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殿様の試写室

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殿が観た最新映画をいち早くお知らせ!

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(c)2005 Teddy Bear Films 
女工哀歌(じょこうエレジー)
China Blue

   一昨年、中国の新興工業団地・恵州という街に行きました。
   経済特区・深圳に近い都市です。
   そこで印象的だったのは景勝地・杭州の観光名所である西湖を模して造った人造湖
   (湖岸から湖の中ほどにある四阿に行く橋を渡るには通行料を払わねばなりません)と、
   運転席が檻になったタクシー(治安が悪いからだそうです)。
   そして、工場寮の窓という窓には満艦飾の洗濯物がぶらさがっていたことでした。

       「女工哀歌(じょこうエレジー)」は四川省の農村で暮らしていた
      ジャスミン・リーという16歳の少女が家計を助けるため、
      何日もかけ、船や汽車を乗りついで、
      広東省の都会へ出稼ぎに出てくるところから始まるドキュメンタリー映画です。

     現在、中国では1億3千万人が田舎から都会に働きに出てきているといいます。
         映画の中に「女の子はおとなしいから、条件が悪くても文句をいわなくていい」
      と発言する経営者が出てきます。
     ジャスミンたちは都市生活者なら決して引き受けないような
         低賃金と悪条件で働き続けます。

     給料は日本円にして3,120円~7,800円(月給です!)
     残業手当なし
      社内食もシャンプーするためのバケツ1杯のお湯の代金も
     すべて乏しい給料の中から支払わなければなりません。
     残業続きの毎日、洗濯をしていると睡眠時間がなくなるため、
      彼女たちはお昼休みに洗濯をします(もちろん洗濯機などありません)。
     寮の窓は12人の少女たちの洗濯物でいっぱいになります
         (寮は12人の相部屋です)。

     恵州で見た満艦飾の洗濯物もこんなふうにわずかな休み時間に
         洗って干したのか、 と今更ながら寮の住人たちがいとおしくなりました。

   ジャスミンが働くことになったのは
   欧米諸国や日本へ輸出するジーンズを作る工場です。
   経営者は元警察署長のラムさん。
   大躍進を遂げる中国経済の典型的な起業家です。
   熾烈な同業者間の競争を勝ち抜くため、
   従業員の労働管理、西側諸国の工場視察団の接待や価格交渉と毎日忙しく働きながら、
   趣味の書道も欠かしません。
   達筆な書がオフィスに飾られていれば
   経営者としてのイメージアップにもつながりますから。

     でも、温和で人の良さそうなラムさんがことあるごとに口にするのは
     「従業員はすぐに怠けるから、厳しくしないと」です。
     ジャスミンや同室の14歳のリービンたちは
     安全も法の保護もない十分に厳しい状況で働いているんですけど。

   今日もラムさんは欧米企業と価格交渉です。
   先方の言い値より高い額で交渉は成立しましたが、
   ジャスミンたちはまた明日から夜も眠らず、
   休みを返上して、大量のジーンズを納期に間に合わせないとなりません…

        この映画を撮ったミカ・X・ペレドは1952年生まれのドキュメンタリー映画監督。
        グローバリゼーションこそ、現代が抱える諸悪の根源であるとして
        それをテーマにした3部作の製作を続ける映像作家ですが、
        「女工哀歌」(’05)は
        ”STORE WARS:When Wal-Mart Comes to Town”(’01)に次ぐ第2作。
        3作目は現在製作中ということです。

    「女工哀歌」には「蟹工船」やハケンにも通じる若年労働者の厳しい状況が
    映し出されていますが、
    そこには極悪非道な経営者、虐げられる労働者という従来の構図では片付けられない
    より深刻な問題が横たわっています。

        市場・企業などの国際化=グローバリゼーション
        辞書にはこうあります。

        「グローバルな観点が必要」とか以前は良い意味で使われていました。
        坂本竜馬など、今でいえばグローバルな視野の持ち主ですよね。
        でも、いつしかグローバルの持つ意味合いは変わってきました。
        多国籍企業の利害はいまや全世界にまたがっています。
        その矛盾が噴き出すのは法の保障などない未成熟な国の貧しい人々。

    「ナイロビの蜂」「ダーウィンの悪夢」(いずれも‘06公開)ではアフリカの人々が
    6月にご紹介した「いま、ここにある風景」でも中国やバングラデシュの人々が
    グローバリゼーションによる急激な経済開発の結果、生じた貧困や環境破壊の中で
    苦しんでいました。

