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殿様の試写室

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<   2012年 07月 ( 10 )   > この月の画像一覧

あの日 あの時 愛の記憶
 -2-
Die Verlorene Zeit

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(C)2010 MediaPark Film- und Fernsehproduktions GmbH

事実は映画より奇なり。
なぜ、本作が実話であると聞いて驚いたか、といえば、
アウシュヴィッツ収容所に収容された者同士が恋に落ちることが可能なのか、
という疑問があったからです。

自分の命が、明日、いや、今日でさえどうなるかわからないのに、
人を愛する気持ちになどなれるのか。
まして、常に拘束され、監視された状況にあって人は愛を交わすことができるのか。
(すいません。下世話な疑問で)

そんな疑問は吹っ飛んでしまいました。
人間の力強さにあらためて感銘を受ける映画です。


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ストーリー
1976年、ニューヨーク。
ドイツからアメリカに渡り、優しい夫と娘に囲まれて穏やかな日々を送るハンナ。
その日は夫の研究が表彰され、祝賀ホームパーティを行うことになっていた。
ハンナはパーティ用のテーブルクロスを受け取りにクリーニング店へ行き、
そこで「あの声」を聞いた。
「あの声」はテレビから聞こえていた。
画面では戦争中に死んだと聞かされていたトマシュがインタビューを受けていた――

1944年、ポーランド。
ハンナとトマシュはアウシュヴィッツ強制収容所で出会い、恋に落ちた。
政治犯として収容されたトマシュはユダヤ人よりは自由がきく立場。
とはいえ、危険な中、ふたりはむさぼるように逢瀬を重ねる。

トマシュは脱走を計画していた。
収容所の実態を撮影したフィルムを外部に届けるという任務があったからだ。
その時にハンナも伴うことを決めていた。
ハンナは妊娠していたが、それをトマシュに告げないまま、一緒に脱走することを決意。

その日、ドイツ軍の制服を身につけ、ナチス分団長になりすましたトマシュは
ハンナを囚人番号で呼び出す。
「73804番、来い!」。
うつむいたまま、トマシュの命令に従うハンナ。
出口で門番の追及をかわし、収容所を出たふたりは森に駆け込み夢中で走り続けた。

1976年、ニューヨーク。
ハンナは赤十字社に電話をかけ、トマシュの再調査を依頼。

1944年、ポーランド。
森を逃げ、農家の洗濯物を盗み、さらに逃亡するハンナとトマシュ。
森の奥でふたりは初めて肌を合わせ、愛し合うのだった。
その後、鍵をつけたまま駐車してあった車に乗り込み、逃げ続けるふたり。

1976年、ニューヨーク。
パーティの最中、客と話すハンナの眼にトマシュの幻影が。
思わず、しばらく吸うことのなかった煙草に手を伸ばすハンナ。

1944年、ポーランド。
盗んだ車の助手席で微笑みながらタバコをくゆらすハンナ。
車が着いたのはトマシュの実家。だがその家はドイツ軍に接収されていた。
納屋に身をひそめるふたり。
トマシュはハンナを婚約者として母親に紹介するが、
母はハンナがユダヤ人と知るや激しく彼女を拒絶する。

その晩、ハンナは高熱を出す。
だが、急にレジスタンスの召集がかかったトマシュは「二日で帰る」と言い残し、
ワルシャワへ旅立ってしまった。
その別れが、その後の32年の失われた時につながるとは知る由もなかった……


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ふたりの愛が芽生えた場所は確かに特殊なものではありましたが、
失われた時を求める経緯は誰にでも起こりうること。
狂気の時代を描いた歴史的な映画ではあるのですが、
その実、生を全うしようという人間の心の彷徨を描いた作品なのかもしれません。

胸にしまいこんだ重い過去も、死ぬ前には納得のいく形に清算したいな、
と150歳にもなるとしみじみ思うのであります。





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あの日 あの時 愛の記憶
監督/アンナ・ジュスティス、脚本/パメラ・カップ、プロデューサー/スヴェン・ヴォルト、撮影/セバスティアン・エットシュミット、編集/ウタ・シュミット、音楽/ユリアン・マース、クリストフ・M・カイザー
出演
アリス・ドワイヤー/ハンナ・ジルベルシュタイン(‘44)、マテウス・ダミエッキ/トマシュ・リマノフスキー(‘44)、ダグマー・マンツェル/ハンナ・レヴィーン(‘76)、レヒ・マッキェヴィッチュ/トマシュ・リマノフスキー(‘76)、スザンヌ・ロタール/トマシュの母、ヨアンナ・クーリーグ/トマシュの義姉、アドリアン・トボル/トマシュの兄、フロリアン・ルーカス/ナチス将校、シャンテル・ヴァンサンテン/ハンナの娘、デヴィッド・ラッシュ/ダニエル・レヴィーン(ハンナの夫)
8月4日(土)銀座テアトルシネマ他全国順次ロードショー
2011年、111分、ドイツ、英語・ドイツ語・ポーランド語、後援/東京ドイツ文化センター、配給/クレストインターナショナル
http://ainokioku.jp/

by Mtonosama | 2012-07-30 05:41 | 映画 | Comments(10)
あの日 あの時 愛の記憶
 -1-

Die Verlorene Zeit

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(C)2010 MediaPark Film- und Fernsehproduktions GmbH

事実は小説よりも奇なり。
すいません。ありきたりな言葉で。

しかし、本作「あの日 あの時 愛の記憶」はまさにこの言葉がぴったりの映画なのです。
オリジナルタイトルDie Verlorene Zeitは“失われた時”という意味のドイツ語。
あ、マルセル・プルーストの大作に「失われた時を求めて」がありましたね。

「失われた時」。
それこそがまさにこの映画が「奇」なるところなのです。
ハンナとトマシュ。
本作の主人公です。ハンナはユダヤ人、トマシュはポーランドの政治犯。
彼らが出会った場所はアウシュビッツ収容所、恋に落ちた場所もアウシュビッツ収容所。
そして、ふたりはそこからの脱出に成功します。

ありえない場所で恋に落ち、ありえないことに、死の収容所からの脱出に成功する――
なんとこれが実話だというのです。

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ハンナとトマシュのモデルになったのはシーラとイエジーという実在の人物。
ドイツのテレビドキュメンタリーでこのふたりを知った本作のプロデューサーが
パメラ・カップに脚本を依頼したのが、本作誕生のきっかけです。

しかし、驚くべきことにアウシュヴィッツ収容所からの脱出は600件あり、
その内の三分の一は成功していたのだそうです。
1944年にはこの映画で描かれた同じ状況で脱出できた男女も4組いたということです。

これが実話だとしても、戦争終結から67年も経った今、
ハンナやトマシュが生きていればもうかなりなご高齢です。
(実際には、モデルとなったシーナは2005年に、イエジーは2011年に亡くなっています。)

