ監督、あなたは偉い!

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ストーリー
1942年6月、パリ。ジョーは胸につけた“黄色い星”のために遊園地にも入れなかったし、
汚いものを見るような視線を心無い大人たちから向けられたりもしました。
でも、ジョーの両親も近所のユダヤ人家族たちも皆誇りを持ち、仲良く暮らしていました。

しかし、フランスに暮らす彼らにも、ヒトラーの魔手は迫りつつありました。
ヒトラーはフランス・ヴィシー政権にユダヤ人を引き渡すよう求めたのです。
それはフランス側にとっても、増え過ぎたユダヤ人移民を駆逐するためには
渡りに船の要求でした。
警察責任者のプスケはドイツにフランス警察の権威を認めさせることを条件として、
自分たちの手でユダヤ人検挙を行うことを決定しました。
そして、パリ地区に暮らす外国籍のユダヤ人2万4千人が検挙されることになったのです。

子供は検挙しないようにとのドイツの提案にもかかわらず、フランスはそれを却下。
ユダヤ人孤児の面倒はみられないという理由からでした。

7月16日、午前4時。短い夏の夜が明けようとしていた頃、
《救いの国フランス》に暮らしていたユダヤ人たちのささやかな幸せは永遠に潰えさりました。
警官たちの怒鳴り声とともに安らかな眠りは破られ、男も女も老人も子どもも一人残らず、
逮捕され、護送車へと追い立てられヴェル・ディヴ(冬季競輪場)に移送。
その数1万3千人―――

水も食糧もなく家畜のように競輪場の座席に詰め込まれた人々。
赤十字から派遣されてきた新人看護師アネットは、
口々に助けを求める人々の訴えに満足に応えることもできません。

1万余の収容者に対して医師は、自身も検挙されたユダヤ人のシェインバウムただ一人。
看護師はアネットが加わって、やっと6人。
フランスにはこの検挙が招いた事態の証言者を増やしたくないという思惑があったのです。

そして、検挙の日と同じように、突然、ユダヤ人たちは別の収容所へと移送。
子どもたちのことが心配で、彼らと一緒にその収容所へとやってきたアネットは愕然とします。
不潔な環境、貧弱な食事。ユダヤ人と同じ食事を続けた彼女は3週間で8キロも痩せてしまいました。
その姿で責任者のもとを訪れ、食料の獲得に成功するのですが、
そんな努力も空しく、ユダヤ人たちはまたもや移送されることに。その目的地は……


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                   ああ、フランスよ、お前もか!と言いたくなります。

                  が、実はユダヤ人の子どもをそっと匿うフランス人や、
          映画の中でも描かれていますが、冬季競輪場の管理にやってきた消防夫たちが
            処罰をも省みず、彼らに給水し、手紙を預かる感動的なシーンがあります。
             良い人もいますし、時代に流され、彼らを迫害する人もいるわけです。
              相反する存在があることが世の習いとはいえ、悲しいことです。

      戦争という大きな悪の前では、ひとりひとりの善意や勇気はいかにも無力なように映りますが、
            追い詰められた人々の目には闇を照らす灯りのように思えたことでしょう。
          (そう信じないと生き残った人間はあまりにも無力感に苛まれてしまいますから…)

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  ローズ・ボッシュ監督とこの一斉検挙を生き残ったジョーことジョゼフ・ヴァイスマンとの出会いがなければ、
                     本作は生まれることはありませんでした。
     監督の執念にも似た熱意にも拍手ですが、戦後の動乱を幼い身でたったひとり生き抜いてきた
   ヴァイスマン氏の勇気と生命力と知恵と、それから、それから、強い心にはただもう感動のひとことです。

    「オーケストラ!」http://mtonosama.exblog.jp/13143714でバイオリニストを演じたメラニー・ロランが
                     新人看護師アネットを大熱演しました。
         ラストシーンで彼女が見せた笑顔と泣き顔が一緒になった表情には思わず、
                 こらえていた嗚咽と涙が大量に溢れてしまいました。