        中国はグローバリゼーションの結果、世界の工場になり、経済大国になりました。
        そして、その工場にやってくる多国籍企業。
        彼らはコストを最低限にまで抑えるよう要求します。
        工場経営者たちも法で定められた労働条件も最低賃金も
        見ないふりをして、労働者を働かせます。
        睡魔に襲われた労働者がケガをしようが(画像はジャスミンたちが目を開けたま 
        ま、眠る方法を教わっているところです)
        病気になろうが知ったことじゃない。
        広大な中国の農村からはいくらでも働き手がやってくるのですから。

    多国籍企業が悪い、中国が悪い、工場経営者が悪い。
    だけど、私たちは?
    メガストアで「安い、安い」と喜んでジーンズや日用品を買っている私たちは?

    とはいえ、買わないわけにもいかないし。

         ディレンマと答えの見えない難問をつきつけられながらも、
         押しつぶされずにこの作品を観ていられたのは
         ジャスミンたちが明るくて、健気だから。
         外国人にカメラを向けられるという、おそらくは生まれて初めての体験に
         一生懸命に応えている昂揚感が伝わってくるから。
         そして、こんなに厳しい状況でも希望や夢を持ってたくましく生きているから。

監督・撮影・製作/ミカ・X・ペレド
編集/マニュエル・ツィンガリス、ミカ・X・ペレド 
9月27日、渋谷シアター・イメージフォーラム他にてロードショー
http://www.espace-sarou.co.jp/index/films/top.htm
# by mtonosama | 2008-09-15 07:01 | 映画 | Comments(8)
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c)2006 Buena Vista International (Switzerland)
マルタのやさしい刺繍

Die Herbstzeitlosen

ニューヨークを舞台にした「セックス・アンド・ザ・シティ」が話題ですが、
「マルタのやさしい刺繍」はスイス版SATCつまり“Sex and the City”
といったら無理がありましょうか。
はい、ちょっと苦しいですね。
でも、女性4人が主人公であるというところは同じです。
恋も、自立も、夢の実現も共通しています。
違うのは主人公がすべてシルバー・エイジであること。
その内の3人が後期高齢者だということだけなのですが。

     さて、ここでドイツ語講座です。
     die Herbstzeitlose.これは単数形です。
     原題はdie Herbstzeitlosenと複数形になっています。
     長年連れ添った夫を亡くして意気消沈していた80歳のマルタが
     ランジェリーショップの起業を決意し、
     3人の女性がそれを支えるという複数の女たちの物語だからです。
     と、たいそうに言うほどのドイツ語講座ではありませんが。

     Die Herbstzeitlose ―― 直訳すれば「秋がないこと」ですが、
     これは『夢中』『華やかな青春』という花ことばを持つユリ科の植物コルチカムのこと。
     庭園の花の多くが終わってしまった秋になって
     コルチカムは花をつけるのでドイツ語ではこのように呼ばれるのだそうです。
     球根を窓辺でもキッチンでも、その辺に転がしておけば
     優しいピンクや紫色の花を咲かせる植物で、
     手間いらずの花ですから一度はその球根を買ったことのある人も
     多いのではないでしょうか。

この映画の舞台は穴あきチーズとヨーデルでおなじみのエメンタール地方のトル―プ村。
絵のように美しいアルプスの村です。
しかし、とかく美しいものにはトゲがある。
伝統的な産業であるチーズつくりとヨーデルの村といえば、
ま、保守的な土地柄ではあります。

     9か月前に夫を亡くしたマルタはひきこもり状態。
     息子が牧師をつとめる教会にも行かなくなり、
     夫と営んできた雑貨屋の商売にも身が入りません。
     心配したリージ、フリーダ、ハン二の3人はなんとか彼女を元気づけようとしていました。
     ひょんなことからこの3人、マルタは裁縫が得意だったことを知り、
     村の合唱団の団旗の修理を依頼します。
     渋々承知したマルタは3人と連れだって、
     ベルンへと修理用の生地を買いにでかけます。

     久しぶりの都会で目にした美しいレースやランジェリー。
     そこで、マルタは忘れていた昔の夢を思い出します。
     そう、それは自分でデザインし、美しい刺繍をほどこしたランジェリーのお店を持つこと。
     思い立ったが吉日です。
     マルタは息子で牧師のヴァルターには内緒で、
     雑貨屋をランジェリーショップへと改装し始めました。