おじいさんおばあさんになったふたりのありえない体験を映画化するのも興味深いです。
しかし、この映画で描かれているのは失われた時と向き合うこと。

失われた時ってなんでしょう。

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どうも歴史としての「時」ではなく、
一組の男女の間に経過した「時」。
まして、さまざまな成り行きから生き別れることになった恋人たちにとって、
抱え込まれた暗い過去のまま、しこりになって留まっている「時」のようです。
映画に描かれた1944年から1976年までの36年。
重いけれど、それほど遠くはない「時」です
私たちにとっては1976年が既に36年前の過去になってしまいましたが――

抱え込まれ、誰にも明かすことのできない「過去」は成長することのない「失われた時」
となって死の床にまで持ち込むしかないのでしょうか。

いえいえ、そうではありませんでした。

さあ、どんなお話なのでしょう。
続きは次回までお待ちくださいませ。乞うご期待でございますよ。



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あの日 あの時 愛の記憶
監督/アンナ・ジュスティス、脚本/パメラ・カップ、プロデューサー/スヴェン・ヴォルト、撮影/セバスティアン・エットシュミット、編集/ウタ・シュミット、音楽/ユリアン・マース、クリストフ・M・カイザー
出演
アリス・ドワイヤー/ハンナ・ジルベルシュタイン(‘44)、マテウス・ダミエッキ/トマシュ・リマノフスキー(‘44)、ダグマー・マンツェル/ハンナ・レヴィーン(‘76)、レヒ・マッキェヴィッチュ/トマシュ・リマノフスキー(‘76)、スザンヌ・ロタール/トマシュの母、ヨアンナ・クーリーグ/トマシュの義姉、アドリアン・トボル/トマシュの兄、フロリアン・ルーカス/ナチス将校、シャンテル・ヴァンサンテン/ハンナの娘、デヴィッド・ラッシュ/ダニエル・レヴィーン(ハンナの夫)
8月4日(土)銀座テアトルシネマ他全国順次ロードショー
2011年、111分、ドイツ、英語・ドイツ語・ポーランド語、後援/東京ドイツ文化センター、配給/クレストインターナショナル
http://ainokioku.jp/

by Mtonosama | 2012-07-27 07:23 | 映画 | Comments(8)
The Lady
アウンサンスーチー 
引き裂かれた愛
-2-
The Lady

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Photos:Magali Bragard/Vincent Perez
©2011 EuropaCorp-Left Bank Pictures- France 2 Cinéma


軍事政権が続いたビルマ(現ミャンマー)は今や民主化が進み、日本でもそのニュースを度々眼にします。
そして、その中心には必ずといっていいほどアウンサンスーチーの名前と顔を見ることができます。
ビルマでは今でこそ実名を口にすることができますが、
軍事政権時代には彼女のことを「The Lady」と呼ぶことしかできませんでした。
その名は軍によって危険なものとみなされていたからです。

アウンサンスーチーはビルマ民主化運動のリーダーであり、
通算して15年もの間、自宅軟禁を強いられ、家族と会うことも困難な中、闘い続けた強く美しい女性です。
さあ、彼女はいかに生き、いかに闘い、いかに愛したのか、後を追ってみましょう。


ストーリー
1947年
屋敷の庭園で幼い娘に優しく語りかけ、その髪に花をさす父親。
幼い娘にとって、それが父の最期の姿だった。

1988年イギリス、オックスフォード。
アウンサンスーチーはオックスフォードでチベット・ヒマラヤの研究をする夫マイケル・アリスと息子二人と静かで幸福な日々を送っていた。
だが、ある日、ビルマ在住の彼女の母が心臓発作で倒れたとの連絡が入り、
スーチーは一人ビルマに向う。

1988年ビルマ、ラングーン(現ヤンゴン)。
病院で母の看病をしていたスーチーは負傷した学生たちが次々と病院にやってくる様子を見て息を呑んだ。ビルマでは1962年のクーデターから続く軍事独裁政権に抗する民主化闘争が激化。学生たちを中心としたデモ隊に対し、軍部は無差別に発砲するなど血まみれの制圧が続いていた。

病院から自宅へ母を連れ帰ったスーチーの許に、イギリスから夫と息子たちが。
そこへ、「ビルマ建国の父」アウンサン将軍の遺児スーチーの帰国を知り、
民主運動家たちも彼女の選挙出馬を求め駆けつけた。
固辞するスーチーを後押ししたのが「今がその時だ」という夫マイケルの言葉と人々の熱意だった。

マイケルと息子たちが見守る中、数十万人の聴衆の前で演説するスーチー。
「私は長く外国で暮らし、夫は英国人です。しかし、そのことで祖国への愛が揺らぐことはないし、
この国で今起きていることに対し無関心でいることもできません――」

民主化運動のリーダー・アウンサンスーチーの誕生した瞬間であった。
だが、その姿を見て顔色を変えた人間がいた。独裁者ネ・ウィン将軍である。
選挙に向け準備を進めるスーチーの自宅に軍部が乱入。
夫マイケルのビザを取り消し、即刻国外退去を命じたのだった――

街中で、農村で、遊説を続けるスーチー。
どこに行っても人々から歓迎される彼女に恐れをなしたネ・ウィン将軍はスーチーをイギリスに帰そうと画策。だが、毅然としてそれを拒むスーチーにいよいよ銃口が向けられた――

激しさを増す軍の態度に心配を募らせた夫マイケルは、妻を救うためにある行動に出た。
彼はノーベル平和賞選考委員を訪れたのだ。スーチーがこの賞を受賞することによって世界がビルマ軍事政府の暴挙に非難の眼を向け、妻の安全が守られることになると考えたからだ。

ところがスーチーのノーベル平和賞受賞が確実視されるや、
ネ・ウィン将軍は彼女を自宅軟禁に処したのである。
電話線は切断され、家には鉄条網が巻かれ、
彼女は国民からも、世界からも、夫マイケルや息子たちからも引き離されてしまった……

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2007年、日本人ジャーナリスト長井健司氏が取材中に射殺されたことで記憶に新しいあの反政府デモ。
次第次第に増えていく鮮やかな僧衣の僧侶たち、
彼らを守るように市民の中からひとりひとり行進に参加し、それがうねりとなってラングーンを包んでいきます。
まさにリアルタイムのビルマの動きがスクリーンに展開します。
ああ、私たちは時代の中にいるのだ、と感動するシーンでした。

それにしても自宅軟禁とはその言葉の醸す雰囲気以上に厳しいものなのですね。
以前、ニュースで見たあの風景が映画の中でリアルに迫ってきます。
あの時、スーチーさんはこんな気持だったのか、と改めて思いを深くしました。