         国家の義務と人間の良心を秤にかけて前者を優先させたのがヴィシー政権だとしたら、
                医療者の義務と良心を秤にかけることなく、ともに全うし、
           人々への愛を貫いたのがアネット看護師であり、シェインバウム医師でした。

 人間の愚かさに幻滅しつつも、彼らの示した愛と勇気と義務感に敬意を表し、いっぱい涙を流したとのです。

          

                                

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黄色い星の子供たち
監督・脚本/ローズ・ボッシュ、製作/イラン・ゴールドマン「エディット・ピアフ~愛の賛歌~」、撮影/ダヴィッド・ウンガロ、美術/オリヴィエ・ラウー、衣装/ピエール=ジャン・ラロック
出演
メラニー・ロラン「オーケストラ!」/アネット・モノ、ジャン・レノ「ダ・ヴィンチ・コード」/ダヴィッド・シェインバウム医師、ガド・エルマレ/シュメル・ヴァイスマン、ラファエル・アゴゲ/スラ・ヴァイスマン、ユーゴ・ルヴェルデ/ジョー・ヴァイスマン、オリヴィエ・シヴィ/シモン・ジグレール、マチュー&ロマン・ディ・コンチェート/ノエ・ジグレール、レベッカ・マルデール/ラケル・ヴァイスマン、アンヌ・ブロシェ/ディナ・トローブ、イザベル・ゲルナス/エレーヌ・ティモニエ、ティエリー・フレモン/ピエレ大尉、カトリーヌ・アレグレ/管理人《タチ》、シルヴィー・テスチュー/ベラ・ジグレール
7月23日(土)TOHOシネマズシャンテ、新宿武蔵野館他にて全国順次ロードショー
2010年、フランス・ドイツ・ハンガリー、125分、配給/アルバトロス・フィルム、後援:フランス大使館文化部 協力:ユニフランス東京 提供:ニューセレクト、文部科学省特別選定作品 少年・青年・成人・家庭向き
http://kiiroihoshi-movie.com/

by mtonosama | 2011-07-05 06:40 | 映画 | Comments(9)
       黄色い星の子供たち -1-
                           La Rafle

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©2010 LEGENDE LEGENDE FILMS GAUMONT LEGENDE DES SIECLES TF1 FILMS PRODUCTION FRANCE 3 CINEMA SMTS KS2 CINEMA ALVA FILMS EOS ENTERTAINMENT EUROFILM BIS

                          「黄色い星の子供たち」
          タイトルだけ聞いて、星の王子さまみたいな子どもたちを思い浮かべたとの。
                           かなりぬけてます・・・

                            原題は”La Rafle”。
                    どんな意味かと新仏和中辞典(白水社)を調べたら、
                 〈かっぱらうこと、盗むこと;不良狩、手入れ〉などとあります。
                          う~ん、いまいちよくわかりません。
              でも、パリ在住の梨の木さんというブロガーさんのブログを拝見したら、
                  とてもよくわかったので、ここに引用させていただきました。  
    
rafleの意味するところは、一斉検挙、です。けれども La Rafleと書くと、ある特定の事項を意味します。ナチス・ドイツ占領下のフランスで行われた、ユダヤ人の一斉検挙です。1940年、独仏休戦協定(L'armistice du 22 juin 1940)が結ばれ、フランス政府はパリを離れ最終的にヴィシー(Vichy)に移転しました。国民議会(L'Assemblée nationale)は憲法を改正し、ペタン元帥(maréchal Pétain)に国家の全権を委任。このヴィシー体制のもとで大規模なrafleが行われたのです。
http://poirier.exblog.jp/12997700/ 「梨の木日記」

  なるほど!la がつくと〈ナチス・ドイツ占領下のフランスで行われたユダヤ人の一斉検挙〉なのですね!!
                       梨の木さん、ありがとうございました。

          「黄色い星の子供たち」という邦題はなかなかデキのいいタイトルではありますが、
          星の王子さまを連想する人もいるかもしれませんものね(あ、とのだけかも^_^;)
    でも、この〈黄色い星〉だって、王子さまの星ではなく、おしつけられた悲しい意味があるのですよね。

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          自由の国、芸術の国、哲学の国フランスとしては大っぴらにしたくなかった過去。
          フランスは半世紀にもわたってこの事件を公式に認めようとはしませんでした。
                     La Rafle。史上最大のユダヤ人一斉検挙。
                             検挙って・・・
           何も悪いことをしたわけじゃないのに。ユダヤ人であるということだけで?