     手伝ってくれるのはアメリカ大好きの未婚の母リージただひとり。
     老人ホームで優雅で充実した日々を送る老独身貴族フリーダも、
     村の保守党員である息子に夫ともども施設に入れられようとしているハン二も
     「なんで下着屋?」と最初は理解を示しません。
     友人ですら、こうなのですから、村の男たちの反発ぶりといったら。

     さあ、マルタの夢のランジェリーショップ。
     その結末や、いかに…

          小さな字が読みにくいとか、腰が痛いとか、すぐ疲れるとか、
          これが歳をとるってことだから、仕方ないよね。
          今更新しいこと始めるなんて、だるいし。
          恋、この歳で?

          などと、歳のせいにして諦めかけている時、
          このおばあちゃんたちに会うと
          「こんなことじゃいけないな」
          という気持ちになります。

     もちろん、彼女たちだって、家族や近所とのしがらみや、
     何より自分たちが持ち続けた価値観から完全に自由というわけではありません。
     時折、見せるとまどいや悲しみの表情でそれがわかります。
     この映画は決して、スーパーおばあちゃんの映画ではありません。
     ただ、長く生きてきた分
     「なるようにしかならないさ、でも、それって必ずしも悪くないんだよ」
     ということを若い人より知っていて、
     それでも、頑張るときには頑張る普通のおばあちゃんの物語です。

夢を実現させるマルタ。
老いても子に従わない人生を選ぶハン二。
新しいパートナーをみつけるフリーダ。
挫折を秘めながらも友のためにつくすリージ。

さ、あなたはどのタイプですか?
4人のうちの誰かになりきってみましょうか。
きっと、歳をとるのは悪くないような気がしてきますから。

監督/ベティナ・オべルリ
キャスト
マルタ/シュテファ二―・グラーザー、フリーダ/アンネマリー・デューリンガー、リージ/ハイジ¬=マリア・グレスナー、ハンニ/モニカ・グプサー
10月中旬シネスイッチ銀座他全国順次公開
http://www.alcine-terran.com/maruta/

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# by Mtonosama | 2008-09-08 06:29 | 映画 | Comments(5)
宮廷画家ゴヤは見た
Goya’s Ghosts

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またまたハビエル・バルデムの登場です。
7月にお知らせした「コレラの時代の愛」まで戻っていただいてその顔をご確認ください。
ね、強烈でしょ?まさに、怪優です。

「宮廷画家ゴヤは見た」。
「家政婦は見た」の別シリーズかい?と聞きなおしたくなるようなタイトルですが、
さすがミロス・フォアマン監督、がつんと映画子の心をつかんでくれました。
「アマデウス」といい、本作といい、歴史ものをこれだけ面白く見せてくれる監督は偉人です。

ゴヤといえば「着衣のマハ」「裸のマハ」を思い浮かべる人が多いと思います。
教科書に載っている割には刺激的な絵でしたし。
「砂に埋もれる犬」や「我が子を食らうサトゥルネス」「異端審問」などの
“黒い絵”といわれる作品群も印象的です。

宮廷画家の娘と結婚し、本人もその職についたゴヤ。
画家として、絶対に食いっぱぐれのない最高職を得、
王や王妃のポートレートを描く一方で、
フランス革命からナポレオン戦争に向かう激動の時代を生きた人です。
また、彼は同時代人として歴史を描きとめる証言者でもありました。
その後、聴力を失い、目も見えなくなり、
最後は住み慣れたマドリードを離れてボルドーに隠遁し、亡くなりました。

彼の人生だけでも相当おもしろい映画ができそうです。

しかし、この映画の主人公はゴヤではありません。
彼は歴史の転換期に立ち会い、スペインにも波及した戦乱の渦中にあって
画家の目で時代を目撃し、証言する人物として登場してはいますが。

そう、主人公は、最初は異端審問にかかわる神父として、
後にはナポレオン政府の重鎮として、
荒れ狂う時代をそのまま体現するかのように生きたロレンソ神父です。
そして、この強烈な個性を演じたのがハビエル・バルデムでした。