彼女の闘いと現在伝わってくるビルマの様子を見ると、今さまざまな問題が起きている国々にも
きっといつか変わる日が訪れるのではないかという希望を持つことができます。
変わらない信念、支えてくれる家族の大切さを心底感じることができました。
テヘッ、ちょっとまじめになってしまったとのでございます。





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The Lady アウンサンスーチー 引き裂かれた愛
監督/リュック・ベッソン、脚本/レベッカ・フレイン、製作/ヴィルジニー・ベッソン=シラ、アンディ・ハリース、撮影/ティエリー・アルボガスト、音楽/エリック・セラ
出演
ミシェル・ヨー/アウンサンスーチー、デヴィッド・シューリス/マイケル・アリス、ジョナサン・ラゲット/キム、ジョナサン・ウッドハウス/アレクサンダー、スーザン・ウールドリッジ/ルシンダ、ベネディクト・ウォン/カーマ、フトゥン・リン/ネ・ウィン将軍、アガ・ポエチット/タン・シュエ
7月21日(土)全国ロードショー
2011年、フランス、2時間13分、字幕翻訳/松浦美奈、配給/角川映画、http://www.theladymovie.jp/

by Mtonosama | 2012-07-24 06:40 | 映画 | Comments(8)
The Lady
アウンサンスーチー
引き裂かれた愛

-1-
The Lady

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Photos:Magali Bragard/Vincent Perez
©2011 EuropaCorp-Left Bank Pictures- France 2 Cinéma


実在の人物を描いた映画というのは、〈観たい気持〉が半分、〈観たくない気持〉も半分。
なかなか複雑なものです。
まして、アウンサンスーチーさんという偉大な女性に関しては、
どんな風に撮られるのだろうという不安も湧いてきてしまいます。

しかし、監督はリュック・ベッソンですし、
本物のアウンサンスーチーさんは、今年6月ノーベル平和賞の受賞演説をするため、
オスロに赴き、亡命ミャンマー人らから熱烈な歓迎をうけたばかり。
その後もリアルタイムで彼女をめぐる様々なニュースを見ることができます。

まさに〈時の人〉の彼女。
この時期、その半生を描いた映画が公開されるということは
自分たちもまた同時代を生きる人間であるということを再認識させられますよね。
なにやら興奮します。
1991年当時ノーベル平和賞を受賞しながら、
自宅軟禁されていたため出席することもできなかったことを思うと、
アウンサンスーチーさんならずとも感無量であります。

アウンサンスーチーさんをめぐるこの時の動きに感応すれば、
実在の人物の映画を観るのはちょっと…なんてことは言っていられません。
もう観るしかありません。
背中を押される気分で観てきました。

さて、映画の前に彼女とビルマ(現ミャンマー)の大まかな年表を。

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アウンサンスーチー
1945年6月19日 アウンサンスーチー、ビルマの独立運動家で国民的な指導者アウンサン将軍
とキンチーの間にビルマの首都ラングーン(ヤンゴン)に生まれる。

1947年7月19日 アウンサン将軍、暗殺。
1948年1月 4日 ビルマ、英国から独立。
1960年     アウンサンスーチー、インド大使となった母に同行してインドへ。
1962年3月 2日 軍事クーデター起こる。ネ・ウィン将軍の軍事政権成立。
1964年     アウンサンスーチー、オックスフォード大学で哲学、政治学、経済学を学
び、1969年に学士号を修得。

1969年     NYの国連事務局で行財政問題諮問委員会の書記官補として勤務(~‘71)
1972年1月 1日 アウンサンスーチー、チベット研究者マイケル・アリスと結婚。
1973年     長男アレクサンダー誕生
1974年12月   ネ・ウィン、ビルマ連邦社会主義共和国大統領になる。
1977年     次男キム誕生。
1985年     京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として来日(~‘86)
1988年3月    母の看護のためビルマへ帰国。         
この頃、ビルマでは学生を中心に反政府運動が激化。
1988年8月26日  シュエダゴン・パゴダ前広場で50万人に向けて演説。   
1988年9月24日  翌年の選挙への参加を目指し、国民民主連盟の結党に参加。書記局長 になる。
1989年7月20日  ラングーンの自宅で軟禁状態に置かれる。
1989年      国名ビルマからミャンマーに。
1990年5月    総選挙実施。
国民民主連盟は485議席中392議席を獲得。大勝。しかし、政府は選挙結果を無効とし、国民民主連盟の主要メンバーが多数投獄される。
1991年10月   ノーベル平和賞受賞。
1995年7月10日  6年間の自宅軟禁から解放される。(しかし、その後も00年~02年、03年~10年と自宅軟禁)
1997年      ビルマ、東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟。
1999年3月27日   夫マイケルがガンで死去。
2007年      政府に対する仏教僧による大規模な抗議行動が起き、全国規模に拡がる。政府は武力制圧。9月27日にはデモ取材中の日本人ジャーナリスト長井健司氏が兵士に射殺された他、多数の死傷者が出る。
2008年      政府が総選挙実施を発表。新憲法案の国民投票を実施、可決される。
2010年      総選挙実施。軍政系の政党が勝利。国民民主連盟は不参加。
2010年11月    自宅軟禁から解放される。 

さあ、この後も怒涛の進撃のごとく、ビルマの情勢は刻々と変化し続けているわけですが、
なんと、アウンサンスーチーさんが日本に1年間住んでいたとは!
そして、日本から帰国した翌年から彼女の長い闘いが始まったのですね。

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さて、彼女を演じる女優は、
「グリーン・デスティニー」(‘00)、「SAYURI」(’05)、
「ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝」(‘08)に出演したミシェル・ヨー。
1962年マレーシアに生まれ、バレリーナを目指しロンドン入学するも怪我のため断念、
という経歴もあって、アウンサンスーチーさんと同じくスレンダーな体型の持主です。
でも、顔は全然似ていません。
そのため、なんとなく違和感を抱いてしまっていたのですが、
映画を観ている間に、スーチーさんにしか見えなくなってしまいました。
200時間にも及ぶ彼女の映像を入手し、
彼女の話す英語、ビルマ語、所作を完璧にマスターした成果なのでしょうね。

