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殿様の試写室

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プリピャチ -2-
PRIPYAT 

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©NIKOLAUS GEYRHALTER FILMPRODUKTION GMBH

チェルノブイリ原子力発電所事故とは、1986年4月26日1時23分(モスクワ時間)にソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故。後に決められた国際原子力事象評価尺度 (INES) において最悪のレベル7(深刻な事故)に分類される事故である。(Wikipediaより)

映画はワンシーンワンカットで登場人物をとらえ、彼らはカメラに向かって話します。
どの登場人物もスクリーンに映し出された人というより、観客に向かって直接話しかけているように感じられます。
これはきっと私たちが福島を背負ってこの映画を観ているからなのだと思います。

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オリガ・グリゴリエヴナ・ルドチェンコさんとアンドレイ・アノトノヴィッチ・ルドチェンコさんは
チェルノブイリ市に住む老夫婦です。彼らは事故の後、一旦は移住しましたが、
1993年、事故から7年経って、再び故郷に帰ってきました。
夫が話せば、妻もしゃべり、妻が話せば、夫が口をはさむ。
仲が良いのか悪いのか、それでも寄り添って、プリピャチ川の水を汲み、森できのこを採って食べています。
放射能のことはもちろん知っています。このまま、この地に住み続けるのでしょう。

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ジオイーダ・イワノビナ・クラスノジョンさんはプリピャチ市の環境研究所「ラデク」に勤務する女性です。
事故以前はプリピャチ市に住んでいました。彼女にとっては職住接近の理想的な環境でした。
現在、彼女はキエフに移住し、職場へはバスで通勤しています。
帰社時には職場で着ていたものは全部着替えてからバスに乗ります。
彼女が語る事故直後の状況、何も知らずに現場へ駆りだされてきた若者たちのその後を
彼女は深い怒りを持って語ります。

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ニコライ・ニコラエヴィチ・スヴォーロフさんはチェルノブイリ原発の技術者であり、
3号機ブロック配電盤シフト勤務のリーダーとして勤務しています。
彼は原発の安全について「私が保証します」と胸をたたきます。
とはいえ、彼の給料は自分と家族を養うには足りません。
また、数ヶ月前からはまったく支払われていないといいます。
原発を安全に稼働させるためには、
まずは現場で働く人々が十分に収入を得られることが条件ではないでしょうか。
安全な原発なるものがあるとしたら、ですが。

マリヤ・ブルカさんはゾーンの境界地域にあるポレスコエという村に住んでいます。
彼女は移住を希望し、10年以上順番を待っています。
その間に村の生活条件はひどく悪化しました。彼女は言います。
「ちょっと外出すると、もう誰かが家の周りをうろついている。誰も私たちのことを気にかけてくれない」……

チェルノブイリ事故が起きたのが、ソ連の時代だったということ。
その後、ソ連が崩壊し、混乱が続いたことが、
このインタビューで語られた様々な事実の原因だと簡単に語ることはできません。
しかし、ただひとつ言えることは福島をこうしてはいけない、ということ。
30km圏内に暮らす人々、なんの情報も与えられずチェルノブイリに駆けつけて
放射線被害を受けた若い人々の犠牲を犠牲に終わらせないためにも福島の今後はあるのだと思います。

ニコラウス・ゲイハルター監督は「後の世代にとっての年鑑のようなもの」としてこの映画を撮ったと言います。
この映画の中で語られるルドチェンコさんやジオイーダさんたちの声に耳を傾け、
福島を、私たちの生活を、そして、原子力発電を考え直していきたいと思います。

事故は繰り返されてしまったんですから。





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☆3月1日に更新しました。いつも応援ありがとうございます☆

【署名のお願い】自然エネルギー100%と原発の段階的廃止を実現するため「エネルギー基本計画」を変えよう!

プリピャチ
監督・撮影/ニコラウス・ゲイハルター
3月3日(土)渋谷アップリンク他にて全国順次ロードショー
1999年、オーストリア、モノクロ、100分、配給/アップリンク

by Mtonosama | 2012-03-01 05:50 | 映画 | Comments(13)