アイヒマン・ショー ~歴史を映した男たち~ -2- The Eichmann Show
アイヒマン・ショー
~歴史を映した男たち~
-2-
The Eichmann Show
(C) Feelgood Films 2014 Ltd.
1961年エルサレムで開廷された裁判。
被告はアドルフ・アイヒマン。
アドルフ・アイヒマン
第2次世界大戦下のナチス親衛隊将校で
ナチス政権による「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与。
数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担う。
戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、
1960年イスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行された。
1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられ、
同年12月に有罪・死刑判決。翌年6月に絞首刑。(Wikipedia)
1961年、世界は最早戦後ではなくなっていました。
宇宙には世界初の有人宇宙船ヴォストーク1号が飛び、
アメリカはキューバと国交を断絶し、
40代のケネディが第35代大統領に就任し、
ベルリンの壁ができ、
南アフリカ連邦がイギリスから独立。
そんな時代、
ミルトン・フルックマンはアイヒマン裁判のTV放映権を獲得し、
世界中にナチの犯罪を知らしめようとしていたのです。
さあ、TVが大きな力を持っていた60年代。
TV業界人が行なったことを見てみましょう。
ストーリー
第2次世界大戦から15年。
イスラエルへ移送されたアイヒマンはエルサレムの法廷で裁かれることになった。
1961年、革新派の敏腕プロデューサー、ミルトン・フルックマンは
アイヒマンの裁判を世界中にTV中継するという
計画の実現に向けて動いていた。
「ナチスがユダヤ人に何をしたか、TVで世界中に見せる。
これはTV史上において最も重要な事件となる」
その撮影には最高のスタッフを集めなければならなかった。
監督にはドキュメンタリー監督レオ・フルヴィッツを任命。
彼は全米を吹き荒れたマッカーシズムを受け、
10年以上も仕事を干されていたフルヴィッツにとっても
アイヒマン裁判の撮影は大きな賭けである。
エルサレムに到着したフルヴィッツは現地の撮影チームと
急ピッチで準備を始めた。
フルックマンは裁判を撮影できるよう、
判事たちへの根回しをする。
法廷の壁を改造し、隠しカメラを設置し、
裁判の進行を妨げない工夫をするなどして撮影許可を得た。
だが、フルックマンに対してはナチスシンパからの脅迫など圧力が高まる。
一方、フルヴィッツはアイヒマンをモンスターとしてではなく
一人の人間としての姿をカメラに捉えたいと考えていた。
だが、スタッフの中にはそんな考えに反感を持つ者もいた。
裁判は始まった。
4ヶ月にもわたる裁判の間、映像はすぐさま編集され、
世界37ヶ国で放映された。
衝撃的な証言は世界中の視聴者を驚かせた。
しかし、アイヒマンはどんな証言を聞いても表情を変えることなく
罪状を否認し続けるのだった……
アウシュヴィッツの体験を語ることのできなかった被害者にとって
この裁判は自分たちの体験を初めて語る場になりました。
そして、世界中の視聴者にとっても被害者の生の声を聞き、
表情を見る初めての機会となりました。
ハンナ・アーレントが裁判で観察したアイヒマンを「悪の凡庸」と表現し、
同胞であるユダヤ人たちからの反発を受けました。
追求されるアイヒマンの表情にはなんの変化もありません。
(アイヒマンは実写フィルムです)
元来、無表情な人間なのでしょうか。
映画の中で、フルヴィッツが
「彼の表情を見逃すな。指先の変化をとらえろ」
などと苛立ちながら指示を飛ばしてもアイヒマンは唇を歪めているだけ。
悪の凡庸というより凡庸そのものです。
凡庸な人間が凡庸ななりに命令を忠実に果たしたのでしょうか。
つい想いはアイヒマンの心理状態に向ってしまいます。
ですが、
証言台に立った112人の証人たちの証言に胸を打たれます。
しかし、それでも表情を変えないアイヒマン。
放映当時も、殺された600万人のユダヤ人の無念さを
あらためて感じた視聴者は多かったことでしょう。
TVはかつての力を失ってしまったかもしれませんが、
媒体力を強固にするのはそれに携わる人の信念と情熱です。
伝えること
忘れないことの大切さを教えてくれた作品でした
終