      国王カルロス4世の宮廷画家に任命されたフランシスコ・デ・ゴヤ。
        1792年彼は2点の肖像画を描いていました。
       1枚はゴヤの友人である裕福な商人トマス・ビルバトゥアの娘イネス。
      穏やかな微笑みを浮かべたその肖像はため息が出るほど美しいもの。
       そして、もう一枚が異端審問の推進者ロレンソ神父の肖像画でした。

    
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嗚呼、なんという人生のめぐりあわせでしょう。
      ロレンソはアトリエで見たイネスの肖像画に心を奪われてしまったのです。

   さて、先ほどから何度も出てまいります異端審問という言葉。
そもそもは13世紀前半、ヨーロッパの異端審問のために設立された機関です。
ガリレオ・ガリレイが「それでも地球は動いている」
と言ったといわれるあれです。
そうそう、ジャンヌ・ダルクが魔女として火刑に処せられたのも、
この異端審問の結果でした。
とにかく異端と疑われたら問答無用にひったてられ、
残酷な拷問を受け、異端宣告を受けたものは焼き殺されるという
カトリック教会の機関です。

      ある日突然、美少女イネスは審問所から出頭命令を受けます。
      兄たちと出かけた居酒屋で豚肉を食べなかったために
      「イネスはユダヤ教徒に違いない」と告発する者がいたのです。
      イネスの父トマスに頼まれたゴヤは肖像画の代金と修道院の修復費用とを
      引き換えに彼女を助けてくれるようロレンソ神父にうったえます。

      ゴヤの願いを受け、ロレンソが審問所を訪ねると、時すでに遅し。
      イネスは拷問で痛めつけられ、留置所の冷たく不潔な石床の上で
      震えていたのでした。なんと哀れなイネスでありましょう。
      ロレンソは聖職者の身であることも忘れ、
      思わず知らず彼女を抱きすくめていたのでありました。

      時は流れ、イネスはいまだ獄の中。しかし、世の中は大きく動いておりました。
      フランスには革命がおこり、
      その後、フランス皇帝となったナポレオンはヨーロッパを席巻。
      スペインにも介入してまいりました。
      自らの兄ジョゼフをスペイン国王に任命し、スペインに覇権を確立したのです。

      けれど、その結果、異端審問で捕えられていた多くの市民が
      解放されることになりました。
      その中に15年ぶりに自由な空気を吸うことができるイネスもいました。
      両親も兄弟も、そして、美しかった容姿も失ったイネスが。

      ところで、ロレンソはどうなったでしょう。

      いつまで経っても帰ってこないイネスを心配する父トマスは
      強硬手段を取っていたのです。
      ロレンソを自宅に招き、イネス返還と引き換えに
      神父としての尊厳に関わる恥ずかしい告白書を
      書かせたのでした。
      彼女を父のもとに戻すことを約束させられたロレンソでしたが、
      それはかなわぬまま、告白書は国王カルロス4世の手に
      渡ってしまいます。
      ロレンソは聖職を捨て、国外逃亡。

      イネスが獄から解放されたそのころ、
      ロレンソもまたスペインに戻っていました。
      フランス政府の大臣として得意絶頂の帰国です…

   花のかんばせも苦難の15年の後には変質し、
   人生の頂点も歴史のうねりの中ではなんとも儚いもの。
   とはいえ、そんな小さな人生の出会いやら重なり合いが
   歴史をつくっていくのだからおもしろいものです。

      ラストシーンが今も頭の中で回り続けています。

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宮廷画家ゴヤは見た

監督・脚本/ミロス・フォアマン(「カッコーの巣の上で」(‘75)、「ヘアー」(’79)、「アマデウス」(’84)など)
キャスト
ロレンソ神父/ハビエル・バルデム、イネス・ビルバトゥア、アリシア二役/ナタリー・ポートマン、フランシスコ・デ・ゴヤ/ステラン・スカルスガルド
10月全国ロードショー
goya-mita.com

# by Mtonosama | 2008-09-01 11:25 | 映画 | Comments(4)
おくりびと

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        今春、父を見送りました。
        喪主として過ごした通夜、告別式、四十九日法要までの慌ただしさ。
        悲しみや疲労も加わり、かなりつらいものでした。
        まして、冠婚葬祭万事において派手かつトラディショナルな尾張名古屋での葬式。
        きつい通過儀礼でありました。そんな中で観た「おくりびと」です。