さて、そんなアウンサンスーチーさんを描いた映画。
彼女の半生は一体いかなるものなのでしょう。続きは次回に。乞うご期待でございます。



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The Lady アウンサンスーチー 引き裂かれた愛
監督/リュック・ベッソン、脚本/レベッカ・フレイン、製作/ヴィルジニー・ベッソン=シラ、アンディ・ハリース、撮影/ティエリー・アルボガスト、音楽/エリック・セラ
出演
ミシェル・ヨー/アウンサンスーチー、デヴィッド・シューリス/マイケル・アリス、ジョナサン・ラゲット/キム、ジョナサン・ウッドハウス/アレクサンダー、スーザン・ウールドリッジ/ルシンダ、ベネディクト・ウォン/カーマ、フトゥン・リン/ネ・ウィン将軍、アガ・ポエチット/タン・シュエ
7月21日(土)全国ロードショー
2011年、フランス、2時間13分、字幕翻訳/松浦美奈、配給/角川映画、http://www.theladymovie.jp/

by Mtonosama | 2012-07-21 07:34 | 映画 | Comments(4)
ぼくたちのムッシュ・ラザール
-2-
Monsieur Lazhar

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micro_scope inc. (C) 2011 Tous droits reserves

この映画のタイトルを観てフランス映画と思ってしまったのは、
もちろんタイトルがフランス語だからなのですが、
とのが観たフランス映画って案外学校ものが多いんです。
昨年6月、当試写室で上映した幼稚園児が哲学するドキュメンタリー「ちいさな哲学者たち」
http://mtonosama.exblog.jp/16126125/ http://mtonosama.exblog.jp/16140994/
もそうでしたし、一昨年の4月には「パリ20区、僕たちのクラス」
http://mtonosama.exblog.jp/m2010-04-01/ http://mtonosama.exblog.jp/m2010-04-01/
を上映しています。
あとは自分の村でとれた無農薬野菜を小学校の給食に出すなんていう
ドキュメンタリー映画も上映したような記憶が。
まだあった。田舎の小学校の先生と子どもたちの1年を追った素朴なドキュメンタリーも
印象に残ります。150歳にもなると恋愛映画より子どもを描いた作品が気になるようです。

あ、また横道にそれてしまいました。
本作はカナダ映画です。でも、ケベック州と言うフランス語圏だからタイトルも言葉もフランス語というだけ。

前置きが長くなりました。


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ストーリー
モントリオールの小学校。
いつもと変わらない風景の中で、子どもたちが笑いさざめきながら雪の校庭で教室に入るまでのひとときを過ごしています。
その日、クラスの牛乳当番だった男児シモンは皆より一足早く校舎内に入り、
牛乳の準備にとりかかりました。クラス全員の牛乳をカゴに入れ、
教室のドアを開けようとしましたが、中から鍵がかかっています。

不思議に思い、教室内を覗きこむと目に飛び込んできたのは
首を吊っているマルティーヌ先生の姿でした。
シモンの報告を聞いた教師たちは、授業開始のベルで校内になだれこもうとする子どもたちを
押しとどめたのですが――
異変に気づいた女児アリスも<それ>を見てしまいました。

マルティーヌ先生の自死から1週間。
学校は子どもたちのケア、保護者への説明、そして、マルティーヌ先生に代わる教員の手配に追われていました。

そこへ現れたのがアルジェリアからの移民バシ―ル・ラザール。
「母国で19年間の教師経験があり、子どもたちの助けになりたい」とラザール氏は校長に直談判。
校長は他に選択肢もないまま、正直そうなラザール氏を担任として採用したのでした。

「バシールの意味は『良い知らせ』。ラザールの意味は『幸運』です」
こんな自己紹介からラザール先生と子どもたちとの新しい学校生活が始まります。
優しく穏やかなラザール先生は子どもたちともすっかり打ち解けました。
でも、その授業スタイルも先生の教えるフランス語も古臭く、
教材の選択も小学生にふさわしいものではありません。

ある日ラザール氏は弁護士と一緒に裁判所の審議官の前に座っていました。
実はラザール氏は正式な移民ではありません。
母国アルジェリアで教職に就いていた妻は、国の政策を批判したため、娘達と共に殺され、
唯一生きのびたラザール氏だけがこの地に難民として逃れていたのでした。
現在、彼は難民申請中の身であり、政治難民として受け入れられるかどうかもまだわからない身の上。
教師として採用されはしましたが、教職経験などなかったのです。

学校でダンスパーティがあった日。
いつもシモンにからかわれているマーティンが怒って、シモンの持っていた写真を奪い、ケンカになりました。
2人の仲裁に入ったラザール先生はその写真を見て衝撃を受けます。

写真にはマルティーヌ先生が写っており、その背中にはマジックインクで羽が、
首にはロープが描かれていたからです。
マルティーヌ先生の死はシモンの心に深い影を落としていました。
実はシモンとマルティーヌ先生の間にはちょっとした事件があったのです。

それは落ち込んでいたシモンをマルティーヌ先生がハグしようとし、
それを拒んだシモンが「先生にキスされた」と言いふらしたこと――
そのことが大きな問題になったため、
それ以降、学校側はいかなるときにも教師が生徒に触れることを禁じ、今に至っています。

授業中、マルティーヌ先生の話になりました。
意を決したラザール先生は子どもたちに問いかけます。
「マルティーヌ先生について話したい人はいる?」
するとアリスがシモンを指差します。
いきなり指名され動揺しながらもシモンは話し始めました。
「キスは嘘だ。でも、ハグもしてほしくなかった――」
シモンは自分の言葉のためにマルティーヌ先生が死を選んだのではないかと、
ずっと自分を責め続けていたのです。
ラザール先生は子どもたちに静かな声で語りかけます。

とうとうラザール先生が教員の資格どころか、
カナダの永住権さえ持っていないことが明らかになる日が来てしまいました……


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波風を立てないように、と気を配るばかりに、
教師と生徒の間のちょっとした触れ合いまでも禁止してしまう画一的な事無かれ主義。
学校はしつけなど教えず、勉強さえしっかりやらせてくれればいいという保護者。
校長はじめ大半が女性教師の小学校。

日本ともどこか通じるところがある光景です。
人権も民主主義もしっかり根付いている先進国カナダへ
難民申請しているアルジェリア人のラザール先生は母国で妻も子もテロで失っています。

人権も国としてのインフラも、まだまだカナダの後塵を拝しているアルジェリア難民のラザール先生。
スマートで清潔で先進的な国の大人たちが失いかけている誠実さ、真剣さを
誰よりも強く持っているのもラザール先生なんですね。

教室で自死を選んだマルティーヌ先生の本当の気持ちはだれにもわかりませんが、
子どもたちにとっては触れてはならない事実として覆い隠されることが果たして良いことなのか。
ラザール先生はそのことを誰よりも真剣に考え、子どもたちにも考えさせました。

不器用に、無骨に、そして勇敢に、死から眼を逸らさないラザール先生は
都会に吹き抜ける異文化の風というべきでしょうか。
それとも、国境を越えた真摯な哲学者とでもいうべきでしょうか。