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☆4月22日に更新しました。いつも応援して下さってありがとうございます☆
アイヒマン・ショー
監督/ポール・アンドリュー・ウィリアムズ、脚本/サイモン・ブロック、製作/ローレンス・ボウエン、ケン・マーシャル、撮影/カルロス・カタラン
出演
マーティン・フリーマン/ミルトン・フルックマン、アンソニー・ラバリア/レオ・フルヴィッツ、レベッカ・フロント/ミセス・ランドー、ゾラ・ビショップ/エヴァ・フルックマン、アンディ・ナイマン/デイヴィッド・ランダー、ニコラス・ウッドソン/ヤコブ・ジョニロウィッツ、ルベン・ロイド・ヒューズ/アラン・ローザンター、ベン・アディス/ロン・ハンツマン、ディラン・エドワーズ/ロイ・セドウェル、ダスティン・サリンジャー/デイヴィッド・アラド、ソロモン・モーズリー/ペリー・ロディッド、キャロライン・バートリート/ジュディ・ゴールド、エド・バーチ/ミレク・クネーベル、アンナ=ルイーズ・ブロウマン/ジェーン・ダッドリー、ナサニエル・グリード/トミー・フルヴィッツ、バイドタス・マルティナイティス/アドルフ・アイヒマン、イアン・ポーター/NYタイムズ記者、ネル・ムーニー/ NYタイムズジャーナリストの妻
4月23日(土)ロードショー
2015年、イギリス、96分、カラー、日本語字幕/松岡葉子、配給/ポニーキャニオン、http://eichmann-show.jp/
この放送が流されるまでは ホロコーストを
信じない世界だったのですか。
すっとこ物心ついた頃は“アイヒマン”の名前
は聞いてたような気がするけど。
名前を変えて 南米へ逃れたアイヒマンや他の
看守たちを執拗に追ったユダヤ人の組織の
ドキュメンタリーも テレビで観た覚えがあり
ます。
日本人の杉原千畝氏の“命のビザ”のように
ユダヤの人々はされた悪い事も良い事も
ずっと忘れずに居るのでしょう。
忘れようったって 忘れられませんよね!
他にも埋もれた歴史がするけど。まだある
ような気がします。日本にも 外国にも。
むむむむむ、と言葉なくしてポチッと!!
今回もうならせちゃってすまんことです<(_ _)>
人間は加えた痛みは忘れても、加えられた痛みは忘れないです。
前に当試写室で3回にわたって上映したドイツ映画でも
ドイツ人自身アウシュビッツで行なわれたことを知らない中
若い検事たちが真実を知らしめていったんですもんね。
告げることの重要さを痛感させられた映画でした。
むむむのポチッをありがとうございました。
しまいました~。
言いたいことは
「媒体力を強固にするのはそれに携わる人の信念と情熱です。」
なんです。報道に携わる人たちの「真実を伝える」と
いう仕事に誇りを持ってほしい。
戦後世界をリードしてきた諸国は今や民主主義を騙っていると
しか思えません。それを報道しない日本のメディア(大手)の
堕落には言葉が出てきません。←と言いながらゆうてしもた。
シャガの花言葉そのままのなえさんの言葉だぜぇ!
日本の報道の自由度は国境なき記者団によれば72位とかでしたっけ?めっちゃ低いですよね。
日本のメディアの皆さん、しっかりして下され。
いいようにやられてしまってはあきまへん。
と、シャガの花言葉に同調するわちきであります。
軍部の宣伝を流していたようです。
戦中もそうでした。
「日本は絶対負けない。 勝つに決まってる。
もう少しガマンすれば・・・。」
と国民の大半は そう思っていました。
でもね。 飛行機作る鉄がないからって
家庭の鍋釜、お寺の鐘、電車の線路まで
軍に出させて・・・。
「これって、おかしくない? 戦争負けるんじゃない?
早く戦争やめた方が良いよ」って 国民の大半は
思わなかった。
それを口に出したら「非国民」って言われて外を
歩けなかった。
酷いときは逮捕された。
こういうふうに 真実を見ようとしない。
言いたいことも言わない。
これがモンスターの正体だと思う。
ジャーナリストは真実を伝える努力をすべきだけど、
私たちもモンスターが大きくならないように
真実の目を持たなきゃね。
いま帚木蓬生にはまっており、毎日砲撃を受けている気分で読書しています。
話が1945年8月15日を過ぎるとホッとしますが、
その後も抑留されたり、ジャングルの中で隠れていたと
続くので絶望的な気分になります。
おっしゃる通り、私たち個人個人が真実の目を持つことの
重要さや必要性を痛感します。
古い話になりますが(すいません。150歳ですので)、
ベトナム戦争時、世界中であれほどの反戦運動が起こったのは
ジャーナリストの活動があったからだと思います。
大本営発表なら要らないよ~。