ヒトラーを欺いた黄色い星 -1- Die Unsichtbaren
ヒトラーを欺いた黄色い星
-1-
Die Unsichtbaren
(C)2016 LOOK! Filmproduktion / CINE PLUS Filmproduktion (C)PeterHartwig
映画は多くの知らなかったことを教えてくれます。
本作『ヒトラーを欺いた黄色い星』も
そんな映画です。
第二次世界大戦下
600万人ものユダヤ人が
1941年から45年にかけて
ナチスによって虐殺されました。
1943年6月19日ナチス宣伝相ゲッベルスは
ベルリンからユダヤ人一掃と正式に宣言――
ところが
その時点でも約7000人ものユダヤ人が
ベルリン各地に潜伏し、
最終的には約1500人が
戦争終結まで生き延びたのです。
ナチスによる凄まじい迫害と監視体制の中
彼らはどのような思いで
また
どのようにして
住処や食料を確保し
ゲシュタポの手や密告者の目から
身を隠してきたのでしょう。
これまでにも
地下水道などに身を潜めるユダヤ人を
描いた映画を観たことはあります。
本作では
4人の生存者に焦点を当てて
彼らへのインタビューと
俳優の演じる映画を組み合わせ、
真に迫るサバイバルストーリーを
描き出しました。
監督はTV向けの長編ドキュメンタリーを
数多く発表しているクラウス・レーフレ。
この映画も
ナチスの諜報活動に使われた娼館について
テレビドキュメンタリーを製作した時に
ユダヤ人女性が偽の身分証明書でそこに隠れていたことを
知ったのがきっかけとなって生まれました。
そこで共同製作者と調べ始めたところ
1943年10月から45年4月までの間に
7000人ものユダヤ人が潜伏しようとし、
1500人もの人が生き残っていたことが判明したのです。
そして
彼らが生き残るには
彼らの運はもちろん
危機に際しての知恵の働かせ方や
ベルリン市民の善意も大きく働いていました。
ここに登場する生存者は
ツィオマ・シェーンハウス
男性/1942年潜伏開始、当時20歳
ルート・アルント
女性/1942年潜伏開始、当時20歳
オイゲン・フリーデ
男性/1943年に潜伏開始、当時16歳
ハン二・レヴィ
女性/1943年に潜伏開始、当時17歳
1941年10月、
ドイツ国内からユダヤ人の海外移住が
禁止されると同時に
絶滅収容所への移送が始まりました。
その先にどんな運命が待っているかは
まだ知らなかったにしても
既に全財産を没収され、
胸にはあの黄色い星をつけられ、
警察の監視下にあった彼らにとっては
最も恐れることが
現実になりつつあることは
ひしひしと感じられていたことでしょう。
そんな中、7000人もの人が
死を覚悟で潜伏する道を選びました。
とどまることも死、
潜伏も死と隣り合わせの危険――
なんと厳しい現実でしょう。
7000人の人が厳しい決断をし、
そして1500人の人が生き残りました。
本作に登場する4人は
どんな日々を送ったのでしょうか。
続きは次回までお待ちください。
乞うご期待でございます。
続
ヒトラーを欺いた黄色の星
監督/クラウス・レーフレ、脚本/クラウス・レーフレ、アレハンドラ・ロペス、プロデューサー/クラウス・レーフレ、フランク・エヴァース、撮影/イェルク・ヴィトマ―
出演
マックス・マウフ/ツィオマ・シェーンハウス、アリス・ドワイヤー/ハン二・レヴィ、ルビー・O・フィー/ルート・アルント、アーロン・アルタラス/オイゲン・フリーデ、ヴィクトリア・シュルツ/エレン・レヴィンスキー
7月28日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館他全国順次ロードショー
2017年、ドイツ、ドイツ語、111分、日本語字幕/吉川美奈子、配給/アルバトロス・フィルム、http://hittler-kiiroihoshi.com/
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「そして1500人の人が生き残りました。」
その背後に数倍、あるいはそれ以上の普通のドイツ市民の協力があったということですね。ユダヤ人は大変な目に
あったけれど、それを支えた(少数ではあるけれど)ドイツ市民の勇気を称えたいです。
私だったらどうだろう?知らん顔していれば、何の罪にも問われないのに、敢えて危険を犯しても救おうとするだろうかと問われると、う~む"(-""-)"
皆様へ
みいととらから「シロ吉へのお悔やみの言葉をいただき
ありがとうございます!」とのことです。元飼い主の私からもお礼申し上げます。シロ吉は飼い主さんの話では、優しい怖がりな子だったと。飼い主さんにべったりで、寝るときも布団の中に入って来て一緒に寝ていたそうです。地震の時はパニックになって二階に駆け上がりブルブル震えていたそうです。可哀そうでたまりません(:_;)