ラザール先生を演じた、自身も亡命者であるという俳優フェラグの演技が光りました。





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ぼくたちのムッシュ・ラザール
監督・脚本/フィリップ・ファラルドー、原作/エヴリン・ド・ラ・シュヌリエール、製作/リュック・デリー、キム・マックルー、撮影/ロナルド・ブランテ(C.S.C)、編集/ステファーヌ・ラフルール、美術/エマニュエル・フレシェット、音楽/マルティーヌ・レオン
出演
フェラグ/ラザール先生、ソフィー・ネリッセ/アリス、エミリアン・ネロン/シモン、ダニエル・プルール/ヴァイアンクール校長、ブリジット・プパール/クレール先生、ルイ・シャンパーヌ/清掃員、ジュール・フィリップ/ガストン先生、フランシーヌ・ルール/デュマ先生、ソフィー・サンカルティエ/オードリー先生、エヴリン・ド・ラ・シュヌリエーヌ/アリスの母、マリー・シャルルボワ/弁護人、ニコ・ラガルド/心理カウンセラー
7月14日(土)シネスイッチ銀座他全国順次ロードショー
2011年、カナダ、フランス語、95分、特別協力/ケベック州政府在日事務所、後援/カナダ大使館、提供/ニューセレクト、ザジフィルムズ、配給/ザジフィルムズ、アルバトロス・フィルム、文部科学省特別選定(青年・成人向け)
http://www.lazhar-movie.com/

by Mtonosama | 2012-07-18 06:46 | 映画 | Comments(11)
ぼくたちのムッシュ・ラザール
-1-
Monsieur Lazhar

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micro_scope inc. (C) 2011 Tous droits reserves

「ぼくたちのムッシュ・ラザール」(Monsieur Lazhar)。
オリジナルタイトルはフランス語ですが、フランス映画ではありません。

カナダのケベック州、フランス語を公用語とする州ですが、
そのケベック州最大の都市モントリオールの小学校を舞台にした映画が
「ぼくたちのムッシュ・ラザール」。
モントリオールはフランス語圏の都市としてはパリに次いで第2位の人口を誇り、
フランス語と英語のバイリンガル率は57%なのだとか。

ムッシュ(monsieur)
例のジュブジュブと囁くような感じでムッシュ(Monsieur)と話しているのを聞くと
ゾクッとするのはとのだけでしょうか。
あ、ここでのゾクッは良い意味ですが。

さあ、ムッシュ・ラザール――
いったいどんな人物なのでしょうね。

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ある冬の朝、モントリオールの小学校の教室で担任の女教師が首を吊って死んでいるのを、
牛乳当番の男児が発見したのが物語の始まりです。
生徒たちが一日の大半を過ごす教室で担任教師が自殺するなどあってはならないことです。
が、それはひとまず脇に置いておきましょう。

発見者の男児はもちろん、生徒たちは大きなショックを受け、
学校も生徒たちの心のケアや後任の先生探しに追われます。
しかし、急なことなので後任探しもなかなか難しい。
そこへ現れたのがムッシュ・ラザールという訳です。

ラザール氏はアルジェリア移民の中年男性。
「教師自殺」の新聞記事を読んで応募してきたという誠実そうな人物です。

さっそく代用教員として採用されましたが、教え方も授業内容もどこか時代遅れ。
生徒たちも亡くなった担任教師との違いにとまどいながらも、
いつも真剣なラザール先生になついていくというお話。

でも、これだと普通の学園ドラマですよね。
ま、当然それで終わる訳はありません。
そうでなければアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされ、
カナダ・アカデミー賞主要6部門を独占するなんてことはない筈です。

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原作は、女優としても活躍するエヴリン・ド・ラ・シュヌリエールの戯曲。
彼女は本作にも児童の母親役として登場していますよ。

彼女の芝居を観た瞬間に、この映画をつくろうと思ったという監督は
ケベック州出身のフィリップ・ファラルドー。
本作が映画4作目となります。
原作となった舞台劇“Bashir Lazhar”を観ながら、
映画を想像し、教室や芝居には出てこない子どもたちを想い浮かべたというのですから、
その思いの深さは相当なもの。

実は、主人公のラザール先生は、この事件で大変なショックを負った子どもたちと同じくらい、
深い心の傷を負い、複雑な事情を持った人なのですが、その辺は追々と――

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しかし、この俳優さんの悲しみを秘めた視線とおおらかに子どもを包む演技には素晴らしいものがあります。
また、10~11歳という少しずつ大人になっていく子どもたちの素直な演技が良かったです。
まだこまっちゃくれてはおらず、かといって騒々しいだけの子どもでもなく、
知らず知らず微笑んでしまうくらい、可愛いかった。
あれ、とのってもしかしたら子ども好き?150歳になると人間もいろいろ変ってくるものです。
本作を観て、カナダの子どもたちって良い子なんだなぁって思ってしまいました。

さあ、どんなお話なんでしょうね。次回まで、乞うご期待であります。



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ぼくたちのムッシュ・ラザール
監督・脚本/フィリップ・ファラルドー、原作/エヴリン・ド・ラ・シュヌリエール、製作/リュック・デリー、キム・マックルー、撮影/ロナルド・ブランテ(C.S.C)、編集/ステファーヌ・ラフルール、美術/エマニュエル・フレシェット、音楽/マルティーヌ・レオン
出演
フェラグ/ラザール先生、ソフィー・ネリッセ/アリス、エミリアン・ネロン/シモン、ダニエル・プルール/ヴァイアンクール校長、ブリジット・プパール/クレール先生、ルイ・シャンパーヌ/清掃員、ジュール・フィリップ/ガストン先生、フランシーヌ・ルール/デュマ先生、ソフィー・サンカルティエ/オードリー先生、エヴリン・ド・ラ・シュヌリエーヌ/アリスの母、マリー・シャルルボワ/弁護人、ニコ・ラガルド/心理カウンセラー
7月14日(土)シネスイッチ銀座他全国順次ロードショー
2011年、カナダ、フランス語、95分、特別協力/ケベック州政府在日事務所、後援/カナダ大使館、提供/ニューセレクト、ザジフィルムズ、配給/ザジフィルムズ、アルバトロス・フィルム、文部科学省特別選定(青年・成人向け)
http://www.lazhar-movie.com/

by Mtonosama | 2012-07-15 06:20 | 映画 | Comments(4)
プリンセス・カイウラニ -2-
Princess Kaiulani

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(C)2010 Oahu Productions LLC.All rights reserved

「プリンセス・カイウラニ」の主役はハワイの美しい海とカイウラニ王女です。
また彼女が留学した英国ノース・ノーフォークにあるホーカム・ホールとその周囲をとりまく風景にも注目です。
あ、ハワイ王国の政治が行われたホノルル・イオラニ宮殿に初めてカメラが入ったことも
忘れてはいけません。

