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核の傷  肥田舜太郎医師と内部被曝 -2-
Blessures Atomiques

映画『核の傷』

本作はフランス人マーク・プティジャン監督が2006年に制作したもの。
ナレーションは日本語ですし、肥田舜太郎氏も日本語で語るし、
一瞬日本の作品かと勘違いしてしまいます。


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しかし、フランス人の作品でした。
とはいえ、原爆、放射線を扱ったテーマゆえフランスのテレビ局からは製作費を得られず、
自費で制作したとのことですが。

まず、広島市内を肥田氏が歩くファーストシーンを観て、
その矍鑠(かくしゃく)とした姿に驚きました。
映画製作時は6年前なので、氏もまだ89歳ですが、
それにしてもお若い。
声も張りがあって、戦後67年、被爆治療にかけてきた強さを感じます。



    ナレーションを担当した染谷将太さん

映画は肥田舜太郎氏の言葉と活動、原爆投下後の広島の映像やABCC(原爆傷害調査委員会)資料写真、
そして、アーネスト・スターングラスというピッツバーグ医科大学放射線科放射線物理学名誉教授への
取材から構成されています。


アーネスト・スターングラス
1923年ドイツ生まれ。14歳のとき、ナチスの迫害からアメリカへ移住。1952年からウェスティングハウス社の原子力開発研究所に勤務。1967年よりピッツバーグ大学の放射線物理・工学研究所を指揮し、放射線画像診断における線量を低減させる新しい投影技術の開発。また核実験による放射性降下物と原子炉からの放射性廃棄物による人体の健康、特に発達中の胎児や幼児への影響について広範な調査を行った。

肥田氏、スターングラス氏の発言は驚くべき内容でした。
知りたくない人、知るのが怖い人もいらっしゃるでしょう。とのもそうです。
でも、過去にこういうことがあったし、現在も解決はされていないし、
今、なんとかしないと未来もこのままだと考えたら、
どんなに怖くても知らなくてはいけないのだなと思いました。

肥田氏が広島の原爆についてこんなことを語っています。
「(原爆を投下した理由の)ひとつはソビエトに対する威嚇ですね。
原爆という爆弾を人間に使ったテストなんですよね」

ショックを受けたのは次の言葉でした。

「人体実験だったという証拠のひとつは落とした時間なんです。
8時15分という時間に爆発させるということ。
広島市にいる人間がおおぜい屋外、遮蔽物の無い場所に出ている時間が何時なのかを
毎日偵察して時間を決めた」

その残酷さに耳を疑いました。

内部被曝についても氏は
「たくさんの人を診て回っている中で、(次はこの人が死ぬな)と思っている人が私を引っ張った。
その人、火傷はしていないんです。そして『軍医殿、わしゃピカにあっとらんけんね!』と言った。
直接原爆を浴びた人と、浴びない人が同じような病気で死んでいく」

と映画の中で言っていますが、終戦直後のこのときはその理由がわかりませんでした。

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戦後、広島にやってきたABCC。
彼らは被爆者たちの火傷や怪我などを調べ、入院させていろいろ検査をするのですが、
その結果はすべて本国へ送り、日本に対して結果が知らされることはありませんでした。

映画の中でABCCの施設を慰問に訪れたアメリカのお金持ちの女性が
「なぜ彼らを治療しないの?」と口走った程です。
広島の被爆者たちはABCCの実験台にされていました。

肥田医師が内部被曝や低線量被曝の実態を知るのも、原爆投下後30年近く経過してからのことです。

ABCCにもアメリカ政府にも、そして、なんの対応もとらなかった日本政府にも、腹が立ちます。
映画を観ていると、特にABCCに対して「このヤロー!」と思います。
ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせたいです。殴りかかりたくなります。

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きっと肥田医師も悔しかったことでしょう。
でも、彼は「このヤロー!」と殴りかかることなく、国連に訴え、政府に働きかけ、
着実に運動を続けてきました。

そして、こんなことも言っていました。
「核兵器反対を言っていても時代遅れになるよ。
核はもう先の方へ行っちゃってて、我々はそれに苦しめられる世の中になる。
だから、なんと言われようと今までやってきたこのタイプの運動を
地道に長く工夫をしながら続けて死んでいけばいいと思う」

福島原発事故の後、幼い子どもを抱えた若い母親の求めに応じて、
95歳と言う高齢でありながら講演に出向く肥田医師の姿には神々しささえ覚えます。
あ、この部分は本作と同時上映される「311以降を生きる:肥田舜太郎医師講演より」
で観ることができます。

まずは知ること。怖れるだけでなく知ることから始めていかないといけないですね。
95歳まで活躍し続ける肥田医師の存在自体が希望なのだと思いますから。

4月7日(土)の公開初日には肥田舜太郎氏がアップリンクに来場。
講演付き上映会が開催されます。http://www.uplink.co.jp/kakunokizu/news.php






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映画『核の傷』

核の傷 肥田舜太郎と内部被曝
監督・脚本・撮影・録音/マーク・プティジャン、助監督・編集/瀬戸桃子、製作/オンライン・プロダクションズ、日本版ナレーション
4月7日(土)より渋谷アップリンク他、全国順次公開
フランス、2006年、日本語・英語、53分、http://www.uplink.co.jp/kakunokizu/

同時上映:311以降を生きる:肥田舜太郎医師講演より
日本、2012年、約20分、アップリンク製作

by Mtonosama | 2012-03-31 07:05 | 映画 | Comments(10)
核の傷  肥田舜太郎医師と内部被曝 -1-
Blessures Atomiques

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肥田舜太郎医師の名前は福島原発事故の後、新聞やテレビで折にふれ目にしました。
95歳という高齢の肥田さんは広島原爆投下後の広島に入り、自らも被曝しながら、
被爆者治療に従事してきた医師です。

