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タグ:セザンヌと過ごした時間 ( 2 ) タグの人気記事


セザンヌと過ごした時間
-2-

Cezanne et Moi

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(C)2016 - G FILMS - PATHE - ORANGE STUDIO - FRANCE 2 CINEMA - UMEDIA - ALTER FILMS


セザンヌの絵というとどんなものが思い浮かびますか?
とのはリンゴです。
リンゴを含めた静物画が好きです。
白いテーブルクロスのクシャクシャっとした感じ。
丸くて柔らかそうでなんとなく官能的な果実にきざす優しい陰影。
セザンヌの描く陰影は素晴らしいですよね。

そして、
故郷エクス=アン=プロヴァンスの
サント・ヴィクトワール山です。
晩年のセザンヌはこの山をいろいろな位置から描いています。

さあ、セザンヌの絵画はどんな形で登場するのでしょうか。

ストーリー
1888年、フランス・メダン。
瀟洒な別荘のエントランス。
ゾラは2年ぶりに再会するセザンヌを
緊張した面持ちで出迎えていた。


1852年、セザンヌは13歳、ゾラは12歳の頃だった。
貧しい母子家庭のゾラは学校でいじめられていた。
そんな彼をセザンヌが助け、
お礼を言うためにゾラはひと籠のリンゴを持って
セザンヌの家を訪れた。

セザンヌは裕福な銀行家の息子
ゾラは貧しい移民の子。
だが、二人はエクス=アン=プロヴァンスの
降り注ぐ太陽の下、ともに成長し、友情を育んでいった。

成長し、詩人を目指すゾラはパリへ。
画家を志すセザンヌも父親の反対を押し切ってパリへ向かった。
サロンに出品したセザンヌだったが、
ピサロやモネ、ルノワールやシスレー達の仲間ともども落選。

1862年、美術学校へも入学できず、
父からの送金も断たれたセザンヌは荒れた生活を送っていた。

翌年サロンの落選者たちの審査員への不満が爆発。
大衆が審査する“落選展”が開かれた。
そこで注目を集めたのはマネの「草上の昼食」
現実の女性の裸体を描いたため、激しい非難を受けたのである。
新聞に批評を書き始めていたゾラはマネ擁護の記事を書く。
“落選展”にさえ落選したセザンヌは失望。
その上、自分の恋人であり、モデルでもあった
アレクサンドリーヌにゾラが恋をしたことにも立腹。
エクス=アン=プロヴァンスへと帰ってしまった。

エクスの自然の中で孤独に描き続けるセザンヌを
支えたのはゾラからの手紙だった。

セザンヌはパリとエクスを行き来しながら創作。
だが、人間関係では問題ばかり起こしていた。
世間からもアカデミーからも顧みられることのなかった
セザンヌは1870年には新しい恋人でモデルの
オルタンスと世捨て人のように暮らし始めるのだった。
1877年にはアカデミーが印象派を認め、
かつての仲間たちが次々と入選。
ますます絶望を深めるセザンヌだった。

一方ゾラはアレクサンドリーヌと結婚。
『居酒屋』が大ベストセラー、続く『ナナ』も評判を呼び、
富と名声を手にしていく。
そして、不遇の友セザンヌのため生活費も工面していた。
ゾラの別荘でセザンヌが酩酊し、毒舌を吐き、
パーティを台無しにしても
二人の絆は固かった。

ところが
1886年、二人の関係に大きな罅が……

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才能は初めから花開くものではなく、
富も名声もその寿命はあまりにも短い・・・
有名人って最初から認められた存在だと思いがちですが、
あらためて名作や傑作は苦悩の果てに
生まれるものだと思い知らされます。

まったくタイプの違う画家と作家の長きにわたる友情。
でも、すごい人たちの仲良し物語だったら
少年少女偉人伝を読んでいたらいいでしょう。

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いったい二人の間に何が起きたのか。

画家は友の肖像を描き、
作家も友を主人公にした小説を書く――

小説発表のタイミングが悪ければ
傷つくこともありますよね。

友情は案外脆いものかもしれません。
サント・ヴィクトワール山の雄大な姿を望む
ラストシーンが印象的です。
セザンヌというとこの山が語られますが、
本作を観てその理由がわかったような気がしました。

変わらないものは雄大な自然と
少年時代の無心な日々だけなのかもしれません。








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セザンヌと過ごした時間
監督・脚本/ダニエル・トンプソン、製作/アルベール・コスキ、撮影/ジャン=マリー・ドルージュ、美術/ミシェル・アベ=バニエ
出演
ギヨーム・ガリエンヌ/ポール・セザンヌ、ギヨーム・カネ/エミール・ゾラ、アリス・ポル/アレクサンドリーヌ・ゾラ、デボラ・フランソワ/オルタンス・セザンヌ
9月2日(土)Bunkamuraル・シネマにてロードショー
114分、フランス、フランス語、日本語字幕/斎藤敦子、配給/セテラ・インターナショナル
http://www.cetera.co.jp/cezanne/

by Mtonosama | 2017-08-12 05:48 | 映画 | Comments(8)

セザンヌと過ごした時間
-1-

Cezanne et Moi

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(C)2016 - G FILMS - PATHE - ORANGE STUDIO - FRANCE 2 CINEMA - UMEDIA - ALTER FILMS


画家が主人公の映画におもしろいものなしと
いつも偉そうにほざくとのです。
あ、もちろん例外はあります。
ターナーを描いた
『ターナー、光に愛を求めて』は良い映画でした。
http://mtonosama.exblog.jp/24148726/ 
http://mtonosama.exblog.jp/24159520/