   「おくりびと」は死者の体を浄め、最後のお化粧をほどこし、柩におさめる人・納棺師を
   主人公とした映画です。
   葬式といえば伊丹十三監督のその名も「お葬式」(‘84)が思い浮かびます。
   そうそう、津川雅彦ことマキノ雅彦監督の「寝ずの番」(‘06)もありました。
   2作品ともドタバタしたお笑い系の映画でしたね。

   「おくりびと」も笑えます。

        1800万円も借金をしてチェロを購入したのに、チェリストである主人公の所属する
        オーケストラが解団してしまうのが、かわいそう過ぎて泣き笑い。

        やむなく妻とともに故郷山形へ帰った主人公がやたら条件の良い求人情報に
        ひっかかるところが切実で同情笑い。

        その求人広告のキャッチフレーズ『旅のお手伝い NKエージェント』が
        旅行代理店のそれではなく、
        『旅のお手伝い』は『安らかな旅立ちのお手伝い』の誤植、
        『NK』は『納棺』の頭文字だったというあたりは「おやじギャグかい」と苦笑い。

   チェリストから納棺師。東京人から山形人へ。
   ガラッと人生を転換した小林大悟さん(あ、主人公です)。
   彼は、6歳の時父に捨てられ(山形でジャズ喫茶を経営していた父は
   そこのウエートレスと出奔)、
   女手ひとつで育ててくれた母の死に目には海外演奏旅行中で会えず。
   いまだかつて人の死に出会ったことがありません。

        そんな小林さんがNKエージェントの社長に随って、
        さまざまな死を身近に見て、触れることになります。

        こわもての社長が
        遺体の硬くなった手や顔に触れ
        そのこわばりを優しくほぐす仕草
        死装束に着替えさせるときの
        手品とも茶道のお点前とも見紛う美しい所作

   それはすべて死者の尊厳と、見送る遺族の気持ちを思いやってのものなのですね。

        自分が死者だったら
        「どうせ死んでるんだからわかりゃしないさ」
        と遺族や弔問客の前で裸にされるのは嫌だし、
        遺族だって目のやり場に困ります。

   小林さんが死や納棺師に対して抱いていたイメージは変わっていきます。

        事故で死んだヤンキーの女子高生の清めの席で、
        事故を起こしたワルの男子高校生と衝突する遺族

        妻を亡くして、行き場のない悲しみを納棺師にぶつける夫

        納棺師が居合わせる場は、愛する人の死を認めたくない遺族の
        生々しい感情が渦巻く場でもあります。

   納棺師は死者に旅支度をさせ、化粧をほどこし、
   遺された家族に大切なひとの死を受け入れさせねばなりません。
   お葬式は本人が決定権を持たない人生最後の見せ場。
   陰の演出者として遺体を最高に美しくするという使命を持っているのが
   納棺師・おくりびとなのです。

        いつも銭湯で出会っていたおじさんが火葬場のかまの前で
        棺の主に向かって言います。
        「いってらっしゃい。またあちらで会おうな」。
        火葬場のかまは門なんだよ。
        死ぬんじゃなくて、こっちからあっちへ行くだけなんだ、と。

   次第に変わっていく小林さんの姿は妻も友人も変えていきます。
   庄内平野ののどかな風景とチェロの優しい音色が流れ…
   ラストで迎える小林さん一世一代の決断。

        笑って、泣いて、泣いて、笑って、ハンカチを持つ手が忙しいけれど、
        観終わった後は
        自分も今はおくりびと、いつかはおくられびと、
        と静かに納得させられたような気持になれる映画です。

おくりびと
監督/滝田洋二郎(「病院へ行こう」(‘90)、「僕らはみんな生きている」(’93)、「お受験】(’99)、「壬生義士伝」(‘03)」、脚本/小山薫堂、音楽/久石譲
出演
小林大悟/本木雅弘、小林美香/広末涼子、佐々木社長/山崎勉、平田正吉/笹野高史
配給/松竹、9月13日全国ロードショー
www.okuribito/jp


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# by Mtonosama | 2008-08-25 07:26 | 映画 | Comments(10)
わが教え子、ヒトラー
Mein Fuerer
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  最近のドイツ映画にはナチをテーマにしたものが多い気がします。
     「ヒトラー、最期の12日間」(‘04)
     「ヒトラーの贋札」(’07)
     「白バラの祈り ゾフィー・ショル最期の日々」(‘05)。
そうそうi以前ご紹介した「敵こそ、わが友」もドイツ映画ではありませんが、同じ。
皆ここ数年の作品です。