2009年医療活動から引退し、現在は執筆、翻訳、講演など精力的に活動を続けています。
福島の事故後、急増した取材・講演依頼に応え、ご自身の経験に基づき低線量被曝、
内部被曝についての講演を日本全国で展開中です。


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肥田舜太郎
1917年 広島市生まれ。
1944年 陸軍軍医学校を卒業後、軍医少将として広島陸軍病院に赴任。
1945年8月6日 原爆に被爆。直後から被爆者救援・治療にあたる。
厚生省技官として国立柳井病院(山口県)に赴任。
1948年 広島のABCC(Atomic Bomb Casualty Commission:原爆傷害調査委員会)が被爆者を調査するだけで治療は行わないと聞き、厚生大臣と連合国軍総司令部に情報公開するよう懇願するが一蹴される。
ABCCとは、原子爆弾による傷害の実態を詳細に調査記録するために、広島市への原子爆弾投下の直後にアメリカが設置した機関である。(Wikipediaより)

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1975年 核兵器完全禁止を国連に要請する国民代表団に参加して渡米。
アーネスト・スターングラス博士に会う。オーストラリアで開催された非核太平洋会議に出席。
1978年 埼玉協同病院設立、院長になる。スターングラス博士の著書“Low Level Radiation”を翻訳、「死にすぎた赤ん坊」として出版。
1982年 「広島の消えた日」出版。国連軍縮特別総会で渡米。西ドイツで30万人デモに参加。
語り部の旅で東西ドイツ、オランダ、イタリア、フランスを訪問。
1985年 被爆40周年で核兵器保有国訪問。フランスとソ連を担当。西ドイツ遊説。
1989年 アメリカ遊説中、被曝米兵を診療するドンネル・ボードマン医師を訪問、”Radiation Impact”を贈られる。
1991年 被団協新聞の企画で大江健三郎と対談。「ヒロシマ・ナガサキを世界へ」を出版。
1992年 ボードマン医師の”Radiation Impact”を「放射線の衝撃」として翻訳。
1999年 ハーグ世界平和市民会議に出席、イギリス数都市を遊説。
ジェイ・グールド著”The Enemy Within”を翻訳、「内部の敵」として自費出版し、無料配布。
2002年 映画監督の鎌仲ひとみ氏らと渡米、米国の被爆者と会う。
2003年 鎌仲監督の「ヒバクシャ 世界の終りに」に出演。
低線量放射能の有害性を証明する論文完成。
2006年 マーク・プティジャン監督による本作「核の傷」(原題/Blessures Atomiques)完成。トロント国際映画祭で上映された他、欧州のテレビ局で放映。
2008年 原爆症認定集団訴訟で、訳書「死にいたる虚構」「放射線の衝撃」が証拠採決され、国が認めてこなかった低線量被曝を高等裁判所が認定。

戦後67年間、被爆者治療と核廃絶運動に献身する医師です。

著書
「ヒロシマ・ナガサキを世界へ---被爆医師の反核語り部世界行脚」(あけび書房‘91)
「広島の消えた日---被爆軍医の証言」(初版・日中出版‘82/増補新版・影書房‘2010)
「ヒロシマを生きのびて---被爆医師の戦後史」(あけび書房‘04)
「内部被曝の脅威」(共著、ちくま書房‘05)

訳書
「死にすぎた赤ん坊」(アーネスト・スターングラス著、時事通信社‘78)
「放射線の衝撃」(ドンネル・ボードマン著、自費‘91/PKO法「雑則」を広める会発行‘08)
「死にいたる虚構」(ジェイ・グールド他著、共訳、自費‘94/ PKO法「雑則」を広める会発行‘08)
「内部の敵」(ジェイ・グールド他著、共訳、自費‘99)

肥田先生の紹介が長くなってしまいました。
95歳という高齢でありながら、広島を語り継ぎ、
放射線について的確な情報を語り続ける肥田医師の存在は今この時期とても貴重で力強いものです。

この続きは次回までお待ちください。乞うご期待でございます。

4月7日(土)の公開初日には肥田舜太郎氏が上映館アップリンクに来場。
講演付き上映会が開催されます。http://www.uplink.co.jp/kakunokizu/news.php




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映画『核の傷』

核の傷 肥田舜太郎と内部被曝
監督・脚本・撮影・録音/マーク・プティジャン、助監督・編集/瀬戸桃子、製作/オンライン・プロダクションズ、日本版ナレーション
4月7日(土)より渋谷アップリンク他、全国順次公開
フランス、2006年、日本語・英語、53分、http://www.uplink.co.jp/kakunokizu/

同時上映:311以降を生きる:肥田舜太郎医師講演より
日本、2012年、約20分、アップリンク製作

by Mtonosama | 2012-03-28 06:44 | 映画 | Comments(8)
少年と自転車 -2-
Le gamin au vélo

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(c)christine plenus

主人公の名はシリル。もうすぐ12歳になります。
このシリル少年、まるでハリネズミが全身の針を逆立てたように、
ネコが足を踏ん張って威嚇するように、養護施設の職員たちと睨み合っています。
「ね、電話は通じないんだよ。もう止めよう」と職員が説いて聞かせても、
「もう一回だけ」と受話器を離しません。もう、その頑ななことといったら。
な、なんなの!?いい加減にしなさいっ。
と、つい保護者の目になって怒りたくなってきました。

でも、少年の強い闘志に圧倒されてスクリーンをみつめている内、
彼の肩や背中が緊張でガチガチなのがわかってきます。
そして、その緊張と闘志がパパに会いたい、会わなくちゃならないという必死さから生まれたものだとわかると、
その強張った肩や背中を抱きしめて撫でてあげたくなってきました。
はい、柄でもないことはわかっています。でも、そういう気持にさせられてしまうんです。