本作『セザンヌと過ごした時間』も
良かったです。

本作の主人公はセザンヌだけではありません。
幼少期より無二の親友だったという作家エミール・ゾラ。
本作は画家ポール・セザンヌとゾラのダブル主人公、
この二人を描いた作品なのです。

作家と画家の二人というところが
良いんですね。

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あのピカソに「我々の父」と愛され、
マティスには「絵の神様」と崇拝されたポール・セザンヌ。
一方、ゾラは「居酒屋」「ナナ」などを著わし、
自然主義文学の金字塔を築き上げた作家ですし、
ドレフュス事件でユダヤ人将校ドレフュスの側に
立ったことは有名です。
高校世界史の教科書に出ていましたよね。

この有名な二人が親友だったということも
興味深いものがありますが、
二人がまるで重なり合わない放物線のように
人生の坂を上がったり下がったりする様子が
プロヴァンスの美しい風景と共に描かれるところに
なんとも魅かれてしまうのであります。

そんな素晴らしい脚本を書き、監督も担当したのは
ダニエル・トンプソン。
1942年モナコ生まれ。
父は映画監督のジェラール・ウーリー。
父の監督作品『大進撃』(’66)で
共同脚本を担当したのがきっかけで映画界に入りました。

彼女が本作を撮るきっかけとなったのは
15年程前にセザンヌとゾラの
幼少期から続く友情についての記事を読み、
二人の仲違いを知ったこと。

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ね、
ただの画家の映画ではないでしょ?
この二人の有名人の友情と別離。
早く開花できた作家と
晩年まで認められることのなかった画家。

描けない時期が長かった奔放な画家。
順風満帆な人生を送りながら遅咲きの恋に身を焦がす作家。
二人の人生は重ならない放物線であり、
シーソーなんですね。

手が触れ合うかと思った瞬間、離れていきますが、
常にお互いの姿がその視野から奪われることはなかった親友。
男同士の友情ってめんどくさい。
互いの人生が友として交わりあい、重なり合ったのは
プロヴァンスの子ども時代だけだったのかもしれません。

ポール・セザンヌ
1839年、南仏エクス=アン=プロヴァンスの裕福な家庭に生まれる。
銀行家の父の希望もあり、大学では法律を学ぶが、
画家の夢を実現しようと1861年にゾラのいるパリへ向かう。
マネやモネ、ピサロも在学したシャルル・シャイヌの画塾で
絵画の基礎を学び、ドラクロワ、クールベ、ヴェロネーゼらの影響を受ける
だが、パリではうまくいかず、早々に帰郷。
それ以降、エクスとパリを行ったり来たりの生活を送る。
この時期、若き印象派の画家たちと親しくなり、
行動を共にするようになる。
1874年の第1回印象派展をきっかけに
印象派絵画が受け入れられるようになるが、
セザンヌは彼らとは距離を置くようになる。
エクスに拠点を移した1880年代にその隔たりは決定的に。
この頃から独自の画風を目指し、苦闘を続ける。
1895年、画商ヴォラールがパリで個展を開催し、
セザンヌの名は一般に知られるようになった。
ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、マティス、ブラック等
20世紀絵画の大家たちの多くが彼を師と仰ぎ、影響を受けた。
1906年10月23日に聖地のエクスで死去。

エミール・ゾラ
1840年、パリに生まれる。
父はイタリア移民の技師、母はフランス人。
幼少時、父親の仕事の都合でエクス=アン=プロヴァンスに引越。
早くに父を亡くし、少年時代は貧しかった。
中学ではいじめられていたが、セザンヌの友情を得て助けられる。
この頃より文学に興味を持ち、小説家を志す。
1858年パリに戻り、アシェット出版で働く中マネと知り合う。
1864年17歳のアレクサンドールと恋に落ちる。
1867年「テレーズ・ラカン」を完成させ、有名に。
その一方で、マネなどのちの印象派たちを擁護する記事を載せるようになる。
1869年、大著「ルーゴン=マッカール叢書」を構想、
1870年、第1巻「ルーゴン家の誕生」、
その後、「居酒屋]('76)、「ナナ」(’79)、「ジェルミナル」(’85)など
第二帝政から第三共和政下のパリの市井の人々を描く
壮大な物語として完成させ、自然主義文学の金字塔を築いた。
1894年のユダヤ人将校ドレフュスをめぐる疑獄事件では
ドレフュス側に立ち、「我弾劾す」という記事を書いた。
1902年9月29日、パリに死す。


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という二人を主人公にしたお話です。
続きは次回まで乞うご期待でございます。



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セザンヌと過ごした時間
監督・脚本/ダニエル・トンプソン、製作/アルベール・コスキ、撮影/ジャン=マリー・ドルージュ、美術/ミシェル・アベ=バニエ
出演
ギヨーム・ガリエンヌ/ポール・セザンヌ、ギヨーム・カネ/エミール・ゾラ、アリス・ポル/アレクサンドリーヌ・ゾラ、デボラ・フランソワ/オルタンス・セザンヌ
9月2日(土)Bunkamuraル・シネマにてロードショー
114分、フランス、フランス語、日本語字幕/斎藤敦子、配給/セテラ・インターナショナル
http://www.cetera.co.jp/cezanne/
by Mtonosama | 2017-08-09 06:13 | 映画 | Comments(6)