そして、ヒロインであるカイウラニ王女を演じたのは「ニューワールド」(‘06公開)で
ポカホンタスを演じて話題となったクオリアンカ・キルヒャー。
彼女のエキゾチックな美貌もさることながら、その人権活動家としての行動も
カイウラニ王女の勇敢な活動と重なるものがあります。

2歳から9歳までハワイ島で暮らし、ハワイ文化がその身にしみこんでいる彼女ですが、
16歳のときにワシントンD.C.で先住民族の権利を訴える国連宣言についてスピーチをしたこともあります。

今回の出演についても
「カイウラニ王女の生涯と彼女が国民のために訴えた嘆願は
3億6千万人以上の先住民の権利と独自の文化を守るという国連の宣言とも関連します」

と述べています。


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ストーリー
1889年。イオラニ宮殿に初めて電気が灯る。
点燈の式典でカイウラニ王女がスイッチを押したその時、反王制派が反乱を起こした。
騒乱の中、からくもハワイを脱出した王女は父アーチボルトと共に英国へ向かう。
彼女を迎え入れたのは父の旧友テオ・ディヴィーズとその家族。
息子クライヴは王女に邪険な振る舞いをみせるが、妹アリスは彼女を優しく受け入れた。

アリスと一緒に寄宿学校で学び始めた王女。
彼女を待ち受けていたのはいわれのない人種差別だった。
故郷からの手紙を教師によって破り捨てられたり、「醜い先住民!」と罵られたり。
英国での辛い生活の中で慰めとなったのはディヴィース兄妹の存在だった。
王女はいつの間にか、アリスの兄クライヴと愛し合うようになっていた。

そんなある日、悲報が入る。
サンフランシスコで療養していたカラカウア王が亡くなったというのだ。
ハワイでは叔母リディアがリリウオカラニ女王に即位。
そして、カイウラニ王女は女王によって王位継承権第1位に指名されたのである。

だが、ハワイではリリウオカラニ女王への軍事行動が画策されていた。
王国にとってきわめて不利な新憲法の押し付けを女王は断固として拒絶していたからだ。

そんな状況を知る由もない王女はクライヴのプロポーズを受け入れた。
それを知ったクライヴの父テオは「ハワイ王国崩壊」の電報を王女には見せないことにする。
何も知らない王女のもとを訪れた父アーチボルト。電報のことを知った彼女はクライヴに別れを告げ、故国ハワイへ向かう。

王政崩壊とアメリカ軍による国民虐殺の事実を知らされたカイウラニ王女は、
アメリカ大統領クリーブランドにハワイ暫定政権不支持を要請するためワシントンへ……



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愛を諦め、故国のために闘うことを選ぶカイウラニ王女の毅然とした態度に心打たれました。

最近、闘う女性の映画が目につきます。
先日試写を見た「The Lady アウンサンスーチー 引き裂かれた愛」もそうですし、
とのは未見ですが、「スノーホワイト」も闘う白雪姫なんですよね。

大きな声を出したり、武器を持って殺戮行為に走るのではなく、
知性と品格と勇気を持って凛として困難な事態に立ち向かう女性の姿には心底感銘します。
自分にできるできないは別問題として、見習いたいと思います。
こんな気持ちを与えてくれるのも映画の役割ですよね。

ああ、凛々しい女になりたいです。





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プリンセス・カイウラニ
監督・製作・脚本/マーク・フォービー、製作/ナイジェル・トーマス、ローリー・アぺリアン、リック・ガリンデス、ロイ・ティジョー、撮影/ガブリエル・ベルスタイン、音楽/スティーヴン・ウォーペック
出演
クオリアンカ・キルヒャー/カイウラニ王女、バリー・ペッパー/ローリン・サーストン、ウィル・パットン/サンフォード・B・ドール、ショーン・エヴァンス/クライヴ・デイヴィーズ、ジミー・ユィール/アーチボルト・クレグホーン、ジュリアン・グローヴァー/デオ・デイヴィーズ、タムシン・マーチャント/アリス・デイヴィーズ、レオ・アンダーソン・アカナ/リリウオカラニ王女、オーシャン・カオウィリ/カラカウア王
7月7日(土)新宿武蔵野館他にて全国順次ロードショー
2010年、98分、日本語字幕/松岡葉子、後援/ハワイ州観光局、配給/アニープラネット
http://www.princess-eiga.com/

by Mtonosama | 2012-07-12 08:01 | 映画 | Comments(8)
プリンセス・カイウラニ -1-
Princess Kaiulani

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(C)2010 Oahu Productions LLC.All rights reserved

「プリンセス・カイウラニ」はハワイを舞台にした映画です。
それも知られざる史実を描いた作品――

なんだかんだいいながらハワイものを上映することが多い当試写室でございます。
今年5月に上映したばかりの「ファミリー・ツリー」
http://mtonosama.exblog.jp/17519042/ http://mtonosama.exblog.jp/17531572/ 
から僅か2ヶ月しか経っていません。


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今回はハワイ王国最後の王女さまであるプリンセス・カイウラニが主人公の映画です。
前回の「ファミリー・ツリー」とはかなり違った作品ですので、
歴史もの、女性ものがお好きな向きにはまたまたお楽しみいただけることと存じます。



しかし、ハワイを訪れても、美しい風景と過ごしやすい気候にばかり気をとられ、
その歴史を意識することがありません。
こんなことじゃいけない、とハワイの人々の間にもハワイの歴史や伝統を大切にする動きも出ています。
昨年7月当試写室で上映した「ワンヴォイス」も
http://mtonosama.exblog.jp/16256283/ http://mtonosama.exblog.jp/16242302/
ネイティヴハワイアンの高校生たちが歌を通してハワイ語を覚え、
島の歴史や伝統を学びながら自分達のアイデンティティを意識し始めるまでを描いた作品でした。

「プリンセス・カイウラニ」は、この美しいハワイがアメリカ50州目に加えられる前、
ハワイ王国によって治められていた頃のお話です。

ハワイがアメリカ合衆国最後の州に加盟するまでの歴史をウィキってみましたら、
いや、もう大変な歴史があったんですね。


1898年米西戦争の折、ハワイの重要性を認識したアメリカは、3年前に滅亡したハワイ王国を併合し、ハワイ準州としました。当時の大統領は前任者クリーブランド大統領とは対照的に帝国主義政策を進めたマッキンリー。これ以後、ハワイはアメリカの太平洋支配の拠点となり、パールハーバーに大海軍基地が建設され、それは現在もアメリカ海軍太平洋艦隊の基地として重要な地位を占めています。