親に捨てられた子どもといえば、
韓国映画「冬の小鳥」(‘09)http://mtonosama.exblog.jp/14398672/ もそうでした。

主人公の少女ジニはその受け入れがたい痛みを小さな体で必死に耐えていましたっけ。
「少年と自転車」のシリル少年も全身でその痛み、苦しみ、悲しみをぶつけてきます。
さあ、シリルはどうやって自分の受けた理不尽な状況を生きていくのでしょうか。


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ストーリー
シリル少年の願いは自分を児童養護施設へ預けた父親を見つけ出し、もう一度一緒に暮らすこと。
彼は施設から父親に電話をします。でも、通じません。
翌日、学校へ行くふりをして、以前父と暮らしていた団地にやってきます。
しかし、呼び鈴を押しても応答はありません。そこへ、先生たちがシリルを探しに。
追及を逃れようと、シリルは団地の診療所に逃げ込み、待合室の女性にしがみつきます。
「パパが買ってくれた自転車があるはずだ」と言い張るシリルを納得させるため、
大家が部屋の鍵を開けてからっぽの室内を見せます。

数日後、診療所でシリルがしがみついた女性が施設を訪ねてきました。
彼女は自転車をみつけ、持ち主から買い取ってくれたのです。
サマンサというその親切な女性を追いかけ、「週末だけ里親になってほしい」と頼み込むシリル。

美容院を経営するサマンサと週末を過ごしながら、
シリルは自転車に乗って父親の行方を捜しまわります。
努力の甲斐があり、父の働く店がみつかります。
サマンサの車に乗せてもらって、いそいそと父のもとへ向かうシリル。
嬉しさに上気したシリル。そして、当惑した様子の冷めた父親。
帰りの時間が近づいた時、父親はサマンサをひきとめ、「もう会いたくないと伝えてくれ」と。

サマンサがそんなことをシリルに言えるでしょうか。
彼女は店に戻り、自分で伝えなさいと父親に告げます。
そして、父親は「もう来るな」と。

帰りの車内で、溢れる感情をぶつけるように顔をかきむしり、車のドアに頭をぶつけるシリル……

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ベルギーの下層に生きる人々を描くことの多いダルデンヌ監督。

シリル少年の父親もやむを得ない状況で息子を養護施設に預けた貧困者でしょう。
でも、それはあくまで大人の都合です。
百歩譲って、預けることは仕方なかったとしても
休日に息子を訪ねるとか、最低限の努力はすべきですよね。
11歳の子どもには大人の事情を斟酌する余裕も能力もありません。
シリルはまだハリネズミになって大暴れをし、自分を主張したから、
あきれながらも手を貸してくれる大人がいました。そして、救われました。

本来無条件に愛してくれて、面倒を見てくれるはずの親に捨てられ、
やっと出会えた親から拒絶されてしまったら、
ハリネズミにも、威嚇するネコにもなれない子どもは抱えきれない悲しみを
無理やりその小さな心と体に押し込むしかありません。

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かつてのダルデンヌ監督作品に登場したシリルより少し大きな少年、少女。
彼らはシリルのようなハリネズミにはなれなかった子どもたちが成長した姿でしょう。

それでも、ダルデンヌ監督作品の中ではそんな少年少女たちも1人っきりの存在じゃないんですね。
彼らをみつめる人たちがいます。パートナー、雇用主etc.
その人たちはベルギーのチョコレートやワッフルみたいに甘くはありません。
でも、ひそやかにではあるけれど、確かに存在しています。

「少年と自転車」は現代のおとぎ話かもしれません。
でも、おとぎ話って子どもにも大人にも必要です。
ダルデンヌ監督の映画には、少年少女をみつめる人たちが息づいていて、
彼らがどうにか生きていけるように守ってくれているものが存在するような気がしてなりません。





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少年と自転車
脚本・監督/ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ、製作/ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ、ドニ・フロイド、撮影監督/アラン・マルコアン
出演
セシル・ドゥ・フランス/サマンサ、トマ・ドレ/シリル、ジェレミー・レニエ/シリルの父、ファブリッツォ・ロンジョーネ/書店の店主、エゴン・デイ・マテオ/ウェス、オリヴィエ・グルメ/居酒屋の主人
3月31日(土)よりBunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー
2011年、ベルギー=フランス=イタリア、87分、字幕/松岡葉子、配給/ビターズ・エンドhttp://www.bitters.co.jp/jitensha/

by Mtonosama | 2012-03-25 07:21 | 映画 | Comments(11)
少年と自転車 -1-
Le gamin au vélo

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(c)christine plenus

昨年、第64回カンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた「少年と自転車」。
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の作品です。
去年6月に興奮してお伝えした本作http://mtonosama.exblog.jp/16059731/ですが、
いよいよ日本でも公開されます。

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督。
実は、このお二人、とのにとっては初めて見た実物のベルギー人。
穏やかで謙虚で優しそうな人たちという印象でした。
「息子のまなざし」(‘02)のキャンペーンで来日した時におみかけしたのですが。

3歳違いのこの兄弟監督、本作でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞したことにより、
なんとカンヌで5作品連続主要賞受賞という史上初の快挙をなしとげたのでした。


f0165567_6524333.jpg兄のジャン=ピエールは1951年4月21日、弟のリュックは1954年3月10日にベルギー・リエージュの近郊で生まれました。リエージュは工業地帯、労働運動の盛んな地域です。
兄ジャン=ピエールは舞台演出家を目指し、ブリュッセルへ移りました。そこで演劇界、映画界で活躍していたアルマン・ガッティと出会います。その後、兄弟はガッティの下で暮らし、芸術や政治の面で多大な影響を受け、彼の映画製作を手伝うようになりました。

