三里塚に生きる -1-
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成田は遠いよなぁと文句を言いながらも、
海外に行く時には成田からの方がときめくよね、等と思うようになってしまった昨今。
三里塚といっても知らない人の方が多くなってしまったでしょうか。
かつて三里塚というのは成田市の農村地帯で、畑の広がる地域でした。
今もそうで、本作に登場する人々は多くは農民たちです。
その地で今も続く空港建設反対闘争。
三里塚を知らないといっても、空港手前のゲートでパスポートを提示させられ、
利用する航空便を申し述べなければならないことから、
今もこの地に反対闘争が続いていることを「ああ、そうだった」と思い浮かべる方もおいででしょう。
1960年代初頭、将来的な国際化に伴う航空(空港)需要の増大を見越し、
政府は羽田東京国際空港に代わる本格的な国際空港の建設を計画。
1963年(昭和38年)の案では、現空港の4km南にある富里地区がその候補になったが、
富里は農場経営のモデルケースだったことから激しい反対運動が起こり、
2年後に白紙撤回。
その後あがった候補地はいずれも反対運動にあい建設計画自体に頓挫する恐れが出てきた。
このことを懸念した佐藤栄作内閣は、1966年(昭和41年)6月に御料牧場があった三里塚・
芝山地区を候補地として、同年7月4日に閣議決定。政府は地元から合意を得るどころか事前説明すら怠り、代替地等の諸準備も一切なかった。
そのため、農民を中心とした地元住民の猛反発を招く。
政府は閣議決定であることを盾にして一切の交渉行為を行わなかったために、
地元農民達は7月20日「三里塚芝山連合空港反対同盟」を発足させ、三里塚闘争が始まった。
(Wikipediaより)
ああ、若い頃、そんなことがあったなぁ(遠い目)――
あ、ここで遠い目をしてはいけないのだった。
本作は、今もまだ闘い続ける人々があるという現実に
あらためて気づかせてくれるドキュメンタリー映画です。
本作に登場する人々にはもうかつての激しさはないけれど、
もうどこにでもいるようなじいちゃんばあちゃんだけれど、
畑を耕し、野菜を収穫するという日常の中でいまだ怒り続けています。
あの頃の想いを昨日のことのようにカメラに向って語ります。
東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催され、国中が浮かれていた1964年。
新国際空港の候補地は浦安沖案と富里案に絞り込まれていました。
翌65年。
関係閣僚懇談会は候補地を千葉県富里村(現富里市)付近に内定。
地元は激しく反発。近隣町村議会が次々と反対決議。
そして翌年6月。
運輸省は立地場所を成田市三里塚に変更。
7月には三里塚案を閣議決定しました。
この頃、日本の人口は1億人を突破。
行け行けドンドンの時代です。
日本の経済成長の陰で踏みつけにされる農民たち。
戦後、満州からひきあげ、一から開墾した大事な農地をひとことの事前説明もなく、
代替地もなく奪われてなりましょうか。
「金目でしょ?」
と、福島のときもあの目の大きい議員が言ったけれど、
冗談じゃないです。
三里塚から半世紀経っても変わらない政府の発想。
三里塚は50年前のモノクロ画像の世界ではなく、今もまだ渦中にあるテーマです。
福島や川内にも通じる問題です。
さあ、いったいどんなドキュメンタリーをこの眼で視ることができるのでしょうか。
続きは次回までお待ちください。
続
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☆11月18日に更新しました。お休みしている間も応援していただき、ありがとうございました☆
三里塚に生きる
撮影・監督/大津幸四郎、監督・編集/代島治彦、音楽/大友良英、写真/北井一夫、朗読/吉行和子、井浦新、プロデューサー/赤松立太、代島治彦、制作・配給/スコブル工房、企画・製作/三里塚に生きる製作委員会、制作協力/映画美学校、アテネ・フランセ文化センター、成田空港・空と大地の歴史館、ムスタッシュ、波多野ゆき枝、飯塚俊男
11月22日(土)ユーロスペースにて公開
2014年、カラー・モノクロ、140分、日本
http://sanrizukaniikiru.com/
ひかちゃんは夜型だから、夜に行動するのは仕方ないよね。
殿さまも体調に気をつけて 又良い映画沢山紹介して下さい。
「三里塚」。 あの頃政府のやり方に怒りを覚えたけど、
今は 成田~。 飛行機~。 海外~。
と、のんきに旅に出る私が情けない。
今も、今も 頑張っている方々がいらっしやるんですね。
先日BSで「クレアモントホテル」観ました。
殿様の試写室では2010年11月に登場。
なかなか、良い作品で主人公の生き方に共感し、
又 イギリスに行きたくなった。
殿様の紹介がなかったら 多分見逃していたと思う。
良い作品紹介を ありがとう。
ただ、謝ってほしい、それだけなのに。そして、それの代償として、”お金”という成り行きになる、歯がゆさ…
熱は下がりましたか?荷物を紐解く作業がありますね。無理なさらずに、ぼちぼちとね。
ひかちゃんもわたしもまだ新しいおうちに慣れたとはいえないかな?あれからずっと体調が悪く、治ったと思った風邪もまたぶりかえしてしまいました。その上、ブログにログインできず、今後の更新も危ういよ~(;O;)
なんか身体の具合が悪いとマイナス志向で良くないっす。
でもまだ闘争は続いてるって!?
もう生活の中に根付いてるんでしょうね。
力のあるもの、金のあるものがいつも勝ち組の
世の中でしょうか?
お引っ越し大変でしたね。高熱を出されたとか。
ご高齢ですので御身お大事に!
引っ越しって、越す前も大変だけれど越してからも大仕事がたくさんあるし、猫の手を貸してくれないひかちゃんはいるし、、、おまけに体調が悪くてブログも不調とは、殿、おいたわしや。どうぞ自分の体調優先で、ゆるゆるとやってくださいませ。
三里塚の話、ちょっとネットでも調べました。「国益のためなんだから、さっさとどけばいいのに」と書いている人がいて、この言葉、どこかで聞いたような気がするなぁと思いましたよ。「日本の経済発展のために必要なんだから、原発を受け入れてよ」とか。
わたしも成田を使いますから偉そうな事は言えませんけど、個人を踏みにじって追及する国益って何なんでしょうね?
高齢にこの一大変化は辛く、いまも咳をしながらPCに向っています。ゴホゴホ。
そうですね。生活に根づいた闘争ですね。でもまだ生々しい闘いかもしれません。こうした生活に静かにカメラを向け、映画にした関係者たちの熱意に頭が下がります。
まだ咳は少し残っていますが、2日前に較べると随分サクサクと身体が動くようになりました。
医者が処方する薬はやっぱり効果絶大です。
ひかちゃんの丸いお手々は高熱にあえぐ飼い主の額に
そっと触れる位の役にしか立たなかったけど、
いちはやく新居に慣れました。若い子は順応がいいですね。
三里塚の問題は福島の問題を含む現代の諸問題に通底するもの。
早く身体を治していろいろ考えたいです。
まだ「三里塚」?
恥ずかしながら あのシンボルの見張り小屋のようなものが
引き倒された時に
「闘争は終わり」かと思ってましたんです。
思わされていたんです。
まだ終わっていなかった、のですね。
殿様、どうか御身お大切にね。
引っ越しは荷ほどきも ひと作業ですからね!
出遅れましたが、力強くポチッ!