           ヒトラーが死んで63年。
           60年も経てば、そろそろ禁忌のカーテンを開けて
           稀代の独裁者の素顔に迫ってみようかという
           勇気あるドイツ人あるいはユダヤ人の映画制作者が出てくるからでしょうか。
           加害者側も被害者側も客観的に語るには、
           ともに60年を超える歳月が必要だったのでしょう。

           とはいえ、安直なピカレスク小説ではないのですから、
           悪人としてのヒトラーは当たり前過ぎるし、
           だからといって人間としてのヒトラーを描くのも問題があるでしょう。
           ドイツ国内にはネオナチだっていますから。

           それを思うと、
           死を目前にした人間味あふれるヒトラー(「ヒトラー、最期の12日間」)を
           描いた1957年生まれのオリバー・ヒルシュビーゲル監督は、
           かなり思い切りのいいドイツ人でした。

      本作「わが教え子、ヒトラー」も思いがけない切り口からヒトラーに迫った映画です。
      私たちがヒトラーと聞いて思い浮かべるのは
      大観衆の前で唾を飛ばし、手を振り回し、足を床にうちつけ演説する姿。

      ところが、ところがです。
      ヒトラーの演説には重大な欠陥があったというのです。

           長時間演説すると声が出なくなってしまうヒトラー
           その発声上の問題を矯正し、演説を指導する教師がいた……

      それがこの作品の出発点です。
      ‘03にポール・デヴリエンという人物の著書「わが教え子(マイン・シューラー)
      アドルフ・ヒトラー」が出版されました。
      それに触発され、「わが教え子、ヒトラー」(マイン・フューラー)の脚本を書き、
      監督をしたユダヤ人がいます。
      ダニー・レヴィです。

           ポール・デヴリエンはオペラ歌手兼ボイストレーナーという
           政治とは無縁の人物ですが、
           この映画で、敗北も秒読み段階に入り、
           鬱状態にあるヒトラーに自信を回復させ、
           力強い演説を行うためのノーハウを教える教師として
           設定されたのは強制収容所のユダヤ人でした。

           戦前は世界的な名優として名を馳せ、総統になる前のヒトラーに
           発声法を教えたこともあるというグリュンバウムがその主人公。
           収容所から総統官邸へいきなり連れてこられ、
           その理由を明かされた彼は自分のおかれた立場に当惑するものの、
           収容所に残る家族を呼び寄せることを条件にヒトラーを教え始めます。

      ポール・デヴリエンがヒトラーを教えたのは1932年
      映画の中でグリュンバウムが教えるのは敗北直前の44年。
      映画は史実に基づいているとはいえ、
      わずか12年という時間設定の違いが荒唐無稽感を増幅します。
      そして、ヒトラーが妙に愛らしく人間臭く描かれます。
      グリュンバウム夫妻のベッドの真ん中にパジャマ姿のヒトラーが
      甘えて入ってきたり…

           笑いたいのに笑えない。
           私たちにとってヒトラーは悪のオーラをいまだに出しまくっていて
           「可愛い!」などと笑っちゃいられません。

           自己規制の網の目にがんじがらめにされ、
           いままでのヒトラー像が刷り込まれている人間にとっては
           立ち位置を決めるのが難しい映画。
           笑ったりすると背後から「おまえ、なに笑ってんだよ」
           とこづかれそうな気がします。

      被害者側にあるユダヤ人監督だからこそ
      撮ることのできた作品。
      時を経て笑うことができるのは被害者の側の人間だけかもしれません。

      悩めるユダヤ人グリュンバウムを演じるのはウルリッヒ・ミューエ。
      「善き人のためのソナタ」でシュタージ(旧東独国家公安局)の大尉を
      演じた俳優ですが、惜しくも昨年胃がんのため、54歳で亡くなりました。

      総統官邸に連行された時の当惑した顔
      鮮烈なラストで見せた静かな笑い
      沁みてきます。

      合掌

監督/ダニー・レヴィ
キャスト
グリュンバウム/ウルリッヒ・ミューエ、ヒトラー/ヘルゲ・シュナイダー
9月初旬 Bunkamuraル・シネマにてロードショー他全国順次公開
www.waga-oshiego.com

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# by Mtonosama | 2008-08-18 07:14 | 映画 | Comments(6)