兄弟は原子力発電所で働いて得た資金で機材を買い、労働者階級の団地に住み込み、
土地整備や都市計画の問題を描くドキュメンタリー作品を74年から制作し始めます。
78年に初のドキュメンタリー映画“Le chant du Rossignol”を監督し、その後もレジスタンス活動、
ゼネスト、ポーランド移民といった様々な題材のドキュメンタリー映画を撮り続けました。
86年、ルネ・カリスキーの戯曲を脚色した初の長編劇映画「ファルシュ」を監督、
ベルリン・カンヌなどの映画祭に出品。92年に第2作「あなたを想う」を撮りますが、
会社側の圧力による妥協の連続で、2人にとって満足のできない作品となってしまいました。
この失敗に懲りた彼らは、第3作『イゴールの約束』を決して妥協することなく製作。
その結果、カンヌ国際映画祭 国際芸術映画評論連盟賞をはじめ、多くの賞を獲得するなど、
世界中で絶賛されました。
第4作『ロゼッタ』ではカンヌ国際映画祭でパルムドール大賞を受賞、本国ベルギーでの成功はもとより、フランスでも100館あまりで公開され大きな反響を呼びました。
さらに2002年、第5作『息子のまなざし』でもカンヌ国際映画祭・主演男優賞とエキュメニック賞特別賞をダブル受賞。2005年には『ある子供』が史上5組目となる2度目のパルムドール大賞受賞という快挙を成し遂げました。そして、第7作『ロルナの祈り』http://mtonosama.exblog.jp/10192050/では、2008年に脚本賞を受賞、本作「少年と自転車」で史上初の5作品連続主要賞受賞を果たしたのです。
近年では共同プロデューサーとして若手監督のサポートも積極的に行っています。


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ダルデンヌ兄弟監督のこととなるとどうしても熱くなってしまうとのであります。
しかし、本作「少年と自転車」が、日本で聞いた話から生まれたと知ってまたまた熱くなってしまいました。
監督達が2003年「息子のまなざし」のキャンペーンで来日したとき、
ある女性弁護士が語った話が兄弟の心に強く残ったといいます。

どんな話かをちらっとお知らせしますね。
児童養護施設に預けられた子どもの話です。
その子は必ず迎えに来ると約束した父親を信じて、
毎日毎日屋根に上がって父親を待っていました。
でも、ある時から屋根に上がることも、父親を待つことも止め、
誰も信じなくなってしまったのだそうです。

日本で聞いたこの話が監督たちの頭にこびりついて離れませんでした・・・・・

さあ、ダルデンヌ監督、今回はどんな映画を見せてくれるのでしょうか。
続きは次回までお待ちくださいませね。



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少年と自転車
脚本・監督/ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ、製作/ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ、ドニ・フロイド、撮影監督/アラン・マルコアン
出演
セシル・ドゥ・フランス/サマンサ、トマ・ドレ/シリル、ジェレミー・レニエ/シリルの父、ファブリッツォ・ロンジョーネ/書店の店主、エゴン・デイ・マテオ/ウェス、オリヴィエ・グルメ/居酒屋の主人
3月31日(土)よりBunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー
2011年、ベルギー=フランス=イタリア、87分、字幕/松岡葉子、配給/ビターズ・エンドhttp://www.bitters.co.jp/jitensha/

by Mtonosama | 2012-03-22 07:15 | 映画 | Comments(8)
僕達急行 A列車で行こう -2-

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© 2012『僕達急行』製作委員会

「A列車で行こう」というタイトルを見て、とのが連想したのはデューク・エリントン楽団のこれ。


Take the ’A’ Train

あ、通称「A列車シリーズ」というシミュレーションゲームがあるんだそうです。
ふ~ん、全然知りませんでした。世の中には知らないことが多いです。

しかし、本作はジャズやシミュレーションゲームを知らなくても楽しめるコメディ。
ゆったりとご満喫ください。


ストーリー
f0165567_6364199.jpg大手不動産会社・のぞみ地所の社員小町圭(松山ケンイチ)と町工場・コダマ鉄工所の二代目小玉健太(瑛太)は、ともに鉄道をこよなく愛する似たもの同士。ふとしたきっかけで知り合った2人は、すぐに気が合って仲良くなりました。
小玉は鉄道の「鉄」好き。
車両音が好きで、住居にも鉄道や電車が見える景色を求める小町。

彼は立派な高層マンションを販売する不動産会社社員でありながら、
町工場が建ち並ぶコダマ鉄工所の寮に入居します。
電車の音と共に眠りにつき、電車の音と共に目覚める理想的な住まいです。

ところが、転勤で九州支社に行くことに。
しかし、小町はめげません。なんといっても九州まで列車で行けるんですから。
九州支社開設以来、初めて飛行機ではなく、新幹線で着任した小町。
気のいい社員たちに気持ち良く迎え入れられます。

九州には、のぞみ地所がなんとしても口説けない大手企業がありました。
ここの社長・筑後雅也(ピエール瀧)は門司から先には断固出ないという九州大好き人間。
彼を口説き落とすため、本社から社長北斗めぐみ(松坂慶子)も乗り込んできました。
北斗社長の腰ぎんちゃく・天城勇智(西岡徳馬)も同行して夜の博多へ繰り出します。
小町も出かけましたが、この筑後社長、あまり酒席はお好きではない様子。

ある日、小町は東京からやってきた小玉と鉄道博物館へ。
なんと、そこでばったり顔を合わせたのが筑後社長でした。
なんとこの社長も大の鉄道好きだったのです。
これまたすっかり意気投合してしまった3人。
筑後社長との仕事はコダマ鉄工所も巻き込んで順風満帆。

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しかし、なにかがうまくいけば、なにかはうまくいかない、
というのがこの世の習い。小町も小玉も恋の方は仕事や趣味のようにはうまくいきません……

松山ケンイチも瑛太も、一生懸命だけど、ちょっと不器用で茫洋とした男の子をほのぼのと演じていましたよ。
松ケン演じる小町はブルー、瑛太演じる小玉はピンク。
このカーディガンの色分けにどんな意味があるのか、
今はもう森田監督に確かめる術はないけれど、なんかおかしかったです。

