ウォー・ダンス 響け僕らの鼓動 WAR DANCE
ウォー・ダンス 響け僕らの鼓動
WAR DANCE
今回はアフリカに飛びました。ウガンダ共和国です。
1970年代、かの悪名高いアミン大統領に支配されていた国、ウガンダ。
映画「ラストキング・オブ・スコットランド」(‘06)に描かれた人物であり
数十万人もの国民を虐殺し〈黒いヒトラー〉とも呼ばれたこの大統領が
1979年に失脚した後はウガンダ共和国も復興が進みました。
しかし、現実には今なお北部を中心に反政府軍によるゲリラ活動が続いています。
「ウォー・ダンス 響け僕らの鼓動」は
そのウガンダ北部にある難民キャンプに暮らす子どもたちが音楽と踊りによって
癒しと誇りを取り戻していく日々を描いたドキュメンタリー映画です。
ウガンダ北部では80年代の後半から20年にわたって 政府軍とLRA(神の抵抗軍)との間で紛争が継続しています。
この紛争の最大の問題点と悲惨な矛盾点は LRA・反政府軍の兵士の多くが子ども達だということ。
反政府軍は子どもたちを村から拉致し、少年兵として戦線に送ります(「それでも生きる子供たちへ」(‘06)でも少年兵の問題は描かれていました)。
彼らは村を襲い、両親と共に眠りについている子どもを連れ去っていきます。
抵抗する親はその場で虐殺。
そして拉致された男の子たちは兵士として人々を、親さへも、殺すことを強要され、
女の子たちは性的に蹂躙されます。
その生き地獄のような日々から救出され、脱走する子どももいます。
彼らは再び反政府軍によって拉致されないよう、
軍によって警備された避難民キャンプに集められています。
安心ではありますが、そこもまた水道も電気もなく、
なにより家族はもういません。
6万人以上の避難民が暮らすパトンゴ避難民キャンプには、
夢も誇りも失いかけたそんな子どもたちが生活しています。
子どもたちが勉強する学校には銃弾の孔がそこら中にあいています。
しかし、教師たちは彼らに先祖から伝わる歌と踊りと楽器演奏を教えようとしていました。
教師は言います。「音楽が生徒たちのつらい思いを忘れさせてくれる」。
ウガンダで年に1回開催される国民的なイベント〈全国音楽大会〉。
歌、踊りのほか、さまざまな部門で審査が行われます。
パトンゴ避難民キャンプにある学校も初出場を決めました。
紛争地域内の学校からの参加が認められたのは初めてのこと。
出場する以上は優勝をめざす!
乾いた大地を走り、踊る。生徒も先生も砂埃の中、猛練習を始めました。
練習の合間を縫って、ドミニク(14歳)、ナンシー(13歳)、ローズ(14歳)が
インタビューに応えます。
彼らにこの年齢のアフリカの子どもたちによく見るはじけるような笑顔がないの
が、その負ってきた苦しみと悲しみを物語っています。
いよいよ大会。生徒たちは会場のある首都カンパラへ向かいます。
手作りの楽器と衣装を持って、生まれて初めての心弾む旅に出発です。
武装兵士に守られながら、首都まで2日間に及ぶバスの旅。
彼等の昂揚感がスクリーンから伝わってきます。
初めて見る首都の高層ビル、行き交う車。
水道も電気もない自分たちの避難民キャンプとはなんという違いでしょう。
お揃いのきれいな衣装に身を包んだ全国からの子どもたち。
平和な地域からやってきた出場回数も多い生徒たちのパフォーマンスはレベルも高い。
パトンゴの子どもたちは全力をつくします。
紛争はいつ終わるかわかりません。しかし、彼らは誇りある部族の末裔なのです。
部族の栄光であるウォー・ダンスを踊る彼らの顔には誇りと自信がみなぎっていました。
子どもたち同様、首都カンパラの高層ビルに驚きました。
パタンゴには土と草の小屋が並んでいただけなのに。
これが戦争と平和ということなのですね。
同じ国でありながら、他地域の子どもたちと比べると
紛争が続く北部の子どもたちは自信なげに震える子犬のようです。
107分の上映中にすっかりパタンゴの子どもたちに肩入れして、
あの子たちの親戚のような気持になってしまいました。
まずは親の死や友人の死を間近に体験しなければならなかった
彼らの心が癒されることを祈るばかりです。
ウォー・ダンスや教師たちの努力がそのための大きな力になりますように。
そして一日も早くこの地に平和が訪れますように。
監督/ショーン・ファイン&アンドレア・ニックス・ファイン
キャスト
ドミニク、ローズ、ナンシー
11月1日東京都写真美術館にてロードショー
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だからと言って私に何が出来るわけでもない。 映画を見たら辛いだろうな。
文中にある「それでも生きる子供たち」は
少年兵、貧困、犯罪を各国の監督が撮ったオムニバスで、
子供をめぐる問題を知るには良い映画です。
「ウォー・ダンス」も基本的には暗い映画じゃありません。
辛いところもあるけど、ラストでは感動するよ。
親を亡くした子供には、部族の踊りや歌は親や家族に代わる大切な紐帯なんだと思います。
UNHCRのHPを開くと難民テントで何が必要とされているか、
出てきます。ま、今のところ、寄付しかできないけれど…
戦争とそれに続く現実がいまこの瞬間にも世界のどこかで
起こってるかと思うと のんきにPC前で玄米茶啜っていて
いいのかよ・・・。
でもこの映画のラストが明るいものであるのが救いなのか。
日本人で米国にて強制収容所で暮らした方の話を聞く
機会があり「子供なのでガラガラ蛇の出る沼地そばなのに
友達と遊ぶのが楽しかった」と話されてたのを思い出した。
NYの路上生活者の日系おじいさんがSeptember11で住む所を失った。
路上で絵を描いてるおじいさんだったんだけど、
彼を自宅に住まわせてあげた女性がたまたま監督だったので、
彼のことを映画にしました。
そのおじいさんが強制収容所で暮らしてたんだよね。
だから、アメリカへの抗議もあって、市民権もとらずにいたの。
彼はそこで知り合った子どもが死んでしまったことをとても悲しんでいた。
風変りなおじいさんなんだけど、収容所跡を訪れてその子のことを語るときはとても悲しそうだった。
子どもはどんなところにいても楽しむことができるのだろうけど、
それは家族がいて、仲間がいれば、の話だよね。
世界には悲しいことだらけだよ。
ペシミスティックなとの