         1995年シラク大統領が、50年以上前、当時のフランス政府が行なったと認めるまで、
           このことはナチスドイツによるユダヤ人迫害のひとつと考えられていました。

                  そうですよね。フランスといえばレジスタンス。
        私たちは、彼らがいかにナチスドイツと果敢に闘ったかという側面しか知りません。
              フランスにとっては、あえてほじくり出されたくはない過去です。
                   ヴィシー政権が行なった暴挙にして、愚挙―――

                   その事件の全貌を、当時の資料を読みこみ、
               戦後、製作されたラジオやテレビのインタビューを探し出し、
            そして、わずかに生き残った事件の関係者たちからその内容を聴き取り、
      フランス人として初めて、この事件の全貌を形にしようとしたのがローズ・ボッシュ監督でした。

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            あの日、1万3千人のユダヤ人が検挙され、その内、生存者はわずか25人、
             4051人いた子どもたちは誰ひとり生還していないと信じられていました。
           (ただ一人の例外、スープ鉢の中に隠された6ヶ月の赤ちゃんを除いては)

                        しかし、奇跡が起こりました!
          ローズ・ボッシュ監督がほとんど諦めかけて調べていたドキュメンタリーの中に
              一斉検挙の様子を語る男性ジョゼフ・ヴァイスマンがいたのです。
        彼こそ一斉検挙された16歳以下の子どもたちの中で生き残った数少ない人物でした。
        11歳の時に検挙され、収容所から脱出し、その後の人生を必死に生き抜いてきた人。

                    「黄色い星の子供たち」は彼が主人公です。
              そして、殺されていった多くの子どもたちが主人公の映画です。

                 隠されていた歴史の暗部が今暴かれようとしています。

                                
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黄色い星の子供たち
監督・脚本/ローズ・ボッシュ、製作/イラン・ゴールドマン「エディット・ピアフ~愛の賛歌~」、撮影/ダヴィッド・ウンガロ、美術/オリヴィエ・ラウー、衣装/ピエール=ジャン・ラロック
出演
メラニー・ロラン「オーケストラ!」/アネット・モノ、ジャン・レノ「ダ・ヴィンチ・コード」/ダヴィッド・シェインバウム医師、ガド・エルマレ/シュメル・ヴァイスマン、ラファエル・アゴゲ/スラ・ヴァイスマン、ユーゴ・ルヴェルデ/ジョー・ヴァイスマン、オリヴィエ・シヴィ/シモン・ジグレール、マチュー&ロマン・ディ・コンチェート/ノエ・ジグレール、レベッカ・マルデール/ラケル・ヴァイスマン、アンヌ・ブロシェ/ディナ・トローブ、イザベル・ゲルナス/エレーヌ・ティモニエ、ティエリー・フレモン/ピエレ大尉、カトリーヌ・アレグレ/管理人《タチ》、シルヴィー・テスチュー/ベラ・ジグレール
7月23日(土)TOHOシネマズシャンテ、新宿武蔵野館他にて全国順次ロードショー
2010年、フランス・ドイツ・ハンガリー、125分、配給/アルバトロス・フィルム、後援:フランス大使館文化部 協力:ユニフランス東京 提供:ニューセレクト、文部科学省特別選定作品 少年・青年・成人・家庭向き
http://kiiroihoshi-movie.com/

by mtonosama | 2011-07-02 05:59 | 映画 | Comments(12)