かたや小松帯刀、かたや平清盛と、NHK大河ドラマで重要な役を演じる2人ですが、
おとなしくてお行儀の良いいまどきの男の子を演じてもよく似合っていました。

あ~あ、旅に行きたいです。
ピンクのレンゲソウが咲き乱れ、青紫の花ダイコンが土手を彩る春満開の景色を
車窓から眺めつつ、駅弁を食べるっていいですよね。

鉄子ならずとも列車に乗って春の旅に出かけたいとのです。





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僕達急行 A列車で行こう
脚本・監督/森田芳光、撮影/沖村志宏、美術/和田洋、音楽/大島みちる
出演
松山ケンイチ/小町圭、瑛太/児玉健太、松坂慶子/北斗めぐみ、貫地谷しほり/相馬あずさ、村上絵梨/日向みどり、星野知子/日向いなほ、笹野高史/児玉哲夫、伊武雅刀/早登野庄一、ピエール瀧/筑後雅也
3月24日(土)より全国ロードショー、2011年、日本、1時間57分、配給/東映
http://boku9.jp/index.html

by Mtonosama | 2012-03-19 06:47 | 映画 | Comments(8)
僕達急行 A列車で行こう -1-

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© 2012『僕達急行』製作委員会

「僕達急行 A列車で行こう」。
本作は昨年12月20日、急性肝不全で亡くなった森田芳光監督の遺作になってしまいました。
まだ61歳。これからももっといろいろな映画で楽しませていただけると思っていたのに残念です。

でも、こういった楽しい作品が最期の作品になるって素敵ですね。
とのも最期のときは深刻になるより、楽しくいきたいと思います。



森田芳光監督
1950年1月25日~2011年12月20日。
81年「のようなもの」で映画監督デビュー。「家族ゲーム」(‘83)で数々の映画賞を受賞。「それから」(‘85)はキネマ旬報ベストワンをはじめ、各賞を受賞。
「ハル」(‘96)で第6回日本映画批評家大賞監督賞、第20回日本アカデミー賞優秀脚本賞ほか受賞。
渡辺淳一のベストセラー「失楽園」(‘97)を映画化。
それ以後も「模倣犯」(‘02)、「阿修羅のごとく」(‘03)、「間宮兄弟」(‘06)、「椿三十郎」(‘07)、「サウスバウンド」(‘07)、「わたし出すわ」(‘09)http://mtonosama.exblog.jp/12090180/
「武士の家計簿」(‘10)http://mtonosama.exblog.jp/15037094/、http://mtonosama.exblog.jp/15054991/
と様々なジャンルの作品を発表した監督でした。
合掌

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子どもの頃から、踏切で電車を眺めるのが好きだったという一人っ子の監督。
いわゆる鉄っちゃんについての作品はもう何十年前から構想していたということです。



鉄っちゃんや鉄子と一口で言っても、
車両好き、駅弁好き、旅好き、鉄道写真好き、鉄道模型好き、列車の走行音、
車内放送などの音好きとか、きわめて幅広く、奥深いようです。
本作に登場する電車の数も合計20路線80モデルに及び、鉄道模型もすごいのが出てきますよ。
そして、登場人物名が特急の名前になっているのも「ようやるなぁ!」です。
主人公を演じた松山ケンイチと瑛太の「こまち」と「こだま」はともかく、
伊武雅刀演じる早登野庄一なんて、鉄子ならぬとのにとってはまったく判じ物。
この「はやとの」は「はやとの風」という鹿児島中央から隼人を経て吉松を運行する観光列車でした。


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でも、鉄道ファンならずとも山の中をゴトゴト走る1両編成の電車とか、田園風景の中を疾走するスタイリッシュな特急列車など旅ごころを目いっぱい刺激してくれる映画でした。
鉄っちゃん、鉄子さんなら、なおさらでしょうね。



鉄道おたくコメディとしてもロードムービーとしても楽しめるウォーム@ハート系の映画ですよ。

さあ、どんなお話でしょうね。乞うご期待でございます。




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【署名のお願い】自然エネルギー100%と原発の段階的廃止を実現するため「エネルギー基本計画」を変えよう!

僕達急行 A列車で行こう

脚本・監督/森田芳光、撮影/沖村志宏、美術/和田洋、音楽/大島みちる
出演
松山ケンイチ/小町圭、瑛太/児玉健太、松坂慶子/北斗めぐみ、貫地谷しほり/相馬あずさ、村上絵梨/日向みどり、星野知子/日向いなほ、笹野高史/児玉哲夫、伊武雅刀/早登野庄一、ピエール瀧/筑後雅也
3月24日(土)より全国ロードショー、2011年、日本、1時間57分、配給/東映
http://boku9.jp/index.html

by Mtonosama | 2012-03-16 07:12 | 映画 | Comments(6)
種まく旅人 ~みのりの茶~ -2-

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©「種まく旅人~みのりの茶~」製作委員会


桃栗3年、お茶7年というのだそうです。

桃栗3年柿8年はよく聞きますよね。
時期が来ないことには実もつかない。何事も待たないことには成就しない、という例えだとか。
お茶つくりも大変なのです。

ヤフーの知恵袋にありました。
桃栗3年柿8年、
梅はすいすい13年、
柚子は大ばか18年、
りんごニコニコ25年、
女房の不作は60年、
亭主の不作はこれまた一生、
ああ、こりゃこりゃ♪

そっかぁ、とのは大変な不作を抱え込んでしまったんだなぁ。
って、ここで嘆いてどーする。

亭主の不作はともかくとして、農業は日々努力の積み重ね。
ま、生きていくということはそういうことなのでしょうが。
どんなに大変でも、生きているもの、成長していくもの、
手をかければかけるほど応えてくれるものを相手にする農業というお仕事は
収穫の喜びもひとしおでしょうね。