と、これが簡単過ぎるハワイ州成立時とそれ以後の話。

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映画はハワイ王国最後の王女さまプリンセス・カイウラニを主人公にした物語です。
太平洋上に全長2400kmにわたり8つの島と100以上の小島から成るハワイ諸島によって構成されたハワイ。
その地勢と利権に目をつけたアメリカ人の策略でカイウラニ王女は故郷を追われました。
愛するハワイと国民の権利を求め、23歳で若すぎる死を迎えるまで闘い続けた王女。
彼女の生きた時代はまさにアメリカによってハワイ王国の命運がつきる頃と重なります。
知らなかったハワイ史とハワイ文化。そして、王女の秘められた悲恋。

優雅で誇り高く、国と国民を愛し抜いた王女は毅然としていて、あのアウンサンスーチー女史を連想させます。
(あ、アウンサンスーチーさんが主人公の「ザ・レディ」も近日公開です)

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夭折する美しいプリンセス――
もうそれだけで絶対に観たくなってしまう本作を監督したのは、
これがデビュー作となるマーク・フォービー。

ハワイに生まれ育った妻のレイラニと共にイオラニ宮殿を観光中、目に焼きついたのがカイウラニ王女の写真。
彼女の写真を見て、本作の企画を思いついたということです。
当時のハワイ王族の手紙を閲覧するなど、リサーチと歴史研究を重ね、2年を費やした後に
脚本を完成させました。

さあ、一体どんなお話でしょうか。
乞うご期待でございますよ。



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プリンセス・カイウラニ
監督・製作・脚本/マーク・フォービー、製作/ナイジェル・トーマス、ローリー・アぺリアン、リック・ガリンデス、ロイ・ティジョー、撮影/ガブリエル・ベルスタイン、音楽/スティーヴン・ウォーペック
出演
クオリアンカ・キルヒャー/カイウラニ王女、バリー・ペッパー/ローリン・サーストン、ウィル・パットン/サンフォード・B・ドール、ショーン・エヴァンス/クライヴ・デイヴィーズ、ジミー・ユィール/アーチボルト・クレグホーン、ジュリアン・グローヴァー/デオ・デイヴィーズ、タムシン・マーチャント/アリス・デイヴィーズ、レオ・アンダーソン・アカナ/リリウオカラニ王女、オーシャン・カオウィリ/カラカウア王
7月7日(土)新宿武蔵野館他にて全国順次ロードショー
2010年、98分、日本語字幕/松岡葉子、後援/ハワイ州観光局、配給/アニープラネット
http://www.princess-eiga.com/

by Mtonosama | 2012-07-09 06:48 | 映画 | Comments(5)
オロ -2-
OLO.The boy from Tibet

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子どもの出生率が少ないとまくしたてながら、
適切な手を差し伸べられないようなどこかの不器用な国もありますが、
どんな国でも、どんな時代でも、どんな民族でも、おとなは子どもに未来を託すもの。

子どもが生まれたり、孫が生まれると、
人が様変わりしてしまうのは
自分によく似たこの小さな存在がこれからの時代を生きていくことに、
知らず知らずの内に喜びと期待を託しているからなのでしょうね。きっと。

オロ少年のおかあさんもそうだったのでしょう。
まだ6歳のオロを遠い国へ旅立たせるのは不安も大きかったけれども、
おかあさんはチベットとオロ自身の未来を託したのでしょう。
それは、まだ6歳のオロがその肩に負うには重すぎる未来だったかもしれませんけど。

ヒマラヤ山脈の北側に広がるチベットは、今は中国の一部になっています。
1959年にダライ・ラマ14世が亡命し、インド北部のダラムサラにチベット亡命政府を樹立して早や半世紀以上。
現在のチベット難民数はインド・ネパールを中心に全世界で約15万人と言われています。

オロが、笑顔の陰に隠してなかなか語ろうとしないチベットからのつらい旅の後、
辿り着いたダラムサラのチベット子ども村(Tibetan Children’s Village)は,
危機に瀕するチベット語、チベット文化の教育機会を子どもたちに与えたいという
ダライ・ラマ14世の意向で1960年に設立されました。
現在はインド各地で7校が運営され、約15,000人が学んでいます。

オロのおかあさんが「しっかり勉強してくるんだよ」とオロを送りだしたのは
この学校でチベットの言葉やチベットの文化を学ばせたかったんですね。

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ストーリー
監督の「よーい、スタート」の声を受けて、ダラムサラの路地を駆け抜けるオロ。

チベット子ども村で勉強するオロ少年は6歳の時、母と別れ、この地にやってきました。
だから、学校が長い休みを迎えるとおじさんの家で過ごします。
おじさんは遠い親戚。中国と闘い、中国の刑務所に入ったこともある人です。

ダドゥン姉妹はチベット子ども村の同級生。休みはいつも一緒に遊びます。
今日はダドゥンの誕生日。ダドゥン姉妹とオロの歌合戦を楽しそうに見守る姉妹の母ラモ・ツォおばさん。でも、この家には姉妹の父親の姿はありません。

今日はダドゥン姉妹の父ワンチェンの映画上映会です。
ワンチェンさんは実はこの映画を撮ったために中国警察に逮捕され、刑務所にいるのです。
ラモ・ツォおばさんは観客に夫の無実を訴えます。

夏休みも終わり、山の上のお堂で五体倒地のお参りをした後、
ヒマラヤが眺望できる丘にたたずむオロ。

f0165567_7172944.jpg冬休み。ダラムサラの街に5年ぶりの大雪が降った日、オロは岩佐監督に誘われて旅に出ます。
監督の友人のツェワンさんも通訳として一緒に来ました。
3人はインド・ネパール国境を越え、バスに乗ってネパールのポカラに向います。

ポカラにあるタシ・パルケル難民キャンプには、監督が10年前に作った映画
「モゥモチェンガ」(‘02)の主人公モゥモチェンガおばあちゃんが住んでいるのです。
オロはおばあちゃんに礼をつくした挨拶をし、おばあちゃんの親戚の三姉妹のおねえさんたちともすぐに仲良くなりました。

三姉妹の家で開いてくれた歓迎の宴でオロは歌います。
宴の中心にある焚火と姉妹たちの暖かいもてなしに心が溶けたかのように、
今まで決して語ることのなかった亡命のつらい体験を語り始めるオロ。

チベットのことを語り合うおばあちゃんとオロ。
歳は離れていても故郷への想いは同じです。
おばあちゃんはもうチベットに戻ることはできないでしょうが。
オロもまた6歳の時に別れて以来一度も会っていない母を想って祈ります……

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ドキュメンタリー映画でありながら、夢のような、幻想のような映画です。
過酷なチベットの置かれた状況を描きながら、逞しく、明るい人々が登場します。
辛いこともあれば、楽しいこともある人生。
もちろん楽しい日々もそうですが、辛い日々だっていつまでも続くことはない筈です。
辛い日々の中にも楽しいひとときはあります。
「生きるということはそもそも大変なことなんだよ。だから、笑える時には笑おうよ」
とオロくんやおばあちゃんたちに教えてもらったような気がしました。