ずっと低空飛行です。内猫の一人がいよいよ危ない毎日。一喜一憂してお世話してます。外子猫四匹と風邪をひき、二週間薬飲ませてまあまあに。これから、この子達の行き先をどうするか。エンドレスですね。
あんなに痩せなかったワタシ、三キロ減りました。
なえさん。飼い主さんと猫さん、辛いです。自然災害は厳しい。せめてヒトが良くしてくれる良い世界がこれからもありますように強く祈るばかりです。
「アンネの日記」も動物園にユダヤ人を匿ったポーランドの動物園主も、危険をかえりみず、ユダヤ人を救ったいろんな人がいました。ドイツ人の中にもたくさんいたんですね。まだ若いユダヤ人たちも知恵をつくして生き延びる術を求めたんですね。すごいなあと思います。
シロ吉くん、本当にかわいそう。つらいです。
飼い主さんも元飼い主さんも早く立ち直ってくださいね。
こんなに急に暑くなると猫もひとも厳しいですね。
まずはびなちゃんさん、痩せないでください。
看病のためには体力保持が大切ですから。
猫さんたち、どうぞお大事に。
地震とか災害に巻き込まれる犬や猫、かわいそうです。
しろ吉君の話で東北や熊本で災害関連死した動物たちのことをあらためて考えました。
びなちゃんさん
辛いですね。内猫ちゃん、おいくつですか?お年だと
この暑さがこたえるでしょうね。でも猫ちゃんにとっては
びなちゃんさんが頼れる存在。無理しない程度に(と言っても3キロも痩せたら相当無理してるでしょうね)猫ちゃんに寄り添って看病してあげてください。
子猫ちゃんたち、そちらでどこか譲渡会はないでしょうか?信頼できる譲渡会があれば、そこへ連絡するのも
一つかもですね。やはり子猫は早く決まります。京都まで
来てくれはるなら大歓迎どっせ!
昨夜、こちらにコメント残した後、数時間後の夜一時に、内猫、クルリンは逝きました。
一年の間、家での皮下点滴にも耐えました。外猫出身ではありますが、穏やかで可愛い、良い性格の子でした。外猫時代も他の猫と仲良しでした。ここ10年の外猫世界の最後の子でした。
明後日荼毘に。混んでてね、葬祭屋さんが。暑いので冷房と保冷剤して冷やして安置してましたが、今、中型の冷蔵庫(飲み物専用にしている)に娘と入れましたよ。まさか、本人もこんなとこに入るとは思ってなかったでしょう。寒がりなのに。
でも、新しい次の外猫世代が続々と😅
最近は黒猫と白黒猫ばかりです。
なえさん、コメントありがとうございます。
もうワタシ個人では、気力が落ちてきていて、年末に二匹里親に出しながら、なかなか縁がないまま、内猫二匹の介護をしていました。
あ、里親は四ヶ月かかってやっと、見つかりました。
その間、義父が亡くなり、娘とワタシの体調不良やら。
一つ希望が。友達のいとこさんがほご犬猫カフェをやっていて、声をかけてくれています。だめならまた考えます。風邪から生還し、慣れて、甘あま、お腹見せてゴロゴロする黒猫オスだけでも良い縁があればなあ。
京都が近かったら心強いなあ。なえさんとも直に話せますね。
長々と毎度(久しぶりなのに、ずーずしくごめんなさい)でした。
皆さん、暑さ、気をつけて下さいね。
びなちゃんさん
そうでしたか。生あるものの運命とは言え、哀しいですね。でもくるりんちゃん、最後まで手厚く看てもらって、感謝して逝ったと思います。
実は猫友の猫ちゃんも闘病中だったけど、先日亡くなり
ました。彼女も当分立ち直れそうに思えないと言ってます。
犬猫カフェで置いてもらえるといいですね。会いにも行けるし。こちらの譲渡会ねえ、色々問題で実はガタガタしてます。犬猫に幸せになってもらうのが趣旨なのに、人間が
ケンカしてどうすんねん(; ・`д・´)と腹立たしい!
びなちゃんさん お大変でしたね。色んな事が起こった1年で、そしてクルリンちゃんが。言葉もありません。
野良猫だったのに性格が良くて 他のにゃんこにも優しい子だった・・・なんだか会った事はない子ですが目に浮かぶようです。冥福をお祈りします。
びなちゃんさんもお嬢さんも一年もの間、毎日毎日皮下注射をしてあげたのですね。クルリンちゃんも痩せたでしょうがびなちゃんさんも3キロ痩せられた、とは。
すでに暑い梅雨明けですが どうかどうかお体を休めて下さいませね。
付け足しみたいになっちゃったけど、ベルリンで生き延びたユダヤ人が1500人も居たとは!
殿様、次号のストーリーが待たれます❣️
この暑い季節に多くの猫さんたちが虹の橋を渡っていってしまいましてね。哀しいです。
そうなんです。1500人ものユダヤ人が知恵をしぼり、生き抜きました。そして、彼らに手を差し伸べたドイツ人も少なからずいたんです。今日、後編をアップしました。