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ヒロインのみのりさんはファッションのお仕事はリストラされてしまったけれど、
どんな新天地を切り拓くことになるのでしょう。


ストーリー
農林水産省官房企画官・大宮金次郎。
本職は明かさず、日本国中の農家を回って畑仕事を手伝っては、美味しい酒と肴を楽しむ男。
役所では変わり者で通っていますが、各地のお百姓さんの間では風来坊の金ちゃんと呼ばれる人気者です。しかし、彼が農家の本音をレポートにまとめ事務次官に提出していることは省の幹部しか知らない事実。
そんなある日、大宮に大分県行きの辞令が。役職は臼杵市役所の農政局長。
個々の農家の声を聞くだけではなく、大局からものを見ること。新しい農薬を普及させること。
それが彼に託された任務でした。

大宮金次郎は大分着任後、すぐさま旧知の製茶農家、森川修造を訪れます。
この年は森川製茶にとって有機栽培に変えて初めての収穫の年。
有機農法は手間はかかるけれど、より安全で自然の恵みに溢れた農法で、
先年亡くなった修造の妻がずっと描き続けた夢でもありました。
東京から来ていた修造の孫娘みのりの接待で、盛り上がる2人。
ところがその翌朝、修造は心臓発作で倒れてしまいました。

東京のアパレルメーカーのデザイナーを辞めたみのり。
農園カフェを営む友人と会うため大分に来ていて、祖父の入院につきそうことになってしまいました。
そんな彼女を市役所農政課の職員・木村が訪問。木村によれば、祖父は有機農法に転向する際、
県の助成事業から多額の融資を受けていました。
みのりは金次郎に相談し、人手がみつかるまで農作業をひきうけることを決意します。

都会育ちのみのりに15反の畑を世話することができるのでしょうか。
無農薬栽培ゆえ虫やら雑草やらとの格闘。みのりは毎朝指示を出してはどこかへ消えていく金次郎や、時々様子を見にくる市役所の木村から、育てることの楽しさや有機農業の厳しさを教わるのでした。

一方、農政課では市の農業政策をめぐって様々な意見が飛び交っていました。
そんな中、金次郎はみのりの茶畑で出会ってしまった農政課の木村と役所内では顔を合わせないようにしながら、大規模茶園や農薬のPRなどを渋々こなしていました。
そして、木村は有機農業に消極的な上司と行政支援を求める有機農業派の生産者の板挟みになって頭を抱える日々。

さあ、そんなこんなでバタバタしながらも時は移り、茶摘みの季節がやってきました。
みのりが育てた茶葉は昔ながらの美味しいお茶になるのでしょうか……

これはまた新しいジャンルの映画です。
若い農業者たちの熱い想いあり、有機農業と大規模農業との対立あり、父と子の相克あり。
そして、「背中のこの刺青に覚えがないとは言わせねえぜっ」という遠山の金さんばりの拍手喝采シーンあり。
人情味にあふれる農業映画です。
パンフレットにはオーガニック・シネマなんていうキャッチフレーズも躍っていますけどね。
シリーズにしても楽しいんじゃないかなって思わせる映画でした。

しかし、それにつけても、
こういう想いで手をかけてきた作物を放棄しなければならなかった福島の農業生産者の
皆さんの無念とご苦労をあらためて認識しました。





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種まく旅人 ~みのりの茶~
監督/塩谷俊、撮影/阪本善尚、原案/青葉薫、脚本/石川勝己、音楽監督・篠笛/狩野泰一、音楽/宮本貴奈、主題歌/中村中
出演
陣内孝則/大宮金次郎、田中麗奈/森川みのり、吉沢悠/木村卓司、柄本明/森川修造、永島敏行/太田忠志、石丸謙二郎/森川修一、寺泉憲/市長、中村ゆり/栗原香苗、林美智子/衛藤フジエ
3月3日(土)大分・福岡先行ロードショーに引き続き、3月17日(土)有楽町スバル座他全国ロードショー、2011年、日本映画、121分、配給/ゴー・シネマ、www.tanemaku-movie.com

by Mtonosama | 2012-03-13 06:55 | 映画 | Comments(12)
種まく旅人~みのりの茶~ -1-

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©「種まく旅人~みのりの茶~」製作委員会

できるだけ、タイトルや雰囲気で映画を決めるのはやめようと考えているとのですが、
やはりどうしてもタイトルは映画決定時のかなりな要因になります。
この映画を観るときも「お~い、お茶!」を連想してしまい、どうしよっかなぁと迷いました。
勝手に連想して勝手に悩むな、と、配給会社や宣伝会社の皆さまにおしかりを受けてしまいますよね。

大分県臼杵市が舞台のこの映画。
数年前に臼杵を訪れたことがあるので懐かしかったです。
その時、一緒に訪れ、それから程なくして亡くなったSさんという女性を想い出しながら、鑑賞しました。
Sさん、母校の県立臼杵高校も出てきましたよ。

ちょっとしんみりしてしまいました。
本作「種まく旅人~みのりの茶~」は農業の映画です。
お年頃の男女は登場しますが、好いたの惚れたのという話はありません。
臼杵のなだらかな丘陵地帯にひろがる有機農法でつくられた茶畑で繰り広げられる
若い女性みのりさんの人生再発見の映画。
そこに、農林水産省の官僚(!)大宮金次郎こと金さんが絡みます。
現代版遠山の金さんです。