チベットの路上で見た五体倒地の巡礼の一行の姿をまた思い出しました。





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オロ
監督/岩佐寿弥、プロデューサー/代島治彦、撮影/津村和比古、音楽/大友良英、絵・題字/下田昌克、編集/代島治彦、整音/滝澤修、通訳・コーディネーター/ツェワン・ギャルツェン、ボランチ/南椌椌、制作・配給/スコブル工房、企画・製作/オロ製作委員会
現地コーディネーター/中原一博、チベット語監修/貞兼綾子、翻訳/クンチョック・シタル、ロディ・ギャツオ、ソナム・ツェリン、ドルマ・セーリング、日本語字幕/赤松立太、特別協力/ダライ・ラマ法王日本代表部事務所、チベット子ども村
出演
オロ、姉ダドゥン、妹ラモ・ドルマ、ダドゥン姉妹の母ラモ・ツォ、ダドゥン姉妹の父ドンドゥップ・ワンチェン、ダラムサラのおじさん、長女ドルマ、次女デチェン、三女ツェリン・ラモ、三姉妹の両親、モゥモ・チェンガ、チベット難民受付センターで出会う青年、ホーム23の友達
6月30日(土)ユーロスペース他全国順次ロードショー
2012年、108分、日本、チベット語・日本語、http://www.olo-tibet.com/

by Mtonosama | 2012-07-06 07:27 | 映画 | Comments(6)
オロ -1-
OLO.The boy from Tibet

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2007年。ですから、5年前ですね。チベットへ行きました。
子どもの頃からこの地に憧れていたのと、ボタラ宮をこの目で見てみたかったからです。
それと鳥葬にも強い関心がありました。怖いもの見たさですかねぇ。
あ、もちろん、鳥葬は見ることはありませんでしたが、
ガイドさんからチベットにはいろいろな弔いの形があることを聞きました。
ちょっとここではご紹介できない内容なので、悪しからず、でございます。

両手、両膝、額という五体を地面にこすりつけながら礼拝する五体倒地をしながら、
聖地へ向かう巡礼の一団も目にしました。
このように厳しい礼拝の姿勢を自らに課すチベットの人たちは
それほどまでに現世に絶望しているということか、と身が震えました。

そして、壮麗なボタラ宮に感動しつつ、本来ならここでダライ・ラマ14世が執務し、祈りを捧げているのだろうに、
とチベットの抱える政治的、宗教的な諸問題にも想いをめぐらせた印象深い旅でした。
更に私的なことでありますが、チベットから帰ってすぐの秋、父が大腸がんの手術を受け、
翌2008年3月に亡くなったことによってもこの国の印象は深く刻まれてしまいました。

「オロ」は、6歳のときにヒマラヤを超え、チベットからインド北部の町ダラムサラに亡命した少年の物語です。

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チベット。
とのが抱く私的なチベットへの印象や、チベットが抱える悲しく厳しい現実。
そして、本作の岩佐寿弥監督が岩波映画出身の監督とあって、
必要以上に、暗く重い映画を想像していました。

が、しかし・・・・・
本作に限らず、先入見にとらわれるというのは世間を狭めますね。絶対に。

「オロ」のお蔭で、ダラムサラに亡命しているチベット人の思いがけない明るさに驚くと同時に、
チベットを舞台にする映画に抱いていたイメージがガラリと変わりました。


岩佐寿弥監督
1934年生まれ。映画作家・TVディレクター。1959年に岩波映画入社。岩波映画時代の任意の運動体「青の会」のメンバーでもあった。1964年フリーランスに。
映画「ねじ式映画―私は女優?―」(‘69)、「叛軍No.4」(‘72)、「眠れ蜜」(‘76)、「モゥモチェンガ」(‘02)
TV作品「プチト・アナコ―ロダンが愛した旅芸人花子―」(‘02)など海外取材によるTV作品多数。
2005年「あの夏、少年はいた」(川口汐子共著)を出版。この本を原作としたドキュメンタリードラマ「あの夏~60年目の恋文~」(‘06)がNHKで放映される。

そして、「オロ」。
先ほども言いましたが、これに登場するチベットの人々の意外な明るさに救われました。
と同時に、ドキュメンタリー映画という表現形式が案外幅の広いものなのだな、
ということにも瞠目させられました。
実際、未だにこれをドキュメンタリー映画とひとからげに呼んでしまっていいのか、迷います。

オロ少年が岩佐監督から映画の主演依頼を受けて
「きっとカンフーみたいな映画なんだろうけど、僕はあまり上手じゃないしなぁ」
と思ったその当惑に似ています。

6歳の時「しっかり勉強するんだよ」と母親に励まされ、チベットから亡命。
苦労を重ねてダラムサラまでたどり着き、チベット子ども村で勉強するオロ少年。
そのドキュメントというより、言ってみればビルドゥングスロマン
(Bildungsroman:主人公の人格の形成・発展を中心として書いた小説。ドイツ文学の主流のひとつ)
のように観てしまいました。

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下田昌克さんによる狼のイラストがめっちゃ可愛いし、
登場人物の似顔絵も色鉛筆の優しいタッチで素敵です。
そんなイラストがそこここに出てくるドキュメンタリー映画、いえ、ビルドゥングズロマン映画。
今までに観たことのなかった映画でした。

どんなお話かは次回までお待ちくださいね。



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オロ
監督/岩佐寿弥、プロデューサー/代島治彦、撮影/津村和比古、音楽/大友良英、絵・題字/下田昌克、編集/代島治彦、整音/滝澤修、通訳・コーディネーター/ツェワン・ギャルツェン、ボランチ/南椌椌、制作・配給/スコブル工房、企画・製作/オロ製作委員会
現地コーディネーター/中原一博、チベット語監修/貞兼綾子、翻訳/クンチョック・シタル、ロディ・ギャツオ、ソナム・ツェリン、ドルマ・セーリング、日本語字幕/赤松立太、特別協力/ダライ・ラマ法王日本代表部事務所、チベット子ども村
出演
オロ、姉ダドゥン、妹ラモ・ドルマ、ダドゥン姉妹の母ラモ・ツォ、ダドゥン姉妹の父ドンドゥップ・ワンチェン、ダラムサラのおじさん、長女ドルマ、次女デチェン、三女ツェリン・ラモ、三姉妹の両親、モゥモ・チェンガ、チベット難民受付センターで出会う青年、ホーム23の友達
6月30日(土)ユーロスペース他全国順次ロードショー
2012年、108分、日本、チベット語・日本語、http://www.olo-tibet.com/

by Mtonosama | 2012-07-03 06:48 | 映画 | Comments(6)