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監督は塩谷俊さん。1956年生まれです。としさんと言っても女性ではありません。
テレビや映画作品への出演を重ね、特に海外作品「アンボンで何が裁かれたか」「Mr.Baseball」などに出演したことで欧米の制作現場から影響を受けた監督。
94年に世界基準を想定した演技学校を目指し、塩谷俊アクターズクリニック(現在「アクターズクリニック」)を設立。2011年にはアメリカで演技学校の最高峰と言われ、マーロン・ブランド、ロバート・デ・ニーロも卒業したStella Adler Studio of Acting※と提携し、共同企画「HIKOBAE PROJECT」を始めました。
http://www.actors-clinic.com/special/hikobae_report.html
なかなかユニークな経歴です。
主な監督作品には「6週間プライヴェートモーメント」(‘01)、「ビートキッズ」(‘05)、「0(ゼロ)からの風」(‘07)、「きみに届く風」(‘08)などがあり、前作「ふたたびswing me again」(‘10)で昨年第28回山路ふみ子福祉賞受賞)。

※ステラ・アドラーの設立した「Stella Adler Studio of Acting」は、今でもNYとLAで運営されている。俳優の想像力を根底とする彼女の演技法は、亡くなるまでスタジオの名誉会長を務めたマーロン・ブランドのほかにも、ロバート・デ・ニーロ、マーティン・シーン、ロイ・シャイダー、ヴィンセント・ドノフリオ、マーク・ラファロ、ベニチオ・デル・トロなどが学んだ。(Wikipediaより)

原案は青葉薫さんという農業ライター。こちらも薫さんと言っても女性ではありません。
「作る人も食べる人もみんなが幸せになる農業」をテーマに全国100軒以上の農家を訪ね歩いているそうです。著書の「畑のうた~種まく旅人~」が本作の原案となりました。テレビ番組「畑のうた」(テレビ東京‘09)やラジオ番組「The Voice of Farmers」(ニッポン放送)などの農業番組の企画構成も担当。


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さて、田中麗奈さん演じるみのりという若い女性。
彼女は東京で服飾デザイナーとして働いていました。
お洒落な街で、お洒落な仕事。これぞ天職、とバリバリ仕事をしていたのですが、
ま、あっさりとリストラ。

そんなみのりさんが期せずして関わることになる無農薬栽培、有機農法のお茶。
さあ、一体どんなお話なのでしょうか。
乞うご期待でございます。



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【署名のお願い】自然エネルギー100%と原発の段階的廃止を実現するため「エネルギー基本計画」を変えよう!

種まく旅人 ~みのりの茶~
監督/塩谷俊、撮影/阪本善尚、原案/青葉薫、脚本/石川勝己、音楽監督・篠笛/狩野泰一、音楽/宮本貴奈、主題歌/中村中
出演
陣内孝則/大宮金次郎、田中麗奈/森川みのり、吉沢悠/木村卓司、柄本明/森川修造、永島敏行/太田忠志、石丸謙二郎/森川修一、寺泉憲/市長、中村ゆり/栗原香苗、林美智子/衛藤フジエ
3月3日(土)大分・福岡先行ロードショーに引き続き、3月17日(土)有楽町スバル座他全国ロードショー、2011年、日本映画、121分、配給/ゴー・シネマ、www.tanemaku-movie.com

by Mtonosama | 2012-03-10 07:22 | 映画 | Comments(4)
アリラン -2-
Arirang

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(c) 2011 KIM Ki-duk Film production.

「アリラン」。わたしたちもよく耳にする朝鮮民謡です。
一説によれば「アリラン」の<ア>は<我>、<リ>は道理の<理>で「自らを悟る」という意味があるのだそうです。

キム・ギドク監督はカンヌ、ベルリン、ヴェネチアの世界三大映画祭を制覇し、
いまや世界中から新作を期待される人物です。
それが、2008年
オダギリジョーを主役に迎えた「悲夢」の撮影中に起きた事故を
きっかけに映画界から姿を消してしまいました。


(C)2008 KIM KI DUK FILM All Rights Reserved
f0165567_675378.jpg 「悲夢」
別れた恋人の夢を見る男と、彼の夢と同じ行動を実際にしてしまう夢遊病の女が出会う。「夢」に翻弄される男女の狂おしい愛を描いたラヴ・ストーリー。
この「悲夢」の撮影中に起きた事故。
それは、女優イ・ナヨンが演じる主人公「ラン」が留置場の窓で首吊り自殺を試みるシーンでの事故でした。

このシーンで、実際に女優の首が絞まってしまったのです。
急いで監督が救出し、ことなきを得ましたが、
ショックを受けた監督はその後、制作活動ができなくなってしまいました。

海外からは高い評価を受けながら、国内ではあまり評価されることがない監督。
そうした毀誉褒貶のギャップや撮影中の事故。
3年間の沈黙の間、ギドク監督は何を考えていたのでしょうか?

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1人で山中の小屋にこもっていた監督。
彼は、その間の想いをカメラに向かって語り始めました。

ボサボサ頭の薄汚いおっさんが小屋のテラスで歯を磨き、
雪の畑へスコップを持って出ていき、穴を掘ってしゃがみこみます。
あるいは鍋から直接ラーメンを食べ、ひとり酔っ払って高歌放吟。
寝るのは小屋の中に張ったテント。

そんな非日常的な日常を自ら撮影し、自ら撮られ、
その内、撮影者キム・ギドクと出演者キム・ギドクが語り始め、問いかけ、答え、
揚句、心理分析まで始めます。
ドキュメンタリーだから、ひび割れたかかと、垢じみた姿、排便シーンも仕方ないか、
と当惑気味にスクリーンと相対していると、
おやおや、今度はピストルを持ちだし、車で街に出ていきました。
あ~、発砲しちゃいましたよ。
ドキュメンタリーと思ってみていた映画がなにやらサスペンスのような展開に。

ひきこもっていたとはいっても監督は根っからの映画人なんですね。

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ギドク監督にとって、「悲夢」撮影中に起きた事件はとてもショッキングだったのでしょう。
女優さんは助かったんだから、なにもそこまで落ち込まなくても、と思うのですが、
これまでの人生ずっと走り続けながら、何かを求めてきた監督。
「悲夢」までの12年間毎年1本映画を撮り続けてきた監督の中で、
彼を張りつめさせていた糸がプツンと切れてしまったのだと思います。
ギドク監督にとって、この事件はそれほど重いものだったんですね。

山にこもり、畑を耕し、自給自足の暮らしを続けるかと思わせた監督が、
結局自分から飛び出してきた映画の世界へ、映画を撮るという形で戻っていきました。
映画を撮影することはギドク監督にとって食べたり、排便したり、酒を呑んだりということと同様、
生きることそのものだったようです。

ギドク監督であれ、誰であれ、人は自分が一番好きなことを守り通すことでしか、
苦境を脱することはできないのかもしれないのだなぁと再認識させられました。

そして、「アリラン」は2011年カンヌ映画祭「ある視点」部門の最優秀作品賞を受賞。
続けて、同年「アーメン」をサン・セバスチャン国際映画祭コンペティション部門に正式出品。

まずは、おかえりなさい。キム・ギドク監督。






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アリラン
脚本・監督・製作・撮影・録音・編集・音響・美術/キム・ギドク
出演
キム・ギドク
3月3日(土)シアター・イメージフォーラムにてロードショー
2011年、91分、韓国、配給/クレスト・インターナショナル
http://www.arirang-arirang.jp/

by Mtonosama | 2012-03-07 06:32 | 映画 | Comments(6)
アリラン -1-
Arirang

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(c) 2011 KIM Ki-duk Film production.

これはかなり変わった映画です。
スタッフ、キャスト欄をご覧ください。
はい、キム・ギドク1人しかいません。
お蔭で手間いらずでした。
って・・・・・

キム・ギドク。鬼才あるいは奇才といわれる韓国の映画監督。
1960年12月20日生まれですから、現在51歳です。

とのはこの監督の「春夏秋冬そして春」(‘03)という映画を観て、
韓国と日本の間に通底するものを感じると同時に、両国の違いも知りました。
韓国という国に抱いていた印象が全然変わりました。ガツンと来た映画です。


「春夏秋冬そして春」
f0165567_51538100.jpg春-深い山あいの湖に浮かぶ寺で、老僧と幼い見習い僧が暮らしている。幼子はふといたずら心で、小さな動物の命を殺めてしまう…。夏-子どもは青年になっている。そこへ同年代の女性が養生のためにやって来て、寺に暮らすことに。青年の心に欲望、そして執着が生まれる。秋-寺を出た青年が十数年ぶりに帰ってくる。自分を裏切った妻への怒り。老僧は男を受け入れ、荒ぶる心を静めるようにさとす。冬-湖面を氷が覆う。壮年となった男の前に、赤子を背負った女が現れる。そして春…。http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD5933/

韓国の二大映画祭の作品賞を独占し、全米でも大ヒットした作品です。

その後、ギドク監督の作品は「サマリア」(‘04)、「弓」(‘05)と観ましたが、
これらについては正直、う~む、よ~わかりまへんなぁ。

で、キム・ギドク監督からはなんとなく遠ざかっていたのですが、気になってはいました。
そんな時にやってきたのが「アリラン」の試写状。こりゃ、観てみなければ。
脚本・監督・製作・撮影・録音・編集・音響・美術・出演/キム・ギドクですからね。
全部1人でこなしたってところがまたそそるではありませんか。


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キム・ギドク
1960年12月20日生まれ、慶尚北道の山あいの村に育つ。父は村長だったが暮らしは貧しく、9歳でソウル近郊に転居。小学校卒業後、農業専門学校に進学。工場勤務の後、軍隊に志願。20歳から5年間、海兵隊に所属した。除隊後、夜間の神学校に進み、教会に2年勤め、牧師をめざすと共に絵画にも没頭。90年には渡仏し、描いた絵を売って生計を立てながら絵画を学んだ。
93年一時帰国した折、韓国映画振興公社の脚本公募を知り、パリの経験を「画家と死刑囚」という脚本に書き始めた。ところが、脚本の書き方を知らなかったため、脚本作家協会教育院の基礎クラスに入学。パリに戻ることを延期して完成させた脚本が、なんと脚本作家協会の賞を受賞。以後は脚本執筆に専念。
96年には「鰐(ワニ)」で監督デビュー。以後、毎年のように発表し続けてきた。
日本に初めて紹介された作品は「魚と寝る女」だが、この作品で世界のキム・ギドクとして注目されることになる。
’96「鰐(ワニ)」、’97「ワイルド・アニマル」、’98「悪い女 青い門」、’00「魚と寝る女」、’01「受取人不明」、’02「悪い男」、’03「春夏秋冬そして春」、’04「サマリア」、’04「うつせみ」、’05「弓」、’06「絶対の愛」、’07「ブレス」、’08「悲夢」、’11「アリラン」、’11「アーメン」

なかなか変わった経歴の監督ですよね。
それに監督デビューして以降は毎年作品を発表し続けています。
ですが、2008年に「悲夢」を撮影した後、本作「アリラン」までの間に3年の空白があります。
そうなんです。監督は「悲夢」撮影後、映画界から姿を消してしまったのです。

何が起こったのでしょうか?

ギドク監督が言っています。
私は今、映画を撮れない。だから、自分を映画にして撮っている。
その中で私自身の人生を語り、映画監督キム・ギドクと人間キム・ギドクを語る。
これはドキュメンタリーでもドラマでもあり、ファンタジーでもある。
なんの計画もないが、今、何かを撮らなければ幸せになれないから、自分を撮っている


気になります。一体、何があったんでしょう。
この続きは次回で。乞うご期待でございます。



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アリラン
脚本・監督・製作・撮影・録音・編集・音響・美術/キム・ギドク
出演
キム・ギドク
3月3日(土)シアター・イメージフォーラムにてロードショー
2011年、91分、韓国、配給/クレスト・インターナショナル
http://www.arirang-arirang.jp/

by Mtonosama | 2012-03-04 05:43 | 映画 